■ 引きこもり

 名前は新学期が始まっても学校には行かなかった。
 昼過ぎになっても布団から出ることはない。高校に入ってからはこんな生活を繰り返していた。
 自堕落な生活に加えて仮想サーファーである名前にはパソコンが絶対に手放せない代物だ。
 時計が14時を指した所で、一階から玄関のドアがバタンと閉まった音がして、名前は更に布団に絡まるように潜り込む。
 ドタドタ歩く足音に名前は狸寝入りを決め込んだ。
 ほんのちょっとの沈黙が訪れる。
 そして一分もしない間に名前の部屋のドアが開き、ズボンの裾が擦れる音を響かせながら、再びドアを閉め、丁寧に鍵まで掛けた。

「名前、ただいま」

 狸寝入りを決め込む名前に黒子はため息をつくと、ベッドに近づいた。
 するりと布団を撫でている感触がする。

「起きてるのでしょう?」

 それでも狸寝入りをする名前に黒子は優しく問い掛ける。

「引きこもりは治すつもりはないのですか?」

 布団を撫でいた手が消え、少し寂しく感じた所で、ベッドがギシリと揺れた。
 そのまま、布団越しに名前の腹へ黒子は跨がる。

「名前、ボクは大学に行きます。保育士を目指してるんです」

 今年で誠凜高校を卒業する黒子は大学生になることを心に決めていた。
 毎日、名前の部屋に寄り道して帰るのも中学の時からの日課だった。
 いつからか名前は学校でのイジメに心が折れ、引きこもるようになった。
 高校に進学してから、中学での噂でイジメを受けるようになり、最初は頑張って通っていた高校も、今ではただのトラウマに過ぎなくなっていた。

『・・・・・・もう三年なんだね』

 狸寝入りを諦めて、布団の中から返事をした。
 黒子は丸く膨らむ布団を見下ろしている。

「はい。もうすぐ卒業です」

 三年間を無駄に過ごしてきたことは分かっているが、それでも学校に行くのは億劫どころか吐き気さえ促す。

『テツヤ、大学受験、・・・頑張ってね』

「はい。頑張ります」

 それだけを言いに来たのかと思っていたが、黒子は一向に出ていこうとしない。
 それどころか、腰を折って上半身を倒し、布団ごと名前を抱きしめた。
 そのまま、ゴロンと横になり布団の中に入る。
 中では名前のボサボサの髪の毛に遭遇し、指で掻き分けていく。

「名前」

 名前の顔を見つけたところで、黒子は頬を撫でた。

「ボク、一人暮らしも始めるんです」

『そうなの・・・・』

 今度は布団越しではなく、直に抱きしめる。布団に温められて名前の体温は高めに感じた。

「でもボクは不安です」

『うん』

 何となく察していた。一人暮らしと聞いた時点で。
 黒子の胸板に擦り寄れば、学ランから伝わる温かさに身を委ねて目を閉じた。

「一緒に来てほしいです。バイトをするので生活は苦しくても絶対に養います」

 いつまでも甘やかしてくれる幼なじみに、そっと抱きしめ返した。
 小学校の時は毎日一緒に登下校をして、教室でもいつも一緒にいたのに、今は遠い存在に感じる。

『ダメだよ。無理に決まってる』

 黒子は息を漏らす。同時に耳元に唇を寄せて低く囁いた。

「平気です。それにボクは名前を甘やかせたい。ドロドロに甘やかせて、ボクに依存させたいんです」

 唇が耳にキスをしたところで、名前は顔が熱くなるのを感じ、逃げようと布団の中で、身をよじった。

「逃げようとしても無駄ですよ」

 ボクが保父さんになったら結婚するんですから、と少し嬉しそうな声が聞こえた。




∝∝∝




 名前が薬指の指輪をうっとりと眺めて、机に突っ伏す黒子の肩を揺すった。

『こんな風に口説いてくれたよね』

「やめてください、黒歴史なんです。あれが最高な紳士の振る舞いだと思ってたんです」

 顔をあげようとしない黒子は、耳まで赤くしている。

『いやぁ、あれはドキュンときたね。ドロドロに甘やかせて、依存させたい、だってぇ〜』

 きゃあー、と声を上げる名前に対し黒子は押し黙った。




 今年から保育士。今年から夫婦。二人は今年で28歳。




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