■ 06

 あれから一週間。その後の名前の言語の吸収力は凄かった。日本語はほとんど一日で完成したのだ。
 そのことに嬉しさを覚えた半面、黒子には少し怖かった。
 名前の赤い目を見る度に、ある人物を思い出すのだ。
 自ら裏切った仲間の目を。一番の信頼を置いていたのは青峰だが、それ以上に別の何かで繋がっていた彼は、聡明で真っ赤な髪に、オッドアイが特徴であった。
 無邪気な名前がいつかはあの目に変わってしまうのではないかと思うと辛かった。

「テツヤ、あの本が読みたい!!」

 すっかり敬語が抜け、自発的に興味を引いたものはすぐに黒子に報告する。

「あれは日本史ですよ?多分、名前さんにはまだ早いかと…」

「テツヤの辞書があるから平気だよ」

 そう言ってくれるのは嬉しいが、本代が黒子の財布を苦しくさせた。
 ポケットの中の財布がこれまでに無いくらいにスカスカで、食費も泣いている。

「ら、来週末まで待ってください!!」













Act06













 食費が底をつきそうになっている。せめて給料日まで待ってほしい黒子は言い訳をした。

「いや!私、あれが読みたいの!!」

「む…、無理です!!ボクの財布が力尽きそうです!!」

 黒子は本のある場所から目を逸らした。名前の前では、そんな抵抗も脆いものだが、せめてもの足掻きだった。

「テツヤ!お願い!」

 せがむ少女はパンと手を合わせる。どこでそんな動作を覚えたかは知らないが最近、名前が黒子に懇願するときはいつもこうしていた。そして折れるのはいつだって黒子だ。

「名前さん、ボクを殺す気ですか!?食費がハンパなくヤバいです!!」

「でもっ、でもぉ〜!!」

 もはや、駄々をこねる少女と軍服を着た少年の周りには人だかりが出来ていた。
 ここら辺の住人はほとんどが顔見知りだから黒子の新しい家族、名前を見ると必ずと言って良いほど話し掛けてくる。

「だめです!!あ!なら図書館行きましょう!ね?ね?」

 焦った黒子は勤務中にも関わらず、図書館に行こうと言った。これからは、名前を連れての巡回は止めようと内心思いつつ、図書館へ行こうと誘ったことを後悔している。

「図書館!?なにそれ!」

「本が無料で貸し出しできる場所です!Let's go to library!!です」

 合ってるのやら怪しい英語を話し、有無を言わさずに黒子は名前の手を引いて歩きだした。




***







「すっ、すみません!」

 図書館の隅で黒子の声が響く。平日なので図書館は名前と黒子くらいしかいない。
 ゴツい携帯というよりトランシーバーのようなモノを片耳に当て怒ると怖い部下が怒鳴り散らすのを大人しく聞いていた。
 後ろでは嬉しそうな顔をして本に夢中になる名前がいる。

 何回謝ったか分からないが通話時間は約1時間。

「お、恐るべし、部下の説教…」

 手の中の無駄に大きな携帯を握りしめ何度か名前を見る。
 名前が大人しく座って本を読んでいるのを見てなんだか黒子も本が読みたくなってきた。
 ポケットには入らない携帯をウエストポーチにしまいながら本棚に目を移す。

