でも、ちょっと記憶が心配なんだよねぇ。
理由はわからないけれど、何故だがさっきまでの記憶がなくなっているし

それに柳君にすぐ従属しそうだしなぁ


「いや、赤也君には出来ないというか、今日の晩御飯の買い出しだからねぇ。手伝うもなにもないよ」
「そういうやつッスか!なんか花の水やりでもやるのかと思っちゃいましたよ」
「違うよ。私は美化委員じゃないからねぇ。園芸部でもないし」


そういうやつだったらどうにも出来ないなあとしみじみと言う切原君に苦笑しながら、筆記具を片付ける。
散らばった消しカスを手で掬い上げてゴミ箱に捨てると、後ろからぎゅっと裾を捕まれた


「どうしたの?赤也君」

「なんか、先輩の声聞き覚えがあるっていうか。うーん、なんか凄いきいていて、気持ちがいいんッスよね!」
「それは嬉しいな。口説いてる?赤也君」
「違いますけど!本当になんていうか安心するんですよね」


ぎゅっと腰辺りに抱き着いてくる切原君に、はてと疑問をもつ。私の声は柳君ほどいいわけではない。
普通だ
なのに安心するって言われると、困ってしまう。
どこら辺が安心になれるんだろう、抑揚の付け方とかだろうか?

普通だと思うんだけどなぁ


「それに甘い香り。えへへ、なんか丸井先輩みたいッスね」


その言葉にはドキリとした。別に丸井君の匂いが移っているとは思わないけれど、そうか、ここ連日丸井君と一緒に寝ているから匂いが。
うーん丸井君に近い人だと匂いとか分かっちゃうものなのか、ちょっと注意しなくちゃ。

別に隠すような間柄ではないのだけど、念には念をだ。


スポリと顔をうずくめてすりよってくる切原君の頭を撫でながら、無邪気過ぎる彼がさっきとは違って苛立ちも何もないことに気付く

さっきはピリピリとしていたのに、まるでなくなったみたいに晴れやかな空気を纏っている


「名前先輩」
「なあに、赤也君」
「オレ、名前先輩みたいなマネージャーがよかったなあ」
「!?それはどういうこと、赤也君」


びっくりした私にびっくりしたのか赤也君は体を震わせる。ビリビリと動いた赤也君は今にも泣きそうな目で私を見つめた

可愛い。けどそんなこと今は後回しだ。

よかった……つまり過去形
マネージャーは昔、或いは今いた、もしくはいる。
そんなの正式的には発表されていない情報だ


「マネージャー、いるの?」
「え……?あ、あれ?柳さんからきいて、ません?」
「いや、聞いてないよ」

「あ!それなら、今の話しなしで!なしッスよ聞かなかったことにして下さい!オレも言わなかったことにしますんで!」


柳さんよりも先に言っちゃいけないよな、と独りごちる切原君を尻目に私の脳みそはフル回転してきた。
これは植太さんがいっていた二人いる女の影というのが信憑性が高くなってきた


というか柳君からも仁王君からもマネージャーの話しなんて聞いたことないよ。どういうことだ。
柳君はまだいいとして仁王君!

次。というか明日あったら絶対に是非を訊かなくちゃ


「と、とにかく、先輩がオレ達のマネージャーだったら良かったんですけどね!」
「私には荷が重いよ」
「またまた〜、謙遜なんていいッスよ!」


いや本当に謙遜などではなくて私じゃあマネージャーなんてことは無理だ。力がないし、持久力もない。

それに、私には重い荷物を抱えるほどの責任感はありはしないのだ

君達みたいな重い人間を背負えるとは到底思えない


「………勝たなくちゃなあ」
「え?」
「名前先輩も、勝ったらオレと一緒にテニス部に居てくれるようになりますよね」


にっこりと見せる顔が誰かとかぶる


「赤也君?」
「きっと勝ったら、先輩達みたいに、……?あれ、うん、そう、たぶん、いや絶対……?一緒に、いてくれるはず……だよな…?」


どうしたんだこの子、なんだか急におかしいぞ?
引っ掛かってるっていうか戸惑っているっていうか、今日会ったばっかりの私になんでこの子こんなになついているんだろうというか


「勝たなくちゃ、そう、オレ、勝たなくちゃ。……誰にだっけ?そう、誰かに、何かを安心してもらう為に、勝たなくちゃいけないんだ」


震える手が、裾を掴んだ手がブルブルと氷に手を突き刺したかのように震えている。

なにかを掴もうと手は開いたり閉じたりするけれど、なにも掴めないまま、切原君は目を瞑る

円い目は見えなくなって、彼の目頭には水滴が溢れ出す


「なにをそんなに怯えているの?」


さっきから思っていた感想を述べる。
切原君には聞こえていないかもしれないけれど、言ってみた。

なにをそんなに必死になって怯えているんだろう
まるで脅されたように
まるで強要されたように

プルプルと震える腕
痙攣でもおこしているような手

それを包み込むように抱き抱える。
切原君はまだ震えたまま、泣きそうな顔のまま呪いのように、呪詛のように「勝たなくちゃ」と唱え続ける


君は勝ったのに
君は勝ったでしょう?

敗者を辱しめる鈍い痛みが彼を蝕んでいるとでもいうのだろうか


「大丈夫だよ」


とぼけてみせた
彼の今をとぼけてみせた

「君は悪くないよ」


嘘をついてみた、どうでもいい、いらない嘘を




震えが止まることなんて、やっぱり嘘をついてもなくて。
涙も流せぬ彼はただ必死に迫りくる敗北という結果に押し潰され、ただひたすらに勝ちを望んだ

それすらも敗北が魅せた幻だと気がつかないまま






  
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