■ 11

 朝になって名前は思った。昨晩、シリアスな気分でアッサリと就寝してしまったがもしかすると赤髪の男は泥棒ではないだろうか。
 何故かパンツ一丁特集的なモノを真剣に読んでいる黒子を横目に、それはヤバいと思った。サクサクのトーストをかじる。

「ねぇ、テツヤ。近所に髪の毛赤い人っている?」

 黒子は誌面からは目を逸らさずに答えた。

「…そうですね。斜め向かいの家の奥さんが確か赤い髪でしたよ」

 検討違いの答えに名前は、どうしようもなくなる。黒子のことだから、きっと深追いはしてこないだろう。
 しかし正体が不明というのは何とも不安である。

「そっか」

「どうかしたんですか?」

 そうは言うが、見向きもせずにパンツ一丁特集を見る黒子は問う。

『ううん。何でもないよ』

 こうして否定をすれば、彼は何も聞き返さない。
 なにより泥棒にあったと言うと訳にはいかない。苦しい言い訳をつくより楽に否定をした。

「…そうですか」

 そこでやっとパンツ一丁特集から目を離す。

「テツヤ、話し変わるけどさ」

「なんですか?」

 コーヒーを啜る黒子は再びパンツ一丁特集を眺める。
 名前はそこでやっと言いたいことを言うことにした。

「私、テツヤがパンツ一丁で歩き回ってても平気だよ」

「え…?」

 黒子の丸い目が名前を捉える。その目は驚きに満ちていた。











Act11








 先程からチラチラと見えている記事が男が見たら卒倒しそうに思えてしかたがない。
 だからこそ名前は気になって声を掛けた。黒子がいままでパンツ一丁でいるところなんて見たこと無いが、真剣に読んでいたのが名前には簡単に分かった。

「だ、…だから、パンツ一丁のテツヤも好きだよ」

「…………ありがとうございます」

 気まずくなってしまって名前は言い訳を考える。

「そのね、…別にテツヤのパンツが可愛い?とかじゃなくてっ!あ、いや可愛くない訳じゃないんだよ。え、えと……、あっ!テツヤにはパンツ一丁が似合う……気が、……………」

 そこまで言って、とんでもない発言をしてしまったのだと気がついた。嫌な空気が流れる。軍服の黒子はとても軍人とは思えないような間の抜けた顔をしている。

「あ…、えっと。…………………………ありがとうございます」

 何故、礼を言うのかは考えたくもない。名前は冷や汗をだらだらと流しながら、そっと視線を逸らした。

「う………」

 黒子の顔が真っ青になった。ヤバいと思ったがもう遅い。
 名前と黒子は終始無言の出勤をすることとなった。











***












「そんなことがあったんですか…」

 部下がコーヒーを出しながら同情する。
 コーヒーカップからは湯気がゆらゆらと揺らめきながら舞い上がっていく。
 その香ばしさに癒されながら、黒子の心は枯れた花のように萎れていた。

「ボクってそんなにパンツ一丁が似合いますか…?」
 コーヒーカップを持ち上げて、悲しそうな目で中を覗き込む。そんな黒子に部下は同情しかできない。

「いや…、あまり想像つかないんで何とも…」

 名前が黒子の本に夢中になっている間に今朝の出来事を話すと、部下は反応に困りながらも返してくれる。

「散々です。別に僕は名前さんの前でパンツ一丁になった覚えはないのですが…」

 黒子は立ち上がり机の引き出しから封筒を取り出し無言で部下に差し出した。中身は、黒子が直々に受け取った仕事について書かれた紙が入っている。
 それは黒子以外には内密だが、本人は守る気などなさそうだ。
 部下が黙って封筒の封を切った。こういう所が二人の信頼関係を静かに語る。

「男が誰しもパンツ一丁だなんて思わないでいただきたいですね」

 黒子は封筒を渡したことすら嘘のように、譫言を紡ぐ。部下は、その場で封筒の中身を覗いた。
 しかし口の方は、黒子の話に対する応答しか紡がれていない。

「まったくですね。それでは今日から作戦を実行ですから、お気をつけて」

封筒の中を確認した部下は口元を緩めて微笑んだ。

「今日からは巡回と言う名の言い訳をつかなくても良さそうですね。隊長」

 やっと話が封筒の中身の内容に変わる。黒子はやれやれと言うような顔で部下を見遣る。

「えぇ。少々気が滅入りますが延々とデスクワークするほうが嫌ですから」

 黒子がコーヒーカップを置いて蓋をすると、重い腰を上げた。
 部下が敬礼をするが、黒子は手を振って、なおれの合図を送る。部下は敬礼を止めた。

「名前さん。行きますよ。仕事です」

 本をパタンと閉じて黒子に駆け寄る名前は部下に手を振り笑う。
 その無邪気な笑顔は、これから起こるであろう出来事に壊されてしまうのかと思うと、部下は虚しくなる。

「行ってきます!テツヤの部下さん!!」

 何とも不思議な呼び名だが、部下は気にする事もなく再び敬礼をした。












***










 コロンコロンと小石を蹴る。名前は黒子と手を繋いで、歩いていた。

「テツヤ。今日は散歩じゃないの?」

「違います。今日は仕事ですよ」

 珍しいと思った。いつも巡回と言って散歩をしている黒子が仕事だと言ったのだ。
 同時に疑問が湧き出る。

「そうなんだ。私がついて来て良いの?」

「ダメでしたら連れて来てはいません」

 黒子には黒子なりの理由があるのだ。そんな風に感じ、名前はそれ以上言わなくなる。

「…どんな仕事?」

「あまり大きな声では言えませんが契約者殲滅戦ですね」

 名前の目が大きく見開かれた。察しの良い名前のことだから、あまり良い言葉ではないと思ったのだろう。

「せんめつ…?」

「滅ぼすことです。あるいは皆殺しにするんですよ」

 名前は眉間にしわを寄せて俯いた。黒子の手をキュッと握る。

「契約者って前に言ってた…」

「はい。王家に反逆する能力遣いですよ。軍は王家を守るためにあるんです。決して国民を守るものではありません」

 軍がそんな存在でどうするのだ。まるで黒子たち軍人に命を狙われている我等の代わりに死んでくれと言われているようなものだ。
 いや、実際はそうなのだろう。
 名前は青い空を見上げて呟いた。

「意味、わかんない」

 話の意味を理解できなかったわけではない。ただ、国の在り方について遺憾の意が込み上げた。
 黒子も空を見上げて呟く。その瞳はどこか空よりも遠い所を映しているように見えた。

「ボクもです。ここから先はボクに関わる以上、名前さんも命を狙われる可能性があります」

 名前は見上げるのを止めかわりに黒子を見上げた。黒子は無表情で空を眺めている。
 それが愛しい無表情だと名前には思えた。

「いいよ。私、テツヤとだったら死んだって構わない。私のたった一人の家族だから」

 黒子は唇を一瞬だけ噛み締めて、名前を見つめる。

「そうですか。ならボクは必死に生きなくてはならないですね」

 しみじみと言う黒子の手を名前はさらに強く繋ぐ。黒子は手元を驚いたように見た。

「私はテツヤと一緒にいるの」

 言い聞かせるように言うと、黒子が微笑む。

「ふふ。名前さんは優しいですね。そうだ、これを…」

 何かを思い出しポケットから本を取り出す。一体どんな大きさのポケットなのか気になった名前だったが目の前の本を見て歓喜の声をあげた。

「日本史の本だ…!」

「それでよく学んでください。契約者とはなんなのか、軍は誰のためのものか、王家は何をしてきたかを」

 すべてを託したかのように黒子は言った。

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