「来るな!」と遠ざけたその先で、総司さんは浅い呼吸を何度も繰り返していた。彼を侵食しようとする羅刹の血を彼は必死に振り払おうとする。喘ぐような声を吐いて彼の手が拳を握る。やがて呼吸は深くなり、抵抗を傍目に羅刹は彼を白く飲み込む。小さな声が闇に吸い込まれていくような、そんな錯覚を見た気がした。

「名前」

形のよい薄い唇がわたしを呼んだ。長い睫が影を落として、どろりとした欲情をむき出しにした紅い目がわたしをそこにはりつける。鼓動が大きく波打った。羅刹になった彼は、いつにもまして色っぽくなる。煽情的な声で彼はわたしの名を繰り返す。血を、欲している。

「わかっています。いま、刃物を――っあ、」

立ち上がろうとした私の腕を強い力が引いて、そのまま性急な動作で彼は私を畳に組み敷いた。"白い"髪がはらりと頬を掠めた。身動ぎするわたしの身を、縫いつけるように彼は押さえつける。瞳の深紅が揺れていた。

「総司さん! はやく血を飲まないと」

言葉を押し込めるようにわたしの唇に彼は口付けた。息継ぎもままならないほど深く。口の中を荒くかき回して、彼は唇に歯を立てる。ちくりとした痛みに思わず顔をしかめた。そうして離れた彼の唇には、わたしの血が染み付いていた。それを舐め取るあかい舌の、いかにうつくしいことか。
なおも滲み出る唇の血を、総司さんは丁寧に舐め取った。満たされた羅刹の血が引こうとも、彼は苦渋の表情を崩さなかった。それでも安堵したように彼の額から汗が伝う。そうして彼の呼吸が浅くなったころ、ようやく離れた唇が、こらえきれずに悲痛な声を漏らした。

「ごめん。どうしても止まらなかったんだ。本当に……ごめん」

懺悔するような彼の声に、首を横に振った。ずきずきと痛む唇をそれでもやわく緩めてみせる。彼の心に圧し掛かる重圧が、少しでも消えてしまえばいいと思う。

「君は僕が怖い?」
「こわくなんてありません。わたしは総司さんのものですから」
「僕は怖いよ。いつか君を、僕自身がどうにかしてしまうんじゃないかって」

わたしを縫い付けた自分の手のひらを見つめて、総司さんは悔しげに唇を引き結んだ。彼の吸血衝動は、日を追うごとに彼を強く支配し始めていた。それはきっと彼自身が一番理解している。そうして羅刹になった彼は、まるで自分が一度死んだ者だとでもいうように振る舞う。彼が自分を人間から遠ざけることが、わたしはどうしても怖かった。
何も言えずに唇を結ぶと、小さな傷からあふれ出した血がじわりと口の中に滲んだ。広がる鉄の味は、羅刹を人ではない何かに近づける。それでもわたしは、彼が苦しまないようにと血を提供する。相対する本能に苦しむ彼がわたしによがって、溢れる血を一心不乱に舐めとる姿を、どこか安心したように眺める自分がいて、わたしはそれが嫌だった。結局彼を羅刹に近づけているのは他の誰でもなくわたしだ。
ああ、どうにもならない。


剥いだ心からあふれ出したどろりとしたものが、やがて涙となって降り落ちた。瞬きのたびにこぼれ落ちる涙を掬い、総司さんは困ったように眉を下げて、わたしの頭をそっと自身の胸に寄せた。

「ほら、泣かないで」

やさしい声が耳元に降りてくる。あやすような彼の声が好きだった。
目を閉じる。

「僕は君が好きだよ」

留めているのは彼か私か。




plan by 赤を食む魔物


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