▼11/21 AM7:15
けたたましく響くお気に入りのバンドのお気に入りの曲で、高尾和成は目を覚ました。起き抜けの意識はまだまだぼんやりとしていたが、習慣のなせる業で、枕元の携帯電話を掴み取る。そしてディスプレイに表示された時刻を確認して。
「…やっべぇ朝練っ!!」
高尾は慌ただしく飛び起きた。部活の朝練に出るためには、最低でも六時半には起きていなければいけない。うわあやっべぇーこりゃ朝飯は諦めるしかないな。寝癖を手櫛で無理矢理に整えて、自室のドアを乱暴に開け、
「……あれ、」
今日の部活は朝練がないことを思い出した。どうりで家族も起こしてくれないわけだ。気恥ずかしさを誤魔化すように、いつも以上にリズミカルに階段を降りると、ちょうど鉢合わせた妹が、にこにこと笑顔で高尾におはようと声をかけた。
「お兄ちゃん、お誕生日おめでとう!」
「おう、ありがとなー!」
可愛がっている妹の祝いの言葉は、それだけで高尾の遣る瀬ない気分を帳消しにしてくれる。そういえば、とアラームを解除してから制服のポケットに突っこんだ携帯を覗き込んでみると、いくつものメールを受信していた。中学時代の友人やクラスメイト、同級生。先輩からもいくつかメールが届いていて、照れくさいような、むずがゆいような気分が胸をくすぐった。
母親に「行儀悪いわよ、和成」と軽く窘められつつも、朝食のトーストをかじりながら、高尾は器用に一通一通、丁寧に返信していく。返しきれなかった分は折を見て少しずつ返して行こう。テレビの片隅に表示された時刻は、登校時間が迫っていることを主張していた。
「おは朝占い!今日の一位は――」
ごめんね真ちゃん、今日のおは朝見逃しちゃった。なんて軽く心の中で謝罪しつつ、高尾はバッグを肩に引っ掛けて玄関のドアを開けた。
▼11/21 AM8:25
「セーッフ!いやーギリギリだったわーあっぶね!」
「高尾ーっお前朝練サボりかよー!」
「バッカ今日は朝練休みだってのー!」
「つーかお前今日誕生日だよな、オメデト」
「サンキュー!でもなんで浜野オレの誕生日知ってんの?オレのファンとか?」
「アド交換したときに勝手に登録された」
「おっ、高尾今日誕生日?」
「えー高尾くんおめでとうー!」
「ありがとなー」
誕生日といえど、平日。そこまで特別な日を期待も予想もしていなかった高尾は、いつも通りに登校してきて、そしてギリギリ遅刻にならない絶妙な時間に教室に入っていった。クラスメイトの冷やかしに軽く応じて、ついでのように祝ってくれる声にほどほどにノリよく応えて。そしてようやく自分の席に座った。
「おはよ真ちゃん、みょうじ」
「おはよ高尾くん」
「おはよう。お前はいつも遅刻ギリギリだな。朝練が無いとはいえ、気を抜きすぎなのだよ」
「そういう真ちゃんは人事尽くしすぎなのだよ。いつも何時頃来てんの?」
説教をしながらも律儀に挨拶はしてくれる緑間の生真面目さに笑いを堪えつつも、高尾はまあまあとその小言をのらりくらりとかわしていく。もう何度目になるかわからないやり取りになまえは小さく苦笑し、緑間はため息を吐く。そのまま早々に無駄だと悟ると、説教を諦めて高尾の眼前に小さな紙袋を突き付けた。
「…なにこれ、誕プレ?」
「そんな訳があるか。いいからさっさと受け取れ」
「へいへい、仰せのままー……って、ホントになにこれ?」
「見てわからないのか?」
「…ホッチキス、だよね?」
わかんねーよ。ツッコミたい気持ちを抑えて包みの中身を取り出す。袋の中身は、何の変哲もないホッチキスに見える。少なくとも、高尾には。同様に覗き込んだなまえもその真意を掴み損ねて、頭上に大量の疑問符を浮かべた。
ピンク地に流行りの魔女のキャラクターが描かれた、無駄に可愛らしいデザインなのがやけに引っかかるが、それ以外は本当にただのホッチキスだ。
「お前たち、今日のおは朝を見なかったのか?」
「ごめん見忘れちゃった」
「いやー実は今日は見損ねたんだよなってまさか…」
「今日の蠍座のラッキーアイテム、『ピンクの文房具』なのだよ」
