■ 09

 折れたペン先からはとめどなくインクが溢れだし留まることを知らない。
 最初こそは目を見開いていた黒子も顔面に当たる夕日をが眩しくなったのか目を細める。

「ボクが…ですか?」

 むしろ黒子からしては隠していることと言えば自分が契約者であること。
 でも、それを明かすのは名前が自分の力に気がついた時。隠してないとは言い切れないが、いつかはバレること。いやバラす予定だから何とも言えないが。

「私、図書館に行ったとき門を潜った…」

 黒子の表情は変わらず名前だけを見ていた。少しの静寂が訪れる。

「…………そうですね」

 間が開いて黒子が頷く。インクは机に広がり黒子の白い手に着いた途端に指先が黒く染まる。












Act09













「でもそこから先の記憶が無いの。気がついたらテントの中で寝てた」

「そりゃあ、門の前で倒れていた名前さんを運んだのはボクですから」

 今言った中で嘘はついていない。それは確かである。名前も何かを察したのか少し黙って考えたあとにまた黒子の名前を呼んだ。

「テツヤ」

「なんですか?」

「私に言いたいことがあるなら言ってよ」

 はっきりとした口調で、いつもと違い、有無を言わせぬような態度をとる名前に黒子は心底驚く。

「………ふふ」

 そして笑ってしまった。

「………?」

「そこまで分かったのなら仕方がありません。ヒントをあげましょうか」

「ヒント?」

 彼女は突如笑う黒子に不思議と言いたげに首を傾げる。

「貴女が貴女の力に気が付いた時。それがその抜けた記憶の正体です。記憶は完全に消えたわけではありません。いずれ復元すると思いますよ。あくまでボクの憶測ですがね」

「え?」

 黒子は更に続けた。

「名前さんが望むならそれも良し。しかし逃れられない運命は貴女にとっては辛いでしょうね」

「ちょ…ちょっと待って。どういう事?」

 黒子は笑いながら椅子から立ち上がり机の上のインクをティッシュで拭きはじめた。

「つまり…、その………。なんと言ったら良いのでしょうか。本当の自分を受け入れられるかどうか、ということです」

 指先に摘まれるティッシュは黒くなり水滴で重たくなる。
 名前はふて腐れたように『意味わかんない』と言って窓の外を見た。

「本当の貴女に気づいたとき全てを話しましょう。それに今言った中には嘘は一つもありませんからね」

 そう言って黒子はせっせと机の汚れをとる。名前はその光景をずっと逆光の先で見ていた。












***










 図書館崩壊事件の会議は深夜を過ぎた頃に始まった。
 名前は今頃、家で寝ていることだろうと黒子は思い窓の外を見る。右手に抱えるバインダーはしっかり書類が綴じられ、胸ポケットには予備の万年筆。
 軍部の長い廊下を歩き、奥にある会議室に入った。
 建て付けが少し悪いドアは重く唸る。
 入った途端に髭面の男が黒子を迎える。黒子は内心げんなりしていた。

「やぁ、黒子くん。お久しぶりだね。5分13秒遅刻だよ」

「ふふ。申し訳ありません。少し、家族の世話をしてから来たので」

 豪華というより上品な長机のサイドにはよく見る顔ぶれが揃っている。一番奥には軍総司令官が堂々と座っていた。

「無駄話は良い。黒子くん、報告を」

「はい。報告させていただきます。午後の巡回はボクの日課ということは皆さんもご存知の通りです」

 黒子が仕事も放り出して巡回と言い訳して散歩に行くのは軍部では有名だから、髭面の男も含めて自嘲の笑みを零す。

「そんな中、家族を連れて図書館に行くことになったんです。皆さんも聞いておられるかと思いますが、ボクは一週間ほど前から義妹をオフィスに連れてきています。その子を連れて行ったんですが」


 総司令官は依然とし黙って聞いている。

「そこで契約者に遭遇しました。その際、火災が起き義妹は命の危機に陥り、何とかボクが逃がしましたが同時に契約者も取り逃がしました」

「そこから先は聞いている」

 会議室のむさいオッサンは次々に頷く。
 総司令官も席に座れと言い、また黙りこくる。そして数秒でまた口を開く。

「ありがとう。黒子大佐。君の仕事ぶりは聞いている。まぁ仕事を放って散歩に行くのはどうかと思うが不備はない。それに契約者相手によく生きて帰ってこれたな」

 そう。もし黒子が一般の軍人だったなら容赦なく黄瀬に殺されていた。
 黒子は黙って頷く。
 そして会議室の中にいるオッサンが立ち上がる。総司令官は命令した。

「黒子大佐。君を対契約者暗殺隊の隊長に任命しよう。存分に兵をつかいなさい。そして契約者から王家を守るんだ」

 黒子は姿勢を正し、真っ直ぐに総司令官を見る。

「総司令官直々のご命令、光栄です。命に代えてでも王家をお守りいたします」

 もっぱら黒子はそんなつもりは無い。口先だけだ。もともとこの国に散々地獄を見せられたのだから、それとこれとは別だ。

 全ては自分に合理的に。




 ビッと敬礼をして会議は解散となった。












***



















あ…




 あ…い……。





 あつい…。どうして…本が燃えているの?








 ここは…どこだろう?









 出口は…どっち?死んじゃう…。あつい!喉が渇いた。



 なんで燃えているの?どうして周りが燃えているの!?


 暑い…よ。







 熱い。



 あつ熱熱暑暑死暑契熱約暑者痛痛痛…!!





 たすけてっ!!






「テツヤっ!!」

 自分の声にはっとして起きた。黒子は会議に行くと出て行ってしまったから一人ぼっちである。名前は起き上がり汗でベタつく額を手近にあったタオルで拭いた。

「……ゆ、め?」

 とても不快だった。まるで奴隷だった頃のようだ。
 何とか立ち上がり部屋を出た。廊下は黒子が帰ってきたときのために電気が点いている。
 少し眩しかったが構わずキッチンに向かった。
 水が飲みたくてコップを出すと水道を捻る。
 寝ぼけた頭の中で巡る夢の中の映像は鮮明に覚えている。
 何の夢かも分からず、名前は水を飲んではまた水道を捻った。



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