■ メテオ

※主人公が幽霊
※少し暗い


 夏の夜は都会も田舎も変わらず星が綺麗だった。
 近頃は深夜でも蝉が鳴いているらしい。
 それはコンビニや建物から溢れる電気の光りを太陽の光りと勘違いしているからだそうだ。
 近所の土手で天体観測をしていた名前は緑茶の入ったペットボトルを握りしめた。
 天体観測とは言え、望遠鏡を持っているわけではない。
 ただ見つめているだけ。
 星が瞬く度に名前の心は高鳴る。
 静かに天へ手を伸ばした。いつかは宇宙へ行ってみたい。神秘のそらへ。
 そんな話を好きな人に話したことがある。
 図書室で二人きりになったときだ。
 すると彼は読んでいた本に栞を挟んで閉じた。

「素敵な夢ですね」

 そして黒子は宮沢賢治の『注文の多い料理店』の再版の更にコピーを取り出した。
 白い指がハードカバーの表紙をゆっくりめくる。
 目次を目で追う黒子は、長いまつげを伏せたまま微笑んだ。

「銀河鉄道の夜を読んだことはありますか?」

『…タイトルだけなら聞いたことあるよ』

 黒子は嬉しそうに粗筋を辿る。
 夏風がふわりと舞い込む。

「銀河鉄道の夜はジョバンニという孤独な少年が、カムパネルラと銀河鉄道を旅する話なんです」

『…へぇ』

 はっきり言うと意味が分からなかった。黒子はそんな名前を気に留めることも無く、続ける。

「ジョバンニは先生に聞かれました。天の川の仕組みについてを。ジョバンニは答えを知っているのに答えられませんでした。カムパネルラも同様」

 ストーリーを丸暗記しているような黒子の口ぶりに名前は関心して目を丸くする。

「そして放課後、ジョバンニはアルバイトをしに行きます。しかし周りの大人の目は冷ややかです。パンと砂糖を貰い、家に帰ると病弱な母が待っています」

『お父さんは?』

 そんな些細な問い掛けに黒子は悲しそうに言った。

「彼のお父さんは漁に行ったきり帰ってこなくなりました。だからジョバンニはクラスメイトにからかわれました」

 黒子は続きを思い出すように、窓の外を眺めて黄昏れた。

「ジョバンニは銀河の祭を見に行くと言って夜に出かけていきます。しかし、そこでの出来事は彼をやるせない気持ちにさせるには十分でした。村の丘でジョバンニは一人孤独を噛み締めます」

 いつの間にか夢中になって聞いていた。
 そのことに黒子は気づいていたのか、話を中盤へ進める。

「そして突然アナウンスが聞こえてくるんです。こちらは銀河ステーション、と。気がつけばジョバンニはカムパネルラと銀河鉄道へ乗り込んでいました。そして旅が始まります」

 黒子の声がピタリと止まった。名前が続きは?と焦れるが黒子は、優しく微笑んだまま「注文の多い料理店」を差し出した。

『え、』

 意味が分からずに名前がぽかんとする。

「続きはこの本を読んでください」

 この下りをするつもりで中盤へ進めたのだと分かると名前はむくれた。

『最後まで知りたい』

「知りたいなら、読んでくださいね」

 そう言って黒子は図書室のカウンターへ消えた。
 その背中はどこか寂しそうだった。確か全中三連覇したと聞いていたが、黒子はうれしくなさそうである。原因はきっとそれであろう。
 名前はそれ以上声を掛けることが出来なかった。


 それからすぐのことだった。その日の放課後、名前は想い人に手紙を渡した。
 好きだと言うことを伝えたくて、想いを手紙に託してみたのだ。

『その、家で読んでね。恥ずかしいから…』

 黒子はキョトンとし、恥ずかしさで走り去る名前をずっと見ていた。




 三日前の出来事とは思えないくらい遠い話に感じた。
 名前は夜空に広がる満点の星を眺めて、河に近づいた。

『…ジョバンニは死んだお姉さんに会うんだよね。切符は永遠でどこにでも行けて、…帰ったらカムパネルラは川で行方不明になってて』

 あのあと、必死に読んだ。もうすぐ流星群が来る。
 空を仰いだ。彼はきっと来ない。名前の目からは涙が溢れた。
 名前はボロボロの制服の袖で涙を拭った。
 血液がこびりついた制服は風邪になびいて、ふわりふわりと舞った。



 もう大声で泣いても誰も気がついてくれない。
 涙がとめどなく溢れ、名前は子供のように泣いた。



 そんなときだった。土手の上でキィィィッと自転車の甲高いブレーキの音がした。
 ガシャンと自転車の倒れる音がし、名前は土手を見上げた。

 ヒュンと風が駆け抜け、名前は思わず尻餅をつく。
 数メートルはなれた位置に目を向けると、河へよろよろと駆け寄っていく黒子が見えた。

『!!』

 空には流星群が流れていく。
 黒子はただ流星群を眺めて、ドボドボと河へ入っていく。

『黒子くん!何して…』

 名前は慌てて立ち上がると、黒子に続いて河へ入った。

『ダメだよ!危ないからッ』

 手を伸ばした。そして名前はハッとする。
 黒子は泣いていたのだ。その手にはしっかりと手紙が握られていた。

「…名前さん、ボクはカムパネルラになりたいです」

 流星群がザァと流れていくのを感じながら、黒子の言葉に名前は息を呑んだ。

「名前さん、…今ボクはひどく後悔しています」



∝∝∝



 あの手紙を渡した日、名前は轢き逃げに遭った。十メートル程、ワゴン車に引きずられ、死んだのだ。
 そのころ黒子は家に帰った頃だった。そしてすぐに手紙を読んでいた。

黒子くんへ

三日後、○○町の土手から流星群が見ることが出来ます。
私と付き合ってもらえるなら一緒に見ませんか?

それからバスケを嫌いにならないでください。

名前

 そんな簡素な手紙だったが、黒子は素直に嬉しかった。
 そして翌日、黒子は名前が死んだことを知った。



∝∝∝



 流星群が消えた。
 黒子は腰の辺りまで河に浸る。

「あの時、手紙をもらった時点で内容は察しがついていたんです…。あの時に追いかけて、…返事をしていたら…」

 黒子は嗚咽を噛み殺し、誰もいない土手で呟いた。

「…ボクは宇宙に行けなくても、…銀河鉄道に乗りたい」

 そうすれば貴女に会える、とうなだれた。
 名前は黒子が来てくれただけでも嬉しかった。しかし黒子の言葉がどんなことを意味するのか分からないほど子供ではない。

「貴女に会ったら、ここに帰ってきて、カムパネルラのように溺れ死んで…、貴女と同じ場所に行ける気がするんです…」

 名前はそんなことはさせまいと、黒子の腕を掴んだ。
 そして耳元で囁いた。

『こちらは銀河ステーションです。銀河鉄道は今夜流星群と共に旅立ちました』

 それが精一杯だった。
 黒子は目を見開いて、空を仰いだ。

「い、いま…」

 星の降り注ぐ夜に私は消えた。

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