おは朝にしてはなかなか入手の樂なアイテムで助かった。語る緑間の見事なドヤ顔に適当に返事を返して、高尾はしげしげとそのラッキーアイテムを眺めた。彼が他人のラッキーアイテムを持ってきたのは、付き合いを始めてからは初めてのことだ。
「せっかくの誕生日だからな、これで運命を補正すれば完璧なのだよ」
「真ちゃんがくれるってだけでもう既にご利益ありそうなんだけど!ありがとな!」
「フン、これでおは朝のありがたみを知れば、お前も普段から人事を尽くす事の大事さが身に沁みるのだよ」
「とか言っちゃってぇー!緑間やっさしー!」
「べ、別に優しくなどないだろう!!」
「そこ三人、そろそろHR始めるから静かになー」
いつの間にか予礼も鳴っていたらしく、教室に来ていた担任の声で三人はようやくHRが始まっていたことに気づき、そして高尾となまえは慌てて前に向き直る。
そういえば、みょうじは「おめでとう」って言ってくれなかったな。些細だけれど、大事な事だ。それに高尾が思い至ったのは、昼休みを過ぎた頃だった。
▼11/21 PM3:40
放課後。緑間と高尾は部活へ行くが、帰宅部のなまえはそのままさっさと帰って行った。
別に祝われないことをぐちぐちと言うほど、高尾は子供ではない。ただなんとなく、ほんの少しだけ、寂しいと思っただけ。
だからと言って部活に身が入らない、なんて事をするつもりはなく、高尾は普段通りのテンションで以て部室の扉を開けた。
「っはよーございまーす」
「おう、来たな高尾」
「へ?」
そこには既にスタンバイしている宮地と木村の姿があった。きょとん、と高尾は状況を掴めずにいたが、宮地が手にしているモノを把握して、「ちょ、まっ宮地サン!?」と後ずさった。
「先輩様からの気持ちだ、ありがたく受け取りやがれ!」
「危ねぇえええ!」
どう考えても自分の顔よりも大きいサイズの箱が、宮地の手によって高尾のもとへと飛ばされる。顔面に向かって投げ飛ばされたそれを危うくも手で受け取る事に成功した高尾は、箱に印刷されたロゴを見て表情を変えた。
「せっ…先輩なんスかこれ!」
「はぁ?何ってバッシュだよバッシュ」
今日お前誕生日だろ?と笑う木村の言葉に、高尾は更に慌てる。いくら誕生日でも、こんな高価な物を軽々しく受け取れない。
「いいんだよ、どうせソレ、ショップのイベントで景品っつってもらったけどサイズ合わなかったやつだし」
「まあ気にせずもらっとけよ」
「ウッス!ありがとうございます!」
後で大坪サンにもお礼言わなきゃな。カードに書かれた三人の名前を黙読して、高尾は気づかれないようにへにゃりと笑う。
プレゼントされたバッシュが最新モデルの物で、宮地たちの言葉が照れ隠しの嘘だったと知ったのは、それから数時間後。
▼11/21 PM11:13
「ったくもー…真ちゃんマジでツンデレなんだから」
風呂も済ませ、自室でストレッチも済ませた高尾は、明日の準備をしようとバッグを開けて、そこに見慣れない袋を発見した。
開けてみると、中にはオレンジ色のドリンクボトルが入っていた。「誕生日おめでとう」とだけの、几帳面そうな文字が並ぶカードには署名は見当たらない。だけど、文字でわかる。これは緑間からだ。
いつ紛れ込ませたのかもわからないプレゼントに、高尾はニヤニヤと頬を弛めた。そんなとこまで人事尽くすとか、やっぱスゲーわウチのエース様。
お礼がてらメールでも打つか。なんて携帯を手にした途端、画面が突然光った。メールを受信したらしいそれを、慣れた手つきで開いていく。
『まだ起きてる?』
絵文字もない、簡素なメール。差出人はみょうじなまえと出ている。
普段はあまりメールのやり取りはしないなまえからのメールは珍しい。これももしかしてラッキーアイテムの効果だったりするんだろうか、恐らくもう就寝しているだろう緑間に無言で感謝しつつ、高尾は返信用の画面を開いた。
『おー、起きてる起きてる!』
まだ寝るような時間でもないし、と高尾はメールの最後に『なんかあった?』と付け足す。このまま少しメールして、あわよくばちょっとくらい電話できたらいいなー、なんて淡い期待を込めながら、送信ボタンを押した。
『窓の外、見てみて』
「はっ?」
窓の外?こんな夜中に?