「……………」

 ある本の背表紙を見つめ、一冊取り出した。
 再び名前のいる席を見ると、名前の後ろには金髪の青年が立っている。どうやら名前の読んでいる本を覗き込んでいるらしい。

 白のシャツにジーパンを履いた彼。どこかで見た顔だった。彼は……。


「き…、黄瀬くん」

 思わず声にしてしまい、名前はこちらに振り向く。

「テツヤ、何か言った?」

 名前の真っ白な髪が揺れる。黄瀬と呼ばれたその人は名前の髪に触れて笑って黒子の方を見る。

「黒子っち、気づくの遅いっスよ?」

 名前の髪を指に絡めては解き、また絡める。名前はそれに驚き黄瀬の方を見て硬直した。

「ホントだったんスか。軍に入ったって」

 そこで初めて黄瀬の存在に気づき、名前は怯えて、黄瀬から離れようと椅子を下りる。

「黄瀬くんには関係ありません」

 小走りに走ってくる名前を黒子は手を引いて引き寄せた。そして自らの後ろに隠す。

「………テツヤ、あの人、怖い」

 どうやら名前には見る目があるらしい。確かに昔と比べたら雰囲気は変わった。黄瀬も。黒子も。名前がそう思うのも仕方がない。

「黒子っち、軍は俺らの敵っスよ。一回目の忠告っスからね」

「………ボクは勝つためなら軍だろうが何だろうが利用します」

 黒子の左目は眼帯で覆われているが、右目だけで人を殺せそうな位の眼光をしている。

「その後ろに居る餓鬼も利用するんスか?」

「…彼女は関係ないでしょう」

「ふぅん」

 黄瀬はどうでもよさそうに爪を弄る。綺麗に整えられた爪はツヤツヤと光っていた。

「テツヤ…」

 軍服の裾を掴む少女は黄瀬を見つめたまま動けないままだった。

「でも、まぁ黒子っちが俺と組んでくれるなら…逃がしてあげてもいいっスよ」

「……馬鹿言わないでください」

 黒子がウエストポーチに手を突っ込む。中からチラつくのは小型のナイフ。

「名前さん、どこかに隠れててください。ボクが呼ぶまで出てきてはいけません。図書館の中で出来る限り奥へ逃げてください」

 軍服を掴んでいた手が離れ名前の気配が消えた。大人しく黒子の指示に従って出て行ったようだ。

「やっぱ、やり合わなきゃなんないスか…」

 黄瀬は前髪をかきあげ不適に笑った。黒子は滑稽だと言わんばなりにあざ笑う。

「それが契約者の運命で定めです。どちらにせよ殺し合わなければならないんですし」


 ナイフを両手に持ち黒子は構えた。黄瀬は丸腰で挑むつもりなのかジーパンのポケットに手を突っ込んだままである。

「…二度目の忠告はしないっスよ」

 美しい顔立ちを歪ませて黄瀬は忌ま忌ましく呟いた。
 表面は黒子の方が何枚も上手であるが、戦闘においては黄瀬の方が上である。
 しかし、黒子は圧倒的な不利の状況にも関わらず、ほくそ笑むだけである。

「上等です」

 黒子が右手に握っていたナイフを黄瀬に投げる。
 ヒュンと空間を裂いてナイフは真っ直ぐ黄瀬に飛んで行く。余裕たっぷりの黄瀬は机の上に広げられた本をとり顔を庇う。

 ドスッと本に黒子の軍に支給されたナイフが刺さる。

「本は大切にっス!」

「黙ってください。というか盾にしたのは黄瀬くんでしょう!!」

 黒子が左目の眼帯に手をかけた。そこで黒子は躊躇してしまった。本来、契約者には一人一つの能力がある。
 黄瀬も黒子も契約者。黄瀬の能力は模擬。すなわち、コピーなのだ。能力を使えばコピーの限界はほとんどなくなる。

「………っ」

 眼帯に伸ばした手を引っ込めた。
 もともと不利であるが、今戦えば黒子は更に不利になる。今もこれからも。
 この左目に頼るのは最終手段の時だけ。たった今、肝に命じた。
 黄瀬はそのことが不思議だったのか、眉を寄せた。

「…使わないんスか?」

「……………」

 左手のナイフを黄瀬に放る。今、黄瀬と戦っても黒子に勝ち目はない。

「ねぇ、また俺と組もう?」

「お断りします」

 黄瀬はナイフを避けると笑って言う。

「……らしくないっス。何で軍なんかに入ったんスか…」

 憎々しげな表情で一気に黄瀬は黒子へ間合いを詰める。黒子はさせまいとバックする。

「…君には関係ありません。それにボクの相棒はいますから」

 黄瀬がピタリと止まり黒子は出来る限りの間合いを置いた。

「相棒…?誰っスか…」

 黒子は不適に笑う。

「君達なんかよりずっと聡明ですよ」

 将来が楽しみです、と黒子は言った。
 そうだ、気づいてしまえば簡単なこと。

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