「あら、」


ソファに座ってテレビを見ていると、お母さんが何かに気づいたように声を上げた。嫌な予感。わたしは退避を告げる第六感に従い、そそくさとリビングのドアに手をかける、


「ちょっと#なまえ#、おつかいお願いできる?」

「……ぇえー」


嫌そうな顔をするわたしをきれいさっぱりスルーしたお母さんは、何かの包みを持った右手を掲げていた。見覚えのある袋、何かを問う前に、母はわたしにそれを押し付けた。


「お兄ちゃんに、お弁当届けてあげて」


ああもう、なんで嫌な予感って当たるんだろう。
とはいえお母さんのお願いを断る理由も思い付かず、半ば強引にお弁当の入った袋を押し付けられる。気難しい表情をした兄を思い出して、こっそりとため息を吐いた。


「……はぁ」


自転車を漕いで数十分。秀徳高校は思っていたよりも随分近いところにあった。
中学生が高校の敷地に入るって、どうしても気後れしてしまう。だからってそのまま帰るなんてできるはずもなく、心なしかずしりと重たく感じる包みを手に、わたしは秀徳高校の敷居を跨いだ。
伝統がどうとか謳うだけあって、校舎も隣接している施設も歴史を感じさせる佇まいをしている……有り体に言えば、古い。入口すぐの案内板も同様に、錆びた金属や色褪せた校内図が時間の流れを感じさせる。
その中から体育館を見つけ出して向かう。土曜日だからか、高校生とすれ違うことがほとんどないのはラッキーだった。たまに奇異の目を向けられたけど、ちょっと俯いて早歩きですれ違ってしまえばあとは大丈夫だった。年齢にするとそれほど離れている訳じゃないのに、「中学生」と「高校生」という分別にすると途端にまったく違う生き物にすら感じるのは何故なのだろう。

速度を早めて歩いた甲斐もあって、体育館にはすぐに着いた。開けっ放しの体育館からは、ボールが床を跳ねる音やたくさんの掛け声、それからシューズの床を擦る音がひっきりなしに聞こえてきて、きゅっと眉を寄せてしまう。
さっさとお弁当を届けて、すぐに帰ろう。扉の影から中を窺うように、そっと覗き込んで、

「――なーにしてんの?」


つり目のお兄さんに、見つかった。
びく、と大袈裟に揺れた肩に気を悪くすることもなく、笑顔を絶やさないお兄さんは、わたしの目を見たまま、もう一度同じように尋ねた。


「こんなとこでなにしてんの?…誰かに用事?」

「あ、あの、兄が」

「お兄ちゃん?」

とりあえず首を縦に振る。兄の名前を伝えると、その人はわたしの手元に目線を落として「はっはーん?さては妹ちゃん、忘れ物届けに来てくれたんだ?」と笑った。
そうとわかれば、とばかりにお兄さんは体育館に入るように手招きをして、それから体育館の内側に向かって声を張り上げた。


「真ちゃん!妹ちゃんきてんぞー!」

「ちょっ…!」


呼ばなくても、別に渡してくれても良いのに!ていうか「真ちゃん」ってなに、そんな風に呼ばれてるの?あの兄が?
混乱するわたしを他所に、集まってくる長身の集団。妹?緑間の?なんて口にしながら集まる人達は、例外なく長身ばかりで、つい萎縮してしまう。


「何故お前がここにいるのだよ?」


その人波から響いた低い声に、わたしは今度こそ完全に固まってしまった。恐る恐る見上げた先には、煩わしそうに眼鏡のブリッジを押し上げる、兄の姿があった。


「…お弁当、お母さんが、届けてって」

「そうか、」

「練習中にお邪魔してしまって、すみませんでした」


手渡すと同時に、部員の方たちに深く頭を下げる。いや、とか別に、みたいな声が聞こえたけれど、頭を上げると同時に「失礼しました」と踵を返して。わたしはそこから逃げ出すように走った。


キセキの世代。
そんな呼び名を持つ、天才シューターの緑間真太郎。

それがわたしの嫌いな兄の名前だ。





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