■ その目にやきつけて
ボクがボクでなくなったらどうしたらいいのだろう。何度も過ぎた昼も夜も、繋いだ手も、触れ合った唇も何もかも忘れてしまうのだろうか。
目の前で虚空を眺めている名前の手を握っても反応は無くて、ただ泣くしかなかった。何度、名前を呼んでも名前はボクを捉えることはなかったし、聞こえているのかさえ分からない。
前なら手に取るように分かったお互いの感情も、麻痺して分からない。愛しているの言葉も届いていない。彼女の奏でるピアノも最近は聴かない。聴けない。
まるで永遠に解けない枷が付いたように、動くことは無かった。そんな日々が何日も続き、ボク自身も心が痛くて我慢できなくなって手首をいたぶるようになった。
名前はボクのように、自傷しなくとも既に壊れている。ボクが壊してしまった。無理にでも自分のものにすれば良いと考えていた先日の強気なボクは何処へ行ったのだろう。
名前に今更謝れない。許してもらえるはずかない。目を見れば分かる。名前は怒っている。
光の無い瞳が黒子を見つめるたびに思い知らされる。まるで果て無い闇を彷徨っているよだ。自業自得と言えど、ボクはまだ実感できずにいた。
タイムリミットまであと数時間。
時は昨日に遡る。可愛い恋人がボクの家に泊まりにきていた。しかし、甘い雰囲気ではなく、暗くどんよりとしていた。
「黒子くん、もうやめよう?私は黒子くんの事好きじゃない。それは前から変わらないから」
ボクの中で何かが切れた。何故そんな嘘をつくのかと。酷いじゃないか、ボクを1人にするのか。そんなの許さない。
ボクは名前の胸ぐらを掴んで、頬を思い切りぶった。どうしてと問いながら。
「こんなに愛しているのに、…どうしてですか?」
視界が涙で滲んだ。バスケ関連以外で泣いたのはいつぶりだろう。
名前は赤くなってしまった頬をを指で撫でた。そして反抗的な瞳でボクを睨んだ。
「黒子くんの愛が私には理解出来ないから」
目の前が真っ暗になった自分が捧げた愛は名前には無意味だったのか。
あんなに大切に大切にしてきたのに。終わりはなんてあっけないのだろう。
「そうですか。なら、嫌でも理解してもらいます」
ボクの手は静かに名前の首を掴んだ。白いうなじがボクの手で隠れる。
「!?、…く、ろ…、」
名前の首がきゅうっと締まる。ミシミシと音をたてて締まる。ボクの手によって、気管が潰されてゆく。
「分かりませんか?ボクの痛み、今のボクはこんな痛みよりも辛くて苦しい。貴女の一言がボクを殺すんです」
名前の口からは唾液が零れた。床へ落ちてしまう前にボクは舐めとる。そのままキスをした。荒々しく、激しく。
名前の焦点の合わない目が上を向いた。伸ばされた手がボクの横髪、頬を掠めて崩れ落ちる。
唇が離れた頃には事切れていた。名前の時が止まった。止めてしまった。なんてことをしてしまったのだろう。首から手を離すと紅い手の痕が付いていた。
このしなやかな手が奏でるピアノはもう聴けないのか、始めて出会った音楽室の中で見せてくれたあの笑顔も、声も聞けないのか。
「あ…、名前さ、」
頬を撫でても、髪に指を絡めても、抱き起こしても、抱きしめても反応は無かった。
「そんな…、返事を…して、く」
涙がさっきよりも多く出て来た。
そうして冒頭に戻る。
明け方がやって来た。ボクは覚悟を決めた。
愛した人に会いに行く、だなんておこがましいことは言わない。けれど償いたい。だから、リストカットをして血がこびり付いた手にハサミをしっかり持った。リストカットは迷いがあり、自殺するには至らなかった。
しかし、今度は迷わない。刃先が首に当たり、ぐっと力を込めた。
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