■ 苛まれたという名の虚言。
おかしいと思ったときにはもう遅かった。有らぬ噂が学校内に広がり名前は全てを失った。
クラスの全員が自分を見て笑っている。そんな気がして仕方がない。
直接なにかされるわけではない。ただ誰も話し掛けてくれなくなった。
そんなある日のことだった。廊下でバスケ部で有名な黄瀬と緑間を見かけた。それだけで廊下を歩くのが億劫になる。
しかし、廊下を抜けて職員室に行かなければならないのだから、心内とは裏腹に早足になる。できるだけ早く追い抜かしてしまいたかったのだ。
足音と気配と息を殺し名前は歩みを進める。
あと少しで追い付くところで名前は廊下の窓の向こうからの悲鳴に気を取られた。
そちらを見ればスローモーションで野球ボールが飛んで来ている。窓が割れる音が響き、避けることも出来ずに名前の視界は呆気なく赤く染まった。
信じられない程の激痛と、ざわつく周りの目が深く突き刺さる。名前の周りには人だかりが出来た。まるでドーナツ化現象のようにポッカリ穴の開いた中心に名前がしゃがみ込む。
誰も助けてくれないことは知っている。加害者である者は友人に大丈夫だよと慰められていた。
そこで揺らめく名前の心。
『(何故そいつが心配されてるの…?)』
どうしようもない怒りが滲み、右目から滴り落ちる血を抑えるように瞼に手を当てた。
苛まれているこの瞬間が嘘だと言うならば、何で表現すればいいのだろう。
チャイムの音が聴こえてギャラリーは更にざわつく。先生はこの騒ぎに気づかないのだろうか。
どこかで教室に戻ろうと誰かが言った。そして散り散りになる生徒はまるでオモチャに飽きた子供のような目をしている。
名前は泣きもせずにただ呆然と座り尽くした。
しかし崩れ去った人だかりの中に一人残される人がいた。
水色の髪に、きっちりと着こなした制服。彼は誰だろうか。そんなことを考えているうちに彼、もとい黒子がしゃがんだ。
「ボクと保健室に行きましょう」
すっと差し延べられた手を名前は眺めた。無反応の名前に彼は困った顔をする。
それでも名前は無反応を決め込んだ。勘違いで舞い上がり、裏切りが待っているような気がして仕方がないのだ。
だからか名前の口から出た精一杯の言葉は素っ気なかった。
『ほっといて』
名前は制服に血が垂れるのも構わずに動こうとはしない。
「おい、」
真後ろから声を掛けられたが、名前は俯くだけだった。この声は緑間だ。
「…ハァ、黄瀬」
ため息とともに紡がれた言葉は隣にいた黄瀬に向けられる。
「なんスか?」
「お前が保健室へ運ぶのだよ」
後ろからの会話すら名前は聞く気力がない。
「緑間くん、黄瀬くん。彼女はボクが運びますから、先生の所に事情を話してきてくれませんか」
黒子の提案に、ずっと今までの事件を見ていたであろう緑間と黄瀬は顔を見合わせて、仕方ないとばかりに頷いた。
職員室へ向かう二人を見送り、黒子は俯く名前の片腕を取る。
「行きましょう。ボクたちは貴女の味方ですから」
『だまれ』
「まずは保健室に行って止血しましょう」
『うるさい』
「…それから、病院に行きましょうか。ボクもついて行きます」
『あっちいけ』
名前の声が低くなっていくに連れて、黒子の表情は歪んでゆく。
「……なら一人ぼっちでいいんですか?」
『……………切り捨てたのは皆の方だもん。私は悪くない』
黒子は、そんなことを聞きたい訳じゃないと言う。
「ボクは一人ぼっちだなんて嫌です…」
『……だから何?』
黒子が名前の脇の下に手を差し込んだ。そして小さな子供を抱き上げるように 、名前を真正面から抱えた。それに驚いた名前は左手で黒子の肩を叩いたり、髪を引っ張ったりした。
「……助けれなくて、すいませんでした」
その一言に名前の動きはとまる。短い言葉に込められた重さが伝わるくらいに、黒子は名前を抱きしめたからだった。
右の瞼に当てていた手の指の間から、血液が流れ落ち、黒子の肩を汚した。
「でも、今日からボクらは友達です。いつでも助けに行きます」
歩き出した黒子の足から伝わる振動に身を任せた。
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