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「恋は人を変えるとはいうものだけれども、財前君は可愛いなあ」

顔を真っ赤にさせてしまった後輩殿は、少女漫画をきつく握っている。
その仕草が少女のように初々しくて、君は女子力あるなあと笑ってみた。皮肉と取られたのか顔をムッとしかめる姿は子供っぽい。義務教育を残りあと少しとした学生には到底見えなかった。幼稚園児みたいだ。

「まあ、分別はつくようにしたまえよ。恋愛はただ性欲の詩的表現にならないようにね。あるいは分別のない恋人は恋人はないといったところかな」
「それでも恋をして恋を失ったほうが一度も恋をしないよりはましスよ」
「言うようになったね。テニソンかな?」
「先輩のは芥川ですやん」
「よく分かったね。なかなかに聡明だ」
「そりゃあどうも」

力が入ったのか、漫画の表紙が歪んでいた。四百円する本を大切にできないなんて罰当たりな後輩殿だと思い、彼から少女漫画を取り上げた。

「ふーん、普通の少女漫画みたいだね」

適当に捲ったページには幼馴染の少年に迫られキスされている主人公がいた。角度的に歯が当たっているだろうなとぼんやり考える。

「そりゃあ少女漫画ですからね」
「今の少女漫画は昼ドラだときいたけれどね。性的描写が多いとか」
「…………」

女の子へのイメージが崩れ兼ねないかな。じゃあ閑話休題だ。

「じゃあ、キスから始めようか」
「…………はい?」
「練習するんでしょう?」
「いや、そりゃしますけど。いやいや」
「大丈夫。回数重ねれば上手くなるよ」

顔をぐっと近付けると、急激に逸らされる。どこか赤い頬を見ながら、首を傾げた。

「練習、するんじゃないの?」
「は、い。で、でも、ちがっ」
「しないんだったらなんの為に恥を忍んで来たんだい? それとも怖気づいちゃった?」
「っ!!」

そんなわけありませんと、財前君はしっかりとこちらを捉えた。やっと年相応の青年の顔だ。頬に指を滑らせて、小さく笑う。

「恥ずかしいなら言ってよ。財前君が甲斐性なしだとは広めないであげるからさ」
「先輩……」

敬称とともに肩を押されて、地面に寝転がる。首筋あたりが痛い。もしかしたら石かなにかで打ったのかもしれない。痛みに閉じてしまった瞼を開けると、あったのは財前君の顔だった。腕が顔の両端に置かれていることから押し倒されてしまったのだと分かった。
だけど、認識が追いつかない。正式にいえば、なんでこうなったかが、だ。

「先輩、からかうんもいい加減にして下さい」
「からかう?」
「こういうことっすわ」

こういうこともなにも、押し倒して揶揄っているのは財前君じゃないか。瞳の中に自分がみえる。どこか現実味のない空間だ。
現実感なんて主観が入った時点で夢のようなものだから、もしかしたらここは夢なのかもしれない。
それにしては肌をなぞる風も、首筋に走る鈍い痛みも生々しい。

「こういうこと、ねえ。君こそこんなこと輪道さんにこんなところ見られていいの?」
「別に」

あんたには関係ないと。
財前君は私の服を、まるで少女漫画の変わりみたいにキツく握った。
ちなみに少女漫画は買ったばかりだというのに地面に寝せべっていらっしゃる。本当に大切にしない人だ。

「関係ないって」

そんなわけあるか。ピアス殿は恋愛する気があるのか甚だ疑問だ。いや、それがおかしいのかもしれない。だいたい、この後輩は一日喋っただけで心を開くような心いい好青年ではない。では、なぜ財前君は輪道さんのことを好きになったのだろうか。理由はきいた。でも、違和感は拭えない。
何かがおかしい。こんな感覚前にも感じたことがある。

「まあ、いい。とりあえず退いてくれないかな」

起き上がろうとあいてみるが、財前君に阻まれて地面に逆戻りだ。怒りを含む瞳に魅入られて、息を飲む。

「どうしたの?」
「キス、するんやろ?」
「冗談に決まっているでしょう?」
「………うら若き少年からかって面白いんですか?」
「財前君が本気にするとは思わなくてさ」

笑みを零すと、首元に息を吐かれた。熱っぽい吐息はくすぐったい。

「ふふ、でも、キスぐらい出来なきゃ少女漫画には出れないから」
「出たくありません」
「恋愛したいんだもね」

青春しているなと枯れた心で思っても羨む気持ちなんてない。寧ろ、そんなものに振り回される財前君が可哀想で仕方がない。
恋は理性を失くす。
望もうと望まざろうとも。

「輪道さんのことが好き?」

答えは決まっているだろう。でも問い掛けた。

「好きです」

頬を赤く染めて、財前君はいう。
まるで林檎みたいだと思った。

「私と輪道さん、どっちが好き?」

少女漫画に出てくる恋敵のような質問をしてみる。こんなこと柄じゃない。だからこそ初めてのことというのは面白い。

「………………」

後輩殿は押し黙り、低く唸る。悩むところでもあるまいし、輪道さんのほうが好きと言えばいいものを。

「じゃあ、質問を変えてあげる。輪道さんと私、崖から落ちそうになっているどちらかしか助けられないときどっちを助ける?」

常套句な話だ。崖から二人が落ちそうになるなんてありえないし、近辺に崖はない。だいたい、人の体は重いから一人で持ち上げるには相当の腕力が必要だ。一人であげるよりも大勢を呼んできたほうが効率的で、現実的だ。


