「あら、可愛い」
忘れ物を取りに戻ったらしい、声を潜めて笑う玲央は僕の膝を見てそう呟いた。
正確には、僕の膝で眠るなまえを見て、だけど。
「さっきまでは隣でタオルを畳んでいたはずなんだけどね」
「たまにはそういう時もあるわよ。一人暮らしも初めてなんでしょう?疲れが出ちゃったのね」
それでもタオルはすべてきっちりと畳まれていた。仕事をちゃんと遂行して、気が緩んだのだろう。ぐらぐらと揺れる不安定な身体を引き寄せたのは僕だった。
徒に髪を鋤くと、指先をさらさらと流れていく感触が心地好くて、目を細めた。
「大事にしてるのね」
「まあね。いくら幼馴染とはいえ京都まで文句一つ言わず付いてきてくれるんだ、可愛くない訳がない」
「征ちゃんベタ惚れじゃないの」
「秘密にしておいてくれると助かるよ」
くすくすと笑う玲央は「じゃあ二人だけの秘密にしておきましょうね」と告げて、自分のロッカーから取り出したブランケットをなまえにかけてやった。
「私はもう帰るけど、征ちゃんたちはどうするの?」
「部誌がまだ書き終えていないから、もう少し残るよ。三十分経っても起きないようなら起こして帰る」
「そう。じゃあ、これは征ちゃんにあげるわ」
「差し入れ」と称して手渡されたそれは缶コーヒーだった。まだ温かいから、きっと買ったばかりの物だろう。礼を言って受け取ると、玲央はなまえの頭を一度だけ優しく撫でて帰っていった。まったく。僕も含めて、なまえにはみんな甘い。
「……なまえ」
起きる筈がないとわかっていて、僕はそっと彼女の髪を撫で付ける。昔とちっとも変わらないその触り心地の良さに、唇の端が持ち上がる。
昔から一緒で、いつも僕の後をついて回る。彼女はそんな子供だった。
僕がいなければ、彼女はきっとなにもできない。だから彼女を中学ではマネージャーとして側に置き、高校も同じ所を受験するように促した。
「――その筈、だったんだけどね」
胸の奥に燻る感情をずっと庇護欲だと確信し続けていたのだ。守ってやらなくてはいけないと。
「…………ぅう、ん…?」
「、……起きたかい、なまえ?」
起こしてしまったのかと思ったけれど、なまえの呼吸は相変わらず規則正しいままだった。…これは、もう暫くこのままでいることになりそうだと一人ごちていたら。
「…………征くん…」
やけにはっきりとした発音に、らしくもなく肩が跳ねた。そっと覗き込んでみても起きている気配は微塵も感じられない。
「はは、……どうにも、参ったね」
中学に上がってからというもの、呼ばれることのなくなった懐かしいそれは、庇護欲と勘違いしていた感情を揺さぶるには些か強すぎた。
「次は、ちゃんと目を見て呼んでほしいものだな」
暢気に寝息をたてるその警戒心の無さを笑って、僕はその無防備な鼻先に唇を落とす。
今はまだ、この気持ちを上手く隠していようと心に決めて、僕は残り僅かで手付かずになっていた部誌に取り掛かった。