■ 14

 何かを忘れている気がする。紅茶を飲みながら黒子は思った。揺らめくカップの中に映る自分が自分じゃないようにさえ思える。

「(…ボクは、こんな顔でしたっけ)」

 こんなにも大人びた顔をしていただろうか。
 紅茶に映る自分を見て、黒子の中に疑問が浮かぶ。なぜ、こんな突飛なことを考えているのだろう。
 目の前でサクサクとトーストをかじる名前はいつも通りなのに、自分だけがおかしい。そう感じたはずなのに、黒子の口は勝手に口走っていた。

「名前さん、その髪…、どうしたんですか?真っ白ですけど…」







Act14






 名前の目が大きく見開かれる。
 確かに頭ではいつも通りと思っていたのに、口をついて出たのはそんな訳の分からない言葉。名前の髪は"はくはつ"。決して"しらが"ではない。
 よく分かっているはずなのに、なぜ名前の髪が白ではなく、深い深紅だと思ってしまったのだろう。

『テツヤ、なに言ってるの…』

 黒子はしばらく虚無を見つめていたが、名前の視線に気がつき、すみませんと一言呟いた。

「もしかしたら、疲れがたまっているのかもしれません…。どうしちゃったんでしょうね、ボクは…」

 自らを自嘲するような話し方で、カップを机に置いた。名前は驚いただけで、気にはしていないようだが心配しているのがよく分かる。名前の目には不安だけが写されている。
 しばらくの沈黙のあと、再び名前のトーストをさくさくとかじる音がする。黒子も内心ドギマギしながら、トーストをかじる。
 半熟の目玉焼きがふわりと口の中で溶けた。



***



 いつもどおりに出勤はした。しかし、名前をつれて黒子は姿をくらました。当然、部下の機嫌は悪くなる。デスクワークだけはしない黒子だが、それでも尊敬の念があるからなのか部下たちは、確実に彼を上司として認めている。
 手を繋いで街を周る。黒子のほうが体温は低い。名前の小さな手が暖かくて心地よかった。
 晴れた空、澄み渡った空気。もうすぐ冬がやってくる。こんな風に平和ボケをしている暇なんてないはずなのに、黒子は退屈だと思った。
 契約者がまだ野放しなのだ。こんな風にはしていられない。
 黒子の中で小さな迷いが生まれる。

「(そもそも、契約者ってなんでしたっけ…)」

 大切なことなのに思い出せない。でも殺したくはないのに、殺さなくてはいけないという、果てしない意識がこびりついて頭から離れない。
 殺すという言葉が出てきただけで、相手は生き物なのだと黒子は察する。

『テツヤ!見て!!!』

 名前のやんちゃな声に黒子は我に返る。名前は広場に向かって指をさしていた。
 そちらを見ると、楽器を演奏しているバンドがいた。
 きっと人気のないバンドだろうに、名前は目を輝かせて聴きにいく。誰も足を止めなかったバンドの演奏に聴き入る名前はなんだか楽しそうだ。
 なんとなく便乗したくなって、黒子も名前の隣に立つと演奏に耳を澄ませた。かろやかなアコースティックギターに軽快なリズムのベース。たった二つの楽器に歌声を乗せて、街中に響く。
 いつの間にか、周りにはバンドと名前と黒子意外、誰もいなくなっていた。地面に置かれたギターケースにお金を投げ込むと、元来た道を戻る。名前はまだ聴きたそうにしていたが、契約者が自分を殺しにくるような気がして怖かった。
 


 これがいつもの日常だっただろうか…?


 

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