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理科室の隣。委員のために設置された風紀委員長会室に入ると、ガサゴソと部屋の隅で音がしていた。財前君はこの部屋のことを聞き及んでいるのか、あまりいい顔はしていない。それを無視して奥の方を覗き込むと前原さんが一人、染み抜きをしていた。洗浄液を置いてはつけて拭くという行動を繰り返している。舞得さんが罰として命じたというには彼女の顔は真剣そのものだった。

「精が出るね」
「ふえ!!」

体をビクビクさせて立ち上がった前原さんは持っていた上履きが落としてしまう。だたんと落とした上履きには白石という名前と、噂のコーヒーがかけられたような茶色シミがあった。

「な、ななな!!」
「こんにちは、前原さん。染み抜きお疲れ様。そうちまちましないで漂白剤につけた方がいいんじゃないかな」
「お、お隣さん!」

お隣さんというニックネームはどうかと思うけどね。そうだよと頷くと青い顔して後づさりされる。

「わ、わわわわ!」
「と、危ないなあ」

さっきまで使っていた洗浄液のフタは開けっ放しだったのにも関わらず、彼女自身突進しようとしていた。彼女の体を支えてどうにか衝突を防ぐと、前原さんの混乱が増す。

「あわわわわ!」
「大丈夫かい?」
「ご、ごめんなさっ、さい!」

必死に顔を縦に何回も下げる前原さん。引っ込み思案っぽい感じではあったけれど、こんなにも腰が低いとは。

「危ないよ、気をつけて」

手を離して遠ざかると、前原さんは髪の毛を触った。なだめ行動だ。

「先輩」

警戒心を強めた声で財前君が言うので振り返る。

「おや、財前君と前原さんは接点がないのかい? それは残念だ」
「……先輩、出ましょう」
「何故? 出てどこにいくの?」
「此処じゃないどっかですわ」
「却下」

機嫌が悪くなるのを感じたのか、前原さんがあわわと慌てる。

「なんで」
「先生に見つかるのがやだ」
「そんなこと言うとる場合ですか!?」

腕を引かれる。グルグルと今にも吠え出しそうだ。私にではない。前原さんにだ。

「……おい」

ビクッと前原さんの肩が揺れる。低くて、底が冷えるような声に恐怖を感じているようだった。

「先輩にちょっかいかけとるんやないやろな」
「あ、ああの」
「あ?」
「財前君」

ぺしっと引かれた腕を叩いたが財前君の意識がこちらにくることない。

「なんや、言えへんようなことしよるんか?」
「ご、ごめ、ごめんなさ……っ」
「謝らなくていいよ、前原さん」

財前君の頬を軽く押し、前に出る。前原さんは丸くなり、頭を押さえていた。

「財前君、時期尚早だね。私はまだ何もされてない。それなのに女の子を責めるだなんて紳士らしくないね」
「…………う」
「ファンクラブの部室内だからって警戒し過ぎだよ。ファンクラブは旧態依然とした前の愚鈍な烏合の衆ではないのだから」
「分からんやないですか! 俺には昔も今もこいつらの考えていることなんて分かりたくもありませんけど!」

こいつらといいながら前原さんを指す財前君。行儀がなっていないし、前原さんが怯えているじゃないか。

「感情的だね。君は実害を被っていないだろう?」
「実害が被らないと嫌悪することもあかんのですか?」
「嫌悪のレベルを明らかに逸脱しているように見えるのは私だけかな? 」
「適切な表現やないんやったら改めます。警戒しちゃああかんのですか?」
「いいや、それは別にいいよ。財前君が身の危険を感じているというのなら、私は止めないさ。だけど、財前君」

そう呼ぶと、財前君の肩を掴む。

「現在の状況をきちんと確認もせず、自分の古い価値観だけでものを見ることに一体どんな意味があるっていうんだろうねえ。物差しが古いと長さまで違って見えるかもしれないよ」
「……つまり、先輩は仲ようしろちゅうんっすね?」
「関係を改善しろとは言っているね」