高尾の部屋の窓は丁度玄関の真上、道路に面した位置にある。よくわからないまま、それでも素直に窓から道路の方を見てみる。
ぱちり、視線があった。暢気に手を降っているなまえを見つけて、高尾は反射的に上着を引っ付かんでいた。「あれ、わざわざ出てきてくれたの?窓からでも良かったのに」
「おま、お前なにしてんの!?こんな夜中に、一人で!危ねーじゃん!」
「住宅地だし、そこまで暗くなかったよ」
「そーゆー問題じゃないからね!」
もうすぐ日付も変わるような時間帯に一人で出歩くなんて、と憤慨する高尾をまあまあなんて宥めて(それが逆効果だと、彼女は気づいていない)、なまえは携帯の時計を確認した。
「ほら高尾、時間見て!」
「時間?」
さん、にー、いち、
▼11/21 PM11:21
お誕生日、おめでとう。
送られた言葉に、高尾はぽかんと口を開けたまま、固まってしまった。え、まさかそのためだけにわざわざ?
「最初は一番にお祝いしようと思ってたんだけどね、それは難しそうだしあんまり印象に残らないでしょ?だから一番最後に言ってみようかなーって」
ちゃんとプレゼントも用意したんだよ!と差し出された袋を受け取ると、なまえの指先に高尾の指が触れた。驚くほど冷たくなっていたそれに、高尾はありがとうよりも先になまえの手を掴んだ。
「着替えて来るから、中で待ってろよ」
「え?いやいいよ大丈夫」
「いいから、ホラ」
半ば強引に家に招き入れ、しかし「こんな時間にお邪魔するのは非常識だから」と譲らないなまえに、折れたのは高尾の方だった。じゃあせめて玄関で待ってろときつく言いつけて、どたばたと慌ただしく階段を駆け上がるのを、すれ違った妹が不思議そうに見ていた。
「…なんかごめんね、送ってもらっちゃって」
「気にすんなって!つーかマジでびっくりしたわー最後とか!」
「さりげなくおめでとうって言わないようにするの、割と大変だったよ」
「祝ってもらえないとか思ってたー」
「へこんだ?」
「そりゃもー、ガッツリ」
わざとらしく、大袈裟にへこんだとアピールする高尾に、なまえは笑いながら「ごめんごめん」と謝って見せたが、少し考える素振りを見せた。
「じゃあ、なにかひとつだけ高尾のお願いきいたげる」
これならどうだ!と自信満々な表情で見上げるなまえは、携帯の画面を見ながら「ただし、日付が変わるまでに決めること!」と言って歩みを止めた。
「オイ日付変わるまでってあと5分しか」
「ほら早くー!」
「だぁああ待って待って今スゲー考えるから」
ニヤニヤするなまえに、今日は振り回されっぱなしだと高尾は必死に考える片隅で面白くないと思った。普段はどちらかというと振り回す側にいるだけに、余計にそれが面白くない。
――最後の最後だし、ふざけてもいいだろ。ちょっとしたいたずらを思いついた高尾は、なまえの名を呼んで注意を引いた。
こうなったら、とことんからかってやろう。無駄に真剣な表情を作って、いざ。
「なまえ」
「あ、決まった?ほら早くしないともう、」
「好きだ」
もちろん、嘘ではないけど。
ちょっとびっくりさせてやろうとかそんな魂胆しかなかった。
「……あ、あの」
なんちゃって!と続けるはずだった言葉は、頬を真っ赤にして狼狽えるなまえを見たら吹き飛んだ。なあ、それ寒さのせいだけじゃねーよな?彼女の言葉を待つ高尾も、同じように赤い頬をして、ただただ沈黙してしまった。
▼11/22 AM0:01
「……わ、わたし、も。高尾が好き、です」
消え入りそうな言葉は、日付を跨いでしまったけれど。
「これってセーフ?」
「……うん」
お互いに照れくさい気持ちをなんとか押し込めて、どちらともなく止まっていた足を再び動かした。
なんの変化もないただの道路がいつもとどこか違って見えるのは、きっと真夜中だからだと言い聞かせて。高尾はすっかり冷えたなまえの指先を握り込んだ。