「非現実的な質問ですわ」
「現実とは切り離して考えて下さい」
「なんでいきなり敬語なん…………そんなんなってみないと分かりません」
「そう?」

そういうものだろうか。
それはそれで納得が出来ない。だが、そんなものなのかもしれない。人の優先度など、素面では測れないのだ。いつもはおどおどした人間がいざという時に立ち向かう勇気を持っていたり、あるいはいつも頼りになる人がここぞとばかりにヘタレたり。結局は追い詰められた時にどんな反応ができるか、だ。人は追い詰められた時こそ本性が現れるという。だったらこの後輩殿は危機的状況、追い詰められた時、どんな本性を表しどんな行動を、選択をするのだろうか。
いっても日常には関係のないことだ。質問の意図にも沿わない。

「でも」

押し倒した状況のまま財前君が目を閉じた。

「奏愛先輩を助けたいと思っとります」
「それは私を見捨てるってこと?」
「そう、なります」
「そう」

ならいいや。目を瞑った財前君は未だに私をみようとしない。そんな彼の肩を押してもどうせ動かないことは知っている。だから首に手を回して、驚いているところで体を横に捻った。財前君の体が地面に打ち付けられる。気を抜いてくれたから出来た。逆に押し倒された財前君は私を見るなりため息をついた。

「やり返さんといて下さい」
「やられたらやり返すのが君の先輩だからね」
「どかなどつきます」
「怖い怖い」
「どかんくてもどつきます」
「暴論だ」

それに暴行だよ。意味もなく笑って財前君から退く。

「財前君、私は悲しいよ。酷く惨めで陰惨で憂鬱な気分だ。ああ、今日一日で世界が終わってしまったような絶望感が胸をのたうち回っているよ。こんな日になるのならば君と出会わなければよかったと思うぐらいにね」
「ペラペラよう動かせますね」
「自分の口だから」
「本当は悲しいとも思ってないくせに」
「おや。信用ないな」

まあ当たり前か。

「ねえ、財前君。みんなから好かれるというのはどんな気持ちなんだろうね」
「? …………みんなから好かれるなんて現実ではありえないことッスわ」
「さて、そのみんなという範囲はどこまでだと言えるのかな」
「範囲が限定されてるみんななんてみんなやありゃしません」
「どうだろう。本当にそう思う?」
「含みのある言い方はやめて下さい」

含みを持たせながら、彼の手を握り立ち上がるのを手伝う。

「君と私の価値観が違うように誰かにとってのみんなの定義も違うんだよ。男と女の価値観はズレているようにね。こんな実験を知っているかな、財前君。女の人と男の人でリレー式で小説を書いて行くんだ。でも男女差で内容は全然異なってくる。男性は戦争や難しい物理や原理の話。女性は恋愛方面だね。予想がつくだろうけど、話は全く噛み合わない。滑稽なぐらいにちぐはぐな物語を紡ぎ出す。最後には纏まらずに終わってしまうんだ」
「価値観の相違ってやつなんすか?」
「そうだね、同じ人間なのに男女で違いがあるなんて面白いと思わない? でもそんなものなのかもね。意思の疎通なんて出来ないものだよ。誰も自分のことを分かってくれないように、自分も誰のことも分からないんだよ。悲しいことだと思うかい?」
「分からんでも側にはいられます」
「…………」

これはこれは。男らしいことで。

「それにいつかはわかる日がくるんやて信じてますから」

財前君は私の手をしっかり握って立ち上がる。強い光線を放つ目はキラキラというには無粋なほど澄んでいた。水の中にいるみたいだ。潤っていて、ふやけているようにも澄んでいるようにもみえる。

「希望的観測だね」
「それに、俺と先輩だったら小説を書いても纏まらずには終わらんと思っとります」
「へえ」
「最後にはハッピーエンドで終わるんっすわ」

財前君は少女漫画が似合うのかもしれない。考え方が乙女だ。何もかも丸く収まってハッピーエンドだなんてどこの夢物語だよ。
だけど、物語ぐらいだったらそんな非現実的なこともまあいいかと思った。稀有なことに本当に。

「やっぱり君には甘いのかな? 我ながら自分を見捨てるといった後輩に絆されるとは思わなかったな」
「絆されとるのはこっちっすわ」
「?」
「人を押し倒しといて悠々としている奴なんて先輩やなかったらしばいとります」
「少女漫画少年がなにを言っているんだか」

お互いに笑いあって、いつもと同じようにキチンとした挨拶も出来ずに慌ただしく別れた。

財前君が持ってきた少女漫画をパラパラと捲る。丁度見えた場面は三角関係の縺れで主人公が頬を叩かれているところだった。



(笑い合いながらも含みがあり/20131103)




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