「うふふっ。ありがとう、柳君、だったかしら?娘を誉められたのはある意味では初めてかもしれないわ。こんなに嬉しいのね!私としてはあの人にいって欲しかったとは思ったけれど、我慢できるぐらいに嬉しい!」
子供みたいに跳ねるような声を出す彼女は、それでも笑顔の質は変えずに私からみたらにやにやとしたままだ。
それでも、その笑顔をつくっている頬はだらしなく緩まれ、アイドルに可愛いと言われた中年女性のようなことになっている。
まあ、これだけの美形に娘を誉められるだなんてあまりないだろうし、それはそうなのかもしれなかった。
私は娘などいないので到底分かる筈も、分かろうとするはずも同様になかったが。
「貴方、いい男よね。あの人には負けるけれど、とてもいい男の子。うふふっ、賢いところとかはあの人にそっくり。他人の空似、なのかしらね?」
「でしょうね。似てはいませんが」
「あらそう言わないで、本当に似ているのに。そして……そっちの彼女は、あの人が気に入りそうな女の子ね」
「残念ながら、それはないかと思いますよ。私は」
「取り柄がない女の子?それとも平凡な女の子、かしら?でもね、それでもあの人に気に入られる可能性が高いの。……憎たらしいことにね」
笑顔のまま憎悪と嫉妬がこもった声で言われても、背筋さえ凍らせる事が出来ない。
笑顔というのは彼女にとっての仮面のような存在だったとしたならば、その表情のまま怒られたとしても、子供は何も学習しないだろうと、ひそかに思う。
笑ったままの殺意など、実行されない殺人計画のように、どこも怖くはなかった。むしろ、今の柳君の方が私としては怖いくらいだ
だから、私も壊れた笑顔で返す。グギグキと機械音のような気味が悪い音が頭の中にこびりついた。
まるで、動かない筋肉を使った時のようだと勝手に頭が解釈する。
「私は彼に気に入られたくないものですから、嬉しくありません。それに彼は私のことが嫌いですよ。こんな壊れた人間、好きになるはずもありません」
「………それも、そうね。うふふっ、ごめんなさい」
鋭い視線はかわらないが、しかし言葉は少し丸みを帯びた口調にかわり、まるでこいつならばとられても私の方が上だからいい、というかのように鼻で笑われた。
揃って節々が似ている親子である。
「―――子供に聞かせて責めるような話じゃなかったわね。無礼は詫びるわ、聞かなかったことにしておいて。さて、もうそろそろお開きの時間にしなくちゃね。本題の本題に入るわ………ここからのお話しはみんなアフレコでお願いしたいのだけど」
「アフレコ、ですか」
「そう。あの人にバレたら怒られちゃうから、言わないでね?」
「もちろんです」
そう笑いながらも、しっかりと柳君がテープレコーダーを準備しているのを確認した。
しかし、テープレコーダー
古風の方が何かと妨害を受けずにすむという近代化へと挑戦状ではなかったが、それに近いものがあったかもしれなかった。
テープレコーダーなんて、今どき何処に売ってあるのやらわからないもの、柳君は一体何処で入手したのかは後に聞くことにして、私は植太諜花さんに、だからどうぞ話して下さいと続きを促す。
彼女はテープレコーダーに気付かずに続けた。
「あの死体のはね。浅木 夢実(あさき ゆめみ)といって、中学二年生の女の子なの。本当に長い髪の毛の子でね、麗子と取りかえる為に切っちゃうのが惜しいぐらいだったのよ」
「………」
さて、自供が取れた。
テープレコーダーは裁判等では証拠として利用できないが、脅す行為はこれで出来るわけだ。
しかし、この笑顔の植太諜花さんはこの程度のテープレコーダーで顔を歪めるのだろうか。甚だ疑問な限りではある。
だいたいこの人、ちゃんと喜怒哀楽が存在するのか?
全部が喜だけで占められていそうなのだけど。
「死体の提供者はもちろんあの人。とはいっても偽造をしたのは私だから、この場合、私が実行犯ってことになるのかしら?うふふっ。まあ、なんでもいいわ。――あなた達が知りたいのは麗子のこと、ですものね」
「ええ。偽物の死体に死体以外の意味はありません」
「うふふっ、それはそうね。じゃあ、もったいぶらずに教えてあげる。あの子、生きてるわよ」
手をふりふりとしながら植太諜花さんはことなげに言った。
当然でしょというかのように言われたその言葉に、柳くんの口元が音もなく開く。
『やはり、いきていたようだな』
そう、みたいだね。と私も口パクで返すと、柳君が弧を描くように笑みを浮かべた。
「うふふっ。場所は教えてあげないけど、公共機関に預けてあるの。もしかしたら会えるかもね?」
「それは――畳重です」
「うふふっ。それが本音であることを祈るわ。他に、聞きたいことある?」
どうせだから答えてあげると、植太諜花さんは笑う。
「貴女の娘さん」
「あらなあに、麗子がどうかしたの?」
「あなたは生きていてくれて嬉しいですか?」
たった一つの疑問というには、少しばかり踏み込んだ疑問。
その疑問を投げ掛けるのはただの興味からだ。
この母親がどんなことを言うのか興味がある。
ただ、それだけ
植太諜花さんはあの、作られた笑みを、止めた。
ここで、この場面でだ。
彼女の作られた顔がまるで精彩を失うように消えていく。
貼り付けられたのは無表情という表情だった
それが、彼女の本質とでもいうかのようだ。
「どうでも」
声が、上がった。
アルトの声域なのに何処か低い、歪んで掠れた声
「生きていても、死んでいても、本当はどうでもいい。あの人の面影があるから殺さないだけで、本当は」
その声には正気がない。
「愛してなんかもいなかったわ」
呟かれたそれに、目を閉じる。お茶を一のみして息をつくと、立ち上がる。
「ありがとうございました。それだけ聞けたのならばもう疑問はありません」
この家族は結局、壊れていたのだろう。
不倫をする父親、娘を愛していない母親、虐められた娘に、姉の顔さえ認識出来ない妹達
破綻だらけの家族
私が立ち入る隙なのありはしない。
関わる必要すらない
壊れた後に用はない
さてと、と脱いだ靴を履き戻す為にしゃがんだ。しかしそれは柳くんの手によって、手首を捕まれ制させる。
彼は正座のまま、植太諜花さんを見ていた。
無表情で無感情の彼女をじっと観察するように見ていた。
やがて、その見ていた視線を下におろして、透き通るような声で、それは語られる。
「母親が娘を嫌いだとしても、母親が娘を嫌いでも。娘が母親が嫌いだということがイコールではないだろう」
それはまるで独り言のような、独白のような考察。
柳君が語るとまるで論文のように聞こえた。
「世界は見えている部分だけが世界ではない。見えていない部分は暗点であるだけで体を動かせば見えるものだ。故に見えないものはない。感じられない視点など存在しない、目を凝らせばよく見える。耳を済ませばよく聞こえる。感じられないと言うのならば人に聞くといい、そのことさえ知らないというのならばそれは愚者以外の何者でもない」
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