重要なのは、常日頃の行いである
「おい、なんだそれは」
いつになく不機嫌そうな視線は、間違いなくわたしに向いている。見慣れたテーピングがないのは爪の手入れをしていたからだろう。なにせ彼のシュートは爪のかかり具合が重要なのだから。
「なに?」
「爪が伸びているのだよ」
呆れ半分の視線は、わたしの爪に向けられていたらしい。みてみればそれはたしかに少し伸びてきていた。そういえば切ろうと思って忘れてたんだった。やば。
「忘れてた。後で切るから」
「そう言って後回しにしていると忘れるぞ。だいたいお前のことだから昨日辺りも忘れたのだろう?目に浮かぶのだよ」
「くっそ…その通りすぎて反論できない…っ!」
「はぁ……まったく、仕方のないヤツだ」
深々とため息を吐いた緑間は、何故か手をこちらに差し出してきた。掌が上になったその手は、犬に「お手」をさせる飼い主みたいで、わたしはしかめっ面で緑間を見た。
「お手とかしないからね」
「馬鹿め。いいから早く手を寄越すのだよ。ちょうどヤスリを持っているからな、ついでに整えてやる」
ありがたく思えよって文字が緑間の背後に見えてしまったけど、彼の機嫌を損ねて痛い目に遭うのは嫌なので、おとなしく緑間の掌に自分のそれを乗せた。
「エース様に爪のお手入れしてもらえるのなんて、世界中探してもわたしくらいかもね」
「そうせざるを得ないほどどうしようもない人間だと、お前はしっかり自覚しろ」
「緑間ひっどい」
憎まれ口を叩きながらだけど、緑間はそれはそれは丁寧にヤスリをかけていく。わたしなら爪切りでパチパチ切ってしまうだけで済ませるけど、これなら手間はかかるけど切ったところも滑らかだし、割れる心配もなさそうだ。……女子力高いな、こいつ。
妙に真剣な緑間は、わたしがこっそり見ていても気づく様子はない。いつも見上げてばかりのその顔が思ってたよりも近い。うわー、なんかドキドキした。やだやだ。顔赤くなっちゃうじゃんか。
「終わったぞ」
「っあ、ありがとう…て、ちょっと短くしすぎじゃない?」
「深爪になっていないのだから問題はないのだよ」
いつの間にか終わらせたらしいわたしの指先は、先ほどよりもかなり爪が短くなっている。形こそキレイに整えてくれてはいるけど、それは妙に短く、ぶっちゃけ深爪ギリギリ。
まあ痛くないけど……と微妙な気分で指先を眺めていると、ヤスリをケースにしまう緑間が「それに」と小言を続けようとしていた。
「お前の爪が長いと、俺が痛い思いをするのだよ」
「あーはいはいごーめんね……って、…………え?」
おいこの男今なんて言った?
わたしの理解が間違ってなければ今わたしは確実にセクハラを受けたような気がする!小言の方がまだ良かった!
声を荒げて緑間を呼ぶわたしを完全にスルーして、鞄を持った緑間はさっさと帰る支度をしろと言ってドアに向かってしまった。
「ちょっと待ってよ緑間!」
「さっさとしろ、みょうじ」
鞄がない!と思って慌てて探すと、それは既に緑間の手の中にある。さりげない。そして隙もない。
「ハイスペック彼氏は高尾の専売特許だよ」
「意味がわからないのだよ、本当に置いていくぞ」
呆れた声で先に行こうとする大きな背中を、追いかけて、追いついて。空いた両手は緑間の右腕に抱きついて塞ぐ。
「コアラかお前は。歩きづらいのだよ」
文句は言うけど絶対に振りほどこうとしないそれは、緑間なりの照れ隠しなのだと知っているから、「コアラでいいもーん、ぎゅー」なんてふざけながらぎゅうーって緑間に抱きついた。
盗み見た緑間の耳が赤かったことは、整えてくれた爪に免じて指摘しないであげよう。