■ 27
「ボク、名前さんに言ってないことがあります」
黒子が玄関でしゃがんだまま名前に呟いた。名前は小さく息を呑んだ。
「え…」
名前は目を見開き、涙は止まる。
「少しで良いんです、…聞いてください」
いつもなら慰められる名前は黒子を強く抱きしめた。黒子がカタカタと震えているのが分かる。
名前は頷く。
Act27
ホットココアが入ったカップを眺めながら名前は静かに待った。
場所は変わってリビング。
黒子はそっと息を吐いて、話し出した。
「最初にボクが言ったボク自身の過去を覚えてますか?」
「…確か8歳の時に目の前で親が殺されたって」
黒子は頷く。
「実はその話にはまだ前フリがあるんです。別に隠してたわけじゃありませんからね」
名前はホットココアを一口飲む。ほろ苦い味が口いっぱいに広がる。
「実はボクが5歳のときに本当の両親が死んでいるんです」
「え、じゃあテツヤが8歳の時に目の前で…殺されたのは…」
「まぁまぁ、」
取り敢えず聞けと黒子がなだめ、名前を黙らせた。
「小さかったボクには死ぬということが分かりませんでした。ですが、呼び掛けても返事をしない母。毎日、腐敗して変わり果てる母。ボクは怖くなってある日、住んでいたスラム街を抜け出しました」
名前はキュッとスカートを握る。
「何日間もさ迷ったあげくに空腹で倒れたボクはある人に拾われました。それが8歳の時に目の前で殺された義理の両親です。もう名前すら覚えてませんけど」
黒子の目には悲しみの色が混じりホットココアをユラユラ揺らした。
「……テツヤは、…いつからスラムに?」
「さぁ?物心ついた時から居ましたからね。多分スラム街で生まれたんだと思いますよ」
ズズッとホットココアを啜る黒子はやはり悲しそうだ。
「そうなんだ」
「…ボクはもう二度と家族を失いたくないんです」
黒子が名前の軍への就職を反対した理由だった。
「…ごめんなさい」
「いえ。ですがもう、心配かけないでください」
海の匂いがした。雨はもうやんで肌寒い夜がくる。
***
「…緑間っち、名前っちは今頃げんこつでもくらってるんスかね?」
横に座る緑間に問い掛ける黄瀬は自らの墓石に腰掛けらんらんと足をばたつかせた。
「知らないのだよ」
黄瀬の隣は緑間の墓が並んでいる。黄瀬同様に自らの墓石に腰掛け雨上がりの空を見上げた。
「…覗きに「行かないのだよ」
緑間がフンッと鼻をならし黄瀬の言葉を遮る。
「黄瀬は何故そんなに嬉しそうなのだよ…」
呆れ顔の緑間に黄瀬はニッコリ笑った。
「だって、名前っちが皆の仲を繕い直してくれてるような感じなんスよ?なんだか、昔に戻れるような気がして、嬉しいんス」
「それがどうしたのだよ」
黄瀬は遠い夢を見ているような顔で言う。まるで現実になることを願うように。
「俺、死に際にまた皆で暮らせたらなって、思って。きっと緑間っちもそう思ったと思うっス。だから今、幽霊なんでしょ?俺たち」
緑間が少し考えて頷いた。
「案外そうなのかもしれないな」
「いやむしろ、そゆーことなんだと思うっス」
星が出て来た。空は街明かりで明るく星は指で数える程しか無いがそれもまた良かった。
「次はいつ皆と暮らせるっスかね!」
「さぁな。ただもしかしたら近い未来かもしれん」
「そうだと良いっスね」
二人の幽霊は仲間がこちらへ来ることをただ待つ。別に早死にしろと言っているわけではない。
ただ、その日が来るのを楽しみにしているだけだった。
***
自室のベットに紫原から貰った本を広げた。いつか夢で見た世界線の話しだ。
表紙にはアルファベットの"A"の文字。そこからは掠れて読めなかった。
きっと敦の"A"だと思って読み進めるが科学のことはからっきしである。
「えーと、意味不明すぎてわからない。辞書にも載ってない用語ばかりだよー」
あっくんって頭良いんだと思いながら読む。そこで気になる話しが目に飛び込んだ。
"世界線説の解説"
「(なんだ。最初からこれを書いとけば良いのに)」
専門書だから仕方ないが名前は思わずふて腐れた。
取り敢えず読んでみる。
世界線について。
この世には対になる世界がある。鏡合わせしたかのように何もかもが同じである。しかし対になっていることには変わりはない。仮に私たちが住んでいる世界をα線とよび、対になる世界をβ線と呼ぶことにしよう。それらをまとめて世界線と呼んでいる。
α線では文明、ともに技術は発達こそはあまりしていないがβ線では文明、技術などが発達しておりα線よりも歴史が深いと思われる。
「β線の世界は平和でグローバルで今のα線の人々には楽園とも言える」
名前はその楽園に行けるのかとパラパラとページをめくる。
しかし後半のページで現段階ではいくことは出来ないと書かれていた。これはβ線でもそうらしいが世界線の説自体が本当なのかすら怪しい。
「……」
急に阿保らしくなってきた。紫原には悪いがどうも思考が受け付けなかった。
「そんな説に惑わされる程私は馬鹿じゃないもん」
電気を消して眠りについた。髪の毛が大分伸びてきたな、と思いながらまたあの夢を見るのだろうか。
***
自分の過去をサラリと語ってしまった。そして情けない顔を見られてしまった。
「はああぁぁぁ…」
別に後悔はしていないが何故か心が折れそうだった。随分と長い溜め息の後、黒子は自室に戻りベットにダイブする。
「(ボクはどうすれば…)」
名前を守りたい一心で軍の上層部を潰し、契約者を殺した。家族を守るために。最初は家族"ごっこ"のつもりだったが、名前が契約者だということが分かり利用しようと思っていた。
しかし、今は大切な家族。利用してやろうと思ったはずなのに、気がつけば昔から欲しかった"家族"になっていた。
矛盾してきた自分の感情が更に情けなくなりまた溜め息をつく。
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