財前君は変わらず険しい顔をして辛辣に言い放つ。

「白石部長の上履きを勝手に持ってきているストーカーと仲良くしろちゅうのは、いくらなんでも酷っすわ」

財前君の言葉にこの部屋がシンと静まり返る。前原さんが際限なく目を見開いて、ぽかんと口を開けていた。髪の毛を触っていた手がぶらんと下に落ちる。
財前君はきつく唇を結んで、前原さんを睨みつける。

「その上履き、白石部長のやろ」
「あ、あ」
「なんでお前が持っとるねん」

ガツンと頭を殴られたように前原さんが崩れ落ちて行く。まるで爆破されたビルディングのようだ。右から急速に下に沈んで行った。彼女の上履きに洗浄液が垂れる。しかしそのことに彼女は気がつかない。

「気持ち悪い」

心底気持ち悪いと財前君が吐き捨てる。確かに、ファンとはいえ、汚れたものを他人が必死に洗っているというのは違和感があるだろう。違和感というか、嫌悪感、いや不快感があるだろう。
だが、財前君が言うべきことじゃない。それは白石君が言うべきことだ。財前君が言うべきことはそれじゃないだろう。

「あ、ごめ、なさ」
「黙って」

私がそういうと前原さんは顔を青くしながら頭を下げる。

「は、はい!」
「君じゃないよ、前原さん。黙るのは財前君」
「はあ? なんで俺が!」
「シャラップ」
「…………!」

ぐぐと唇を噛んだ財前君。今更だけど、この後輩殿は何処と無く犬に似ていることに気が付いた。シベリアン・ハスキーっぽい。精悍な顔立ちとか特に。
そう思うと、財前君に犬耳が見えるから不思議だ。待てを言われて不満そうにしている。パタパタとないはずの耳が動いていた。

「よしよし。イイコだからそのままでね。口を開いたら今後一切君とは喋らないから」

子供の喧嘩みたいに言ってみたら、財前君は眉を顰めた。子供かと内心突っ込んでいるに違いない。それでも口をつぐんでいるのは日々の調教のおかげ、だったりするのだろうか。

「前原さん。私もなぜ君がそれを持っているのか知りたいな」
「そ、それは…………」
「もしかしなくても無断で持って来ちゃった?」
「うっ、その通りです」

ガクッとうな垂れてる。髪の毛で顔が隠れると、前原さんはポツリポツリと話し始めた。

「うち、昔から胸が大きくてからかわれてたんです。いつも男子にジロジロ見られとって、それが女の子達には癪に触ったんやろと思います。それで靴の中に画鋲とか、入れられとったんですわ」

胸をガン見しようとした財前君の顔を無理矢理固定する。何を不躾に見ようとしているんだ、この後輩殿は。思春期とはいえマナーが悪過ぎる。幸い前原さんは気が付いていないらしく、語る言葉に不愉快が混じることはなかった。

「そういう時、みんなは知らんぷりで、だあれも助けたりはしてくれへん。上履きに入れられた画鋲を一人でシクシク泣きながら取とりました。悲しくて苦しかったんです」

前原さんは、少しくぐもった声を出した。

「だから、白石様にそんな思いして欲しくなかったんです。うちと同じような気持ちになって欲しくなかったんですわ」

一人で抱えるのは辛い。
好きな人にはそんな思いして欲しくない、か。

「……でも、勝手に持ってきたりして、気持ち悪いですよね。それでもコーヒーなんてかけられた白石様が可哀想で……」
「純粋な思いだったわけだ。分からなくもないよ」
「本当ですか?」
「まあ、ね」

でも、と指を動かす。

「無断で持ってくるのはどうなのかな? 流石に白石君もこうも汚れてしまっているんじゃ使わないだろうけど、でもだからって断りを入れることぐらいした方がいいんじゃない?」
「うちはファンクラブですから、抜け駆けみたいなことは出来ません」
「今やっていることも抜け駆けのようなことだと思うんだけどねえ。まあ、いいや。やっていることはいいことなのだから、大目に見よう」
「あ、ありがとうございます」
「うふふ、君はいい子だねえ、前原さん。いい子、いい子」
「え、えへへ」


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