お疲れさま、短い労いの言葉に頷きを返した彼は、部屋の隅にスポーツバッグを丁寧に下ろした。


「麦茶でいい?」

「ああ」


「人事を尽くして天命を待つ」が座右の銘だという真太郎は、練習試合でも決して手を抜かないのが信条だ。今日も今日とて緻密なシュートをひとつ残らずゴールに叩き込んだ彼は、流石に疲れたのか、涼しげな表情の中にほんの少しだけ疲労の影を覗かせていた。
練習試合の帰り、一人暮らしのアパートに彼が足を踏み入れるのはこれで何度目になるだろう。「座って待ってて」と促せば、彼は決まって毛足の長いラグの上に腰を下ろす。友人の高尾君ですらベッドに座るのに(それを真太郎はいつも「無遠慮だろう」とたしなめる。ちなみに未だ改善の兆しは見られない。誠に遺憾である)、律儀な事だ。きっと今日もラグの上で、きっちりと座っているに違いない。と思ってちらっと横目で窺うと、


(おや、珍しい)

「?…なんなのだよ」


首を傾げた真太郎が座っているのは、白いふわふわのラグではなかった。なんでもないよ、と答えると、やっぱり疲労が溜まっているんだろう、ベッドに腰かけた真太郎からいつもより鋭敏さに欠けた返事が返ってきた。


「なまえ」

「ん?」

「…………こっちに来るのだよ」

「はいはい」


用意した飲み物をローテーブルに置いて、ベッドに近寄る。途端に長い腕がわたしの腰あたりに伸びて、引き寄せられた。呼び寄せるまでは長いけど、そこから先はずるずるだ。
わたしよりもずっと背の高い真太郎に、抱きつかれるような体勢はとても珍しい。いつもはわたしをすっぽり覆ってしまうその体躯は、大きいと思っていたけど身長の割には華奢、というか些か細く感じる。緑色の髪を指で流して、なでた。まるで小さな子供をあやしているみたいで、ちょっと胸がきゅんとした。これが噂の「母性本能をくすぐられる」ってやつか。


「真太郎、…しーんちゃーん?」

「……なまえ」

「ん?っ……わ!」

「少し黙っているのだよ」


子供扱いされたのが不服だったのか、不機嫌な声がわたしを呼ぶ。次の瞬間にはいつものようにすっぽりと包まれてしまっていた。ぎゅっと向かい合うカッコのまま抱き込まれて、耳元で囁かれる言葉は有無を言わせない。言葉と一緒に吐き出された吐息が耳朶をくすぐって、思いがけず背筋がそわそわした。
そのままごろんとベッドに転がる。腕の力が弛む気配こそないものの、すぐそばで聞こえる呼吸がとても穏やかなことに気がついた。


「真太郎、このまま寝るの?駄目だよー汗かいたでしょ」

「……寝ない」

「舟漕いでるくせに、なに言ってんの」


せめて着替えてからにしてほしい、いくら鍛えているとはいってもそのままではきっと風邪をひいてしまう。それに、汗をかいた格好のまま寝るのは正直好ましくない。
うとうと、舟を漕いでるくせに焦るわたしの抵抗なんて、真太郎にはなんてことないらしい。欠伸を噛み殺しながら、真太郎はわたしの頭を抱え直した。眠気のせいか少し高い体温は、わたしにまで眠気を伝染させるようで心地良い。


「仮眠、だから……ふぁ、問題ない、のだよ…」

「……30分だけだからね」


こくり、了承かどうかも怪しい相づちだけで、真太郎は眠りの淵へ一直線。よっぽど疲れてたのか。
この体勢から寝返りをうったりはしないだろうけれど、危ないだろうから眼鏡をそっと外して、ベッドの横に置いておく。


「……お疲れさま。おやすみ、真太郎」


携帯のアラームをセットして、それを眼鏡の横へ。抱きしめてくれる腕の気持ち良さに負けたわたしも、少しだけ寝てしまおうと決めて、目を閉じる。



   
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