ああ、まただ。ぎゅう、と堅く握られた小さな掌を視界の端に捉えて、緑間は胸の内で生まれた苛立ちを押し殺した。 なまえは、決して緑間の手に触らない。 部活でタオルを渡す時も巧妙にその肌が触れないようにしているし、並んで歩いても手を繋ぎたいとは絶対に言わない。そのくせ緑間から触れられるのは平気で、しかも幸せそうに目を細めたり、時には抱きついて甘えてきたりもするものだから、ますますわからない。 愛されている自覚はある。自信もある。だからこそなまえの行動がわからなくて、知りたくて。 緑間は、行動に出ることにした。 「なまえ」 「ん?なに、…っ!」 なまえの細い肩を掴んで、壁にその背中を押しつけた。なまえが緑間の名前を呼ぶ、戸惑いを隠し切れていない声を無視して、唇を重ねた。角度を変えて、くっついては離れてを繰り返す。呼吸を奪うようなそれは息継ぎすらままならず、微かに漏れる苦しげな声にちくりと胸が痛む。それでもなまえの手は緑間に触れることはなく、制止のために持ち上げられた手は、しばらくの躊躇いの後に下ろされて、耐えるかのようにぎゅう、と握られていた。それが、緑間の機嫌を下降させるとも知らずに。 苛立ちに任せてしまうことは簡単だけど、それが自らの苛立ちを解消するには至らない事を、緑間は知っている。だけど、触れられることのないもどかしさはどうしようもなくて。 丸められたその手を、上から包み込んだ。途端にびくりとなまえの肩が竦んだが、拒絶のそれではないようで、小さな手はおとなしく、緑間にされるがままになっていた。 「しん、真太郎…、すとっぷ、」 「断る」 「いき、限界っ…だから」 ずるずると壁伝いにへたりこもうとするなまえを緑間は咄嗟に抱きかかえるが、その足が役目を放棄しているのを見留めて、ゆっくりとおろしてやった。多少息を切らしただけの緑間と違って、なまえの呼吸はひどく荒い。 ぐったりと肩に凭れるなまえはやっぱり触れ合うことに躊躇いがないように感じる。もしかしたら思い過ごしだったのかもしれない、そう思った緑間が、なまえの手を取った瞬間。 「っ!だめ!」 振りほどく、と表現するにはやや弱い力で、緑間の手から、なまえの手が離れる。からだを丸めて、何かを危惧するような彼女の態度は、頑なに保ってきた緑間の我慢を打ち壊すには十分だった。 なまえのからだを引き剥がして、もう一度、壁に押しつける。慌てたなまえの声が鼓膜を震わせる、だけど、それだけ。 「抵抗は、しないのか?」 「…しん、たろ……っ」 「…………抵抗する気があるのなら、その手で、オレの手を押し退けろ」 それはギリギリのところで踏み留まった緑間の、精一杯の理性だった。基本的に、なまえは緑間に対しては特に寛容で、大抵のわがままなら笑って受け入れてしまう。しかしどこまで許容されているのかは緑間本人にもはっきりとはわからなくて。それでも流石にこれは抵抗するだろう、それどころか拒絶されてもおかしくはない。これはもう賭けだった。 「だって、」 震える声は、泣き出すのを必死に我慢しているから。なまえの両目は既に水の膜が張っていて、瞬きひとつであっという間に決壊しそうなほど。 じっと言葉を待つ緑間の視線に耐えられなかったなまえは、遂に嗚咽混じりの本音を吐露した。 「しん、真太郎のっ、手ぇ、」 「オレの手が、なんなのだよ」 「つ、爪、たてちゃ、たらっ…傷、つけちゃう…っ」 「……は?な、オイ泣くななまえっ!」 なんだそれ。 えぐえぐと泣き出したなまえの要領を得ない説明を、混乱した頭で整理するのは緑間と言えど容易ではなくて。 つまりは、緑間の手をうっかり傷つけてしまいそうで怖くて触れなかったのだ、と。たったそれだけの、けれど彼女にとって、とても大きな理由。自分が手を大切に扱っているからこそ、彼女も同じような想いを持って接してくれたのだと気づいて、それが緑間は無性に嬉しくて。 そして同じくらい、イラっとした。 それならそうと言ってくれれば、オレはこんなに悩むこともなかったのに。自分だって言葉が足りなかったという事実は完全に棚上げの状態で、緑間はなまえの手をひょい、と掴みその指に自分の指を絡めた。一瞬で行われたそれに思考が追いつかなかったらしいなまえは、それを振りほどこうとして、咄嗟に動きをぴたりと止めた。 だって、今、無理に力を入れたら、きっと負担がかかるのは緑間の指だ。緑間から離す様子はない、目で訴えたところでそれが聞き入れられるはずもなく、なにをするつもりだとびくびくしていたなまえの手の甲を一瞥して、指の腹で、つぅ、と撫でた。 「ひ、……〜っ!?」 不意打ちで、くすぐったくて、肺に送られるはずだった酸素は、音になり損ねた声と一緒に消えてしまった。そのままゆっくりと、手の甲から指の付け根に滑らされて。首の後ろ辺りを走るそわそわした感覚に、なまえは耐えられず両目をきつく瞑った。 「やめ、しんたろっ…それ、やだぁ!」 「止めてやると思うか?」 いやだいやだと首を振って拒否をするなまえはきっと、気づいていないのだけれど、制止のためか彼女の指は緑間の指にきゅっと絡められてた。 指先はもどかしいばかり 「お前がちょっと力を入れたくらいじゃ、痛くもかゆくもないのだよ」 今までの分を補って、そして満たされるまで。彼女がしっかりと目を瞑っているのを良いことに、その指の根元に唇を押し当ててやった。 |