幸村の頬の色は日に日に薄れていった。
元々屋外スポーツをやってる身としてはあり得ないくらい色が白い奴だったけど、まるで絵の具を少しずつ水で延ばしていくように、幸村の頬は目に見えて薄くなっていった。
「やぁ、真田」
半身を起こし、布団を腰あたりまでかけた幸村がこちらを向いて微笑む。いつもと同じ光景。
今日は夕日が綺麗な日だった。
「調子はどうだ?」
いつもの質問。そして返事はいつもと同じ。
「変わらないよ」
うむ、と頷いて帽子を取って肩に掛けてた鞄とテニスラケットを部屋の隅に降ろした。
そのときに、幸村が一瞬ラケットに目を走らせるのを知ってる。そして深い青色の瞳が僅かに揺らぐのも、知ってる。
一度家に帰って荷物を置いてくることも出来るのだけど、そんなことはしない。毎日毎日部活帰りの格好で、テニスラケットをしょってここへ来る。
正直に言うなら、幸村への当てつけ。
何時如何なる時も、テニスを忘れることは許されない。俺達は王者立海なのだ。
「赤也は部活に出てる?」
「日頃から厳しく言っているからな、問題ない」
「そっか」
「どうした」
「なんか彼、恋したみたいだからさ」
「なに?」
「いやだな、そんな怖い顔しないでよ。部活に出てるなら問題ないでしょ」
「む…、」
顔をしかめると、幸村はうふふと楽しそうに笑った。暗いこと続きだったから、こうして明るい話題が入ってくるとそれは普段以上に彼の世界を明るくしてくれるのかもしれない。
たるんどる、と明日一発渇でも入れようと思ったが、幸村の笑顔に免じて黙っててやることにした。
未だ口の端に笑顔を残したまま窓の外を見つめる幸村の横顔は透明で、今にも真っ赤な夕焼けに溶け込んでしまいそうだった。
行くな、と言おうとしたけど声が出なかった。
(頼むから、俺の手の届かないところに行くのだけはやめてくれ)
繋ぎ止めるように、とっさにか細い手を握りしめていた。
「どうしたの?」
少し驚いた顔をして、幸村がこちらを見る。その瞳は嬉しそうに笑っていた。
なんでもないと首を振ったが、手を離すことはしなかった。少し見ぬ間に、またいっそう骨が浮かび上がった気がする。
くすくすと耐えきれなくなったように、幸村は笑った。
「赤也も俺たちみたいになるのかな」
「どういうことだ?」
「一緒に遊んだりキスしたりこうして手を繋いだり」
「…、」
それはつまり、俺達は恋仲だということか?と聞こうとしてやめた。
「ねぇ、キスして」
こちらを見る幸村の目が楽しそうに笑っている。望み通り、いつものようにキスをした。触れるだけの軽いキス。やっぱりいつものように、薄い唇は冷たかった。
幸村が入院してから数日後のある日、キスをしてとせがまれたのが始まりだった。
戸惑い悩む自分を見て、幸村は笑っていた。だけどその瞳の奥に揺らぐ孤独や悲哀を見つけてしまい、選択肢は無くなった。それからは毎回病室を訪れる度にキスをしろだの手を握れだの、友達の間柄としては深すぎる行為を幸村は要求した。そして俺は、それに忠実に従った。
唇が離れたとき、手を握ったとき、幸村は決まって心底嬉しそうに笑うのだった。それは今も変わらない。
キスをしたり手を繋いだりすることが恋仲だというのなら、俺と幸村はそういう関係にあるといえるのだろうが、しかし見て分かるように自分達の間柄はそれとは少し違っていた。幸村は病気の孤独や不安を、近くにいる俺で埋めようとしている。ただそれだけのこと。
そう割り切って、そう自分に言い聞かせて、ここまで来た。
『赤也も、俺達みたいになるのかな』
だけれど、先ほどの幸村の言葉は――…
真田、と呼びかけられて顔を上げる。
「なんだ」
「どうしたの、怖い顔しちゃって。だから後輩達に怖がられちゃうんだよ」
「む…、」
顔をしかめる俺を見て、可笑しそうに幸村は笑う。
「ねぇ、抱いてよ」
「な――っ!!」
「なんて顔してんの?抱きしめてって言ったんだけど。やだー、真田のえっちー」
笑う瞳が意地悪く光っている。またやられたと、あからさまに溜め息をついて、真っ白いベッドに片膝を乗せて細いからだを抱き締めた。
耳元で笑う気配がする。
「あー、落ち着くなー」
小さくつぶやくのが聞こえた。
どくんと心臓が脈を打つ。いつのまにかウェーブした髪に隠れた耳に、唇を寄せていた。
「好きだ」
知ってるよ、と幸村は言った。
「知ってる、ずっと前から知ってる。そんなことね」
別に俺は好きじゃないけど、と言ってまた笑う。
だけどやっぱり頬は以前よりも色褪せていて、笑顔はどこか透明だった。
「そばにいろ」
「……?」
「ずっと俺の傍にいろ」
(お願いだから、消えてしまうな)
幸村はきょとんとして、それからくつくつ笑った。
「決まってるよ、そんなこと」
嗚呼。
どうか、神様――…
fin.