■ 10
「君は、君のことをどれだけ知っているかい?」
ガシャンとコップを落とし名前は振り向いた。
知らない声が聞こえたからだ。白い髪はふわりと揺れ、ふわふわのネグリジェの肩を滑る。
「………」
そこに居たのは、赤い髪をなびかせて燃えるような紅蓮の瞳と、キラキラと光る黄色い瞳を覗かせて笑う黒子と同い年くらいの男だった。
Act10
「君は知りたくないかい?自分のこと。昔のこと。抜けた数々の記憶のこと」
名前はここでやっと口を開いた。
「ちょっと待って、抜けた記憶のことどうして貴方が知っているの…?」
初対面のはずなのに、何もかも知っているみたいで怖かった。黒子はまだ帰ってきていない。
「僕はなんでも知っているよ。君のこと。テツヤのこと。たくさん知っている。解らないのは他人の心だけだよ」
「そんなの分かっていないのと同じじゃない!」
名前は思わず叫んだ。赤髪の男は唇に人差し指を当てて微笑む。
「近所迷惑だよ。まったくテツヤがしっかり子育てしないから…」
なんて失礼なのだろう。不躾なのはそちらではないか。
「……テツヤの知り合いなの?」
胸糞が悪かった。仮に黒子の知り合いだとしても名前は優しくはできないだろう。
「まぁね。でも今は敵同士かな」
「敵?」
「そう。楽しいゲームをしているんだ」
大方嘘では無いと思う。名前は赤髪の男を睨んだ。
「……………」
「君も混ぜてほしかったら抜けた記憶を取り戻すといいよ」
不意に黒子の言葉を思い出す。
《貴女が貴女の力に気が付いた時。それがその抜けた記憶の正体です。記憶は完全に消えたわけではありません》
「…自分の力に気づいたとき」
赤髪の男は不適に笑う。
「テツヤはそう言ったのかい?」
「ねぇ、そのゲームはどんなルール?」
黒子は隠している訳ではないと言っていた。何とかすれば記憶を戻すことも可能なのかもしれない。
ゲームとやらも、ただのゲームではないだろう。
「ルールは君の参加条件が揃ってから」
「じゃあそれに勝ったらどうなるの?」
「願い事が一つ叶う」
「…願い事?」
「そう。嫌いな奴を消すとかでも良いし、あるいは世界を壊す、絶対的な富を手に入れる、世界を支配する…。なんだって良いんだ」
「…何よそれ」
寝巻の裾を握りしめ睨みをきかせる。そんな馬鹿な話があるわけない。
「ただし、願いを叶えるにはそれに見合った代償を払わなければならないらしい。その代償がどんなものかは僕も知らないけどね」
遠い遠い笑えない話に聞こえた。
「貴方は…それで良いの?」
「ははっ。どちらにせよ運命なんだ。背けることも、逃げることも出来ない。君もその一人」
「私が…?」
赤髪の男は名前に近づいて囁いた。名前は一歩下がる。
「一つ。教えてあげるよ。君の幼い頃の記憶はどうしたのかな?」
「私は奴隷だったから…」
赤髪の男が笑った。
「奴隷になるまえの記憶だよ。それと、黄瀬涼太の契約の代償は"殺す"ことだ…」
ぼーっとしていた。気がつくと赤髪の男は居なくなっていた。
名前は落ちたコップを拾う。割れてなくて良かった。それよりもさっきの男の最後の言葉が気になった。
黄瀬涼太とは誰なのか。契約とは何の契約なのか。名前の奴隷になる前の記憶がどう関係しているのか。
名前はキッチンの電気を消して部屋に戻った。窓からは海の匂いがする。
***
黒子が帰ってきたのは名前が再び眠りについたころだ。そんなことはお互い知るよしもないが。
軍服を脱ぎ捨て、パンツ一丁になる。このまま寝てしまおうと思ったが以前読んだ雑誌で『なぜ男は家でパンツ一丁になるのか』という特集をしていた気がする。
内容も酷かった。例えば、お父さんがパンツ一丁で友達と話していたとか、気持ち悪いとか、パンツ一丁で歩き回るなとか、兄貴のパンツみると吐き気がするとか…。男が家の中でパンツ一丁になる理由は特に無いがそこまでボロクソ言われると黒子も多少思うところがある。
ある妹の答えは、《兄貴のパンツみると吐き気がする》の他に《彼氏との体格差に笑える》、《死ね》というのがあった。名前が黒子のパンツ一丁を見たらそう思うのだろうか。
「…………パジャマを着ましょうか」
一応、黒子は名前の兄というポジションにいる。
正直、恐ろしい想像をして尻込みしてしまった。
「世界のお兄さん、お父さん。今なら貴方方の気持ちがわかります」
黒子は苦虫を噛み締めたような顔をしたのだった。
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