▼ 教えて

 完全に言質をとられた。先生は何でも教えてくれるんですよね。生徒の言葉が頭で反響する。
 彼の家庭教師を務める私は最大の難所に突入していた。追い詰められて、黒子の膝の上に正面から跨るような形で抱きしめられていた。

「先生、いい匂いがします」

「こ、こら!離しなさい」

「先生は大学生ですよね」

「ちょっと聞いてるの!?」

 名前が身じろぎして離れようとすると、黒子は不機嫌そうにした。そして、まじまじと見つめる。

「先生…、ボクは教えてほしいことが山積みです」

「じゃあ、早くその問題集を進めなさい!!」

「照れなくても良いんですよ?」

 照れてないからと名前が黒子の頬を抓ると、彼は痛そうに瞳に涙を浮かべた。
 なぜ男子とは図体ばかりでかいのか、頭がお花畑なのか、不思議である。

「離しなさい」

 彼の頭を軽く叩いた。柔らかな髪の毛が潰れる。すると彼が頬を膨らませて、小さな子供のように目を逸らした。そっぽを向いたまま、黙りこくってしまう。
 名前はこれまでに、ここまであざとい表情をする生徒は見たことがなかった。彼の顔立ちが少し幼いことも手伝って、さらにあざとい。

「う…、ほら、やろう?ね?だから離れて?黒子くーん?」

 なかなか目を合わせてくれない黒子に、名前は戸惑って顔を覗き込んだ。
 けれど彼の目線は別の方向のまま。

「………先生」

 小さく呟いた彼の声は心から拗ねているようだった。

「…なに?」

「キス…、教えてくれたら勉強します。出来れば…その先も」

「バカっ!!」

 バシッと手加減なくはたいた。すると黒子の抱き寄せる腕に力が篭り、手は名前の服をぎゅっと握った。

「本気ですよ?」

「なんでそんなに脳内ぴんくなわけ?」

 男ならそんなものですよと、黒子のが言うと名前を優しく床に押し付けた。

「大人しくしててくださいね?」

「はぁ!?ふざけないでよ!!!こら、どこ触ってるの!このませガキ!!!」

 名前が拳で黒子の胸板を思い切り殴った。少し痛そうな顔をするだけで、まだ平気ですみたいな顔をするものだかイラつくのにも時間はかからなかった。

「暴れないでください」

 よしよしと頭を撫でられる。この所、ずっとこんな調子だ。彼が中学生のころは可愛らしくて変態発言なんてしなかった。先生、先生と分からない問題があれば呼んでくれる。

「あー…、中学の時の方が可愛かったのに…」

「なんですか、唐突に。ボクは今も可愛いですよ?」

「違う、違う。可愛いけど、こんなじゃなかった。うん。出来れば、せんしぇ〜って呼んで欲しかった。あの時の可愛い黒子くんに」

「せんしぇ〜」

「だから違う!!今の黒子くんじゃなくてね」

 名前が呆れかえると、黒子は微笑む。
 そして、顔をゆっくり近づけた。名前はぐちぐちとひとりごちったまま、忍び寄る影に気がつかなかった。そして、先生と黒子が至近距離で呟いたころに唇が重なった。
 名前の目が見開かれた。

「先生、目は閉じてください」

 目をかっ開いたままキスをするなんて名前らしいと、黒子は思った。別にそのままでも良かったが、あえて目を手で隠した。
 重なっているだけなのに、名前がガタガタと震えている。手で視界を奪ってからは、さらに震えている。

「怖いですか?たかが、ませガキのキスが」

 そういうと、名前が固まった。

「なんだか、初々しいですね。もしかして初めてですか?」

 黒子からは可愛らしいお花が飛んでくるような勢いだが、名前は真っ赤になって動けないでいた。それは羞恥からなのか、からかわれたことからなのかは分からない。

「ずっと好きでした。中学の時から今も」

 唇を吸うとちゅうと音が鳴る。驚いて名前の手が動いた。

「あ、ああああっ、く、くくく黒子くん!!!」

「はい?」

「あ、う…、やめ」

「あ…、……」

 黒子は慌ててどくと、手を離した。名前は顔をりんごのように紅くして、恥ずかしそうに目を逸らしてしまった。

「すいません、気持ち…悪かったですよね」

 黒子が縮こまると名前が起き上がった。そして、ただ俯いて唇を噛み締めていた。

「………」

「あの、…せんせ」

 言い切る前に黒子の胸倉を掴み上げ、お互いの前歯がガリッとぶつかった。
 重なる唇より先に、歯がぶつかってしまった。名前が仏頂面で、黒子を突き放すとどうだというような顔をする。

「バカにしないでちょうだい」

「…先生、」

「な、なに」

「先生はキスが下手くそなんですね」

 そんなところも初々しいと思えた。きっとこれは互いに好いているからこその展開なのだろうと黒子は頭の片隅で考えた。

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