(夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ。蛍の多く飛びちがひたる、また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも をかし。)


「お祭りに行きましょう」

珍しく名前が子どもの様にはしゃぎながらそう言ってくるものだから、気まぐれに浴衣でも出してみることにした。そうか、もうそんな季節だったかとふと思う。


練習も終わり、夏の長い陽の中を帰宅する。そして樟脳の匂いが残る紺色の浴衣の帯を締めて待ち合わせの公園へ向かうと、いつもの月山国光のかっちりした制服ではなく涼しげな浴衣をまとった名前がいた。

「司くん」

名前は俺の姿を見るなり瞳を輝かせてそう言うと、目の覚める様な白地に泳ぐすました赤い金魚があしらわれた浴衣の裾をひらりと見せた。…まことにかわいらしい。

「金魚柄とはよいな」
「ええ。母様に縫っていただきました」
「…似合っている」

自分の少ない語彙で言える精一杯の言葉だった。そんな拙い言葉でも名前は頬をほんのり赤らめ、「ありがとうございます」と素直にはにかんだ。思わず繊細な刺繍が施された帯に指を這わすと、だめですよぅとやんわりと手を押し戻される。逸らした顔がまた一段と赤く火照っていた。





ようやく薄暗くなってきた頃、祭りが行われている神社には人が溢れかえっていた。行き交う人々は皆笑い、食べ、遊び、実に楽しそうに見える。色とりどりの着物できゃっきゃと笑い合う女子高生、子を肩車した父親、穏やかな笑顔で店を覗く老夫婦。このところ厳しい練習や試合が立て込んでいたものだから、こんなふうに名前とふたりで出掛けるