「逃げないで下さい」

「そんな満面の笑みで言われても怖いとしか思えないよ、日吉君」

「じゃあ後退しないでくれませんか?」

「後退しなかったら捕まるじゃないか」


目の前にいる目付きが悪い、笑顔のカッコいい彼は日吉若君。私の後輩、というか年下にあたる人間だ。彼の至って冷静な思考と虎視眈々とした思惑は私の好きな部類に入るが如何せん


「敵にまわすと厄介なんだよねえ……」

「敵だなんて。苗字さんの敵になんかなりたくありませんよ」

「現在進行形で私を追いつめている君が言うかい?」

「追いつめているからって敵だとは言えないのではないですか?」

「まあ…正論だね」


暴論でもあるけど。確実に迫ってくる日吉君に冷や汗をかきながら後退する。おかしいことに早速見付かってしまった。私の選択肢は間違えだらけらしい。こんなことならもう少し風紀委員会に閉じ籠っているんだった。

後悔しきれない過去を悔やみながらも起死回生のチャンスを狙う。

日吉君はつめが甘いから、跡部君みたいにぎっちぎちには作戦を立てていないだろう。
こないだのハロウィンを思い出して少し、本当に少し苛立ちが募った。あのキング様様は財力と権力を満遍なく使うから困る。私はしがない一般人だというのに。


「『逃げられると思ったのか、アーン?』と跡部さんが言っていました」

「彼はどこまでも人を馬鹿にした男だな」

「因みに『正論だと言われたら言え』と」

「私がこの他の場面で正論だを使ったときのことを考えなかったのかな?私、結局ボキャブラリーが少ないから、正論だをよく使うのだけど」

「跡部さんは苗字さんのこと、理解していますから」

「理解、ねえ」


これは相互理解というよりは自己理解。というか理解というよりは、認識に似ていると思うのだけれども。くってかかるような物言いの芝居語りで壇上に立つ彼。やっぱり彼は面倒だ。きっと今もあのニヒルな笑顔でこの私を嘲るように笑っているに違いない。


私はきっと跡部景吾以上に苦手な人間はいない。

目の前にいる敵にしたら怖い日吉君でも、跡部君に比べればあまり怖くはない。……と、分かりにくい嘘であればいいなと勝手に願っておこう。


「彼に理解されるだなんて私も分かりやすくなったものだねえ、こうやって跡部君に興味をなくなっていくんだと思うと清々するような気分になるよ」

「跡部さんはあなたのことを興味なくしたりはしませんよ」

「きっぱりと言うね、それは何故?」

「あなたが跡部さんの彼女であった面子さん?とやらを失墜させたからでしょう」


忍足さんが教えてくれましたよと言う日吉君。メールをくれた忍足君には悪いが君は口が軽すぎるをだよと小一時間ぐらい説教してあげたい。口は禍の元だと彼は知らないのか。あえへん。真面目にないわー、である。


「……あー、うん、でもその話には色々あるんだよねえ……いや本当に、色々、ね」

「?」


首を傾げた日吉君に説明するつもりはない。私は大きく手を広げて大仰に動きを示した。


「それよりも、そうだ、日吉君、こんな場所に何用かな?ここは四天王寺。君が追いかけているのは不肖この私、苗字名前だよ?」

「分かっていますよ。でも苗字さんなら分かっているのではないですか?俺達がここに来たワケを」

「………分かっている、と自信満々に予知能力者みたいに言えたら嬉しいんだけどねえ。まあ、きいてはいるよ。いや、読んでいるといったほうが正しいかな。忍足君からメールがきてことの次第はきいているから」


携帯を取り出して、ゆらゆらと揺らしてやると日吉君の顔が陰る。そういえば日吉君はまだ準レギュラーだったか。忍足君と会話はしているようだが、好きではないのだろう。跡部君のことは嫌いだと言っていたのだったか。思い出す半年前のこと、苦笑を溢して陰った顔を晴らす為に空気を振るわせた。


「バレンタイン、だからでしょう」

「……我ながらなんとバカらしい理由で動いているのかと目を覆いたくなります」


本当に恥ずかしそうに首の裏を擦る日吉君に青いなあと思いつつ、ポケットの中に携帯を戻す。


「うん、私も忍足君からメールを貰ったときはそう思ったよ」

「向日さんと跡部さんがやるといったらなし崩しになってしまって」

「相変わらずあの二人はイベント好きだね」


ふふふと笑みをこぼすと、日吉君の顔がまた翳った。まただ、また私は跡部君の話をしていた。でも今回は日吉君からふってきたのだから、自己責任ということにして貰おう。


「で、日吉君。私は何をすればいいのかな。忍足君には返したけれど、私は残念ながらチョコを作ってきていない」

「ええ、跡部さんも言っていました。あなただったら俺達が訪ねてくるという可能性が出たとき大事を避けてチョコは作ってこないだろう、と」


なんなんだ跡部お坊っちゃんは。新手の予言者なのか。なんでことごとく先を読まれているんだろう。軽い恐怖だよ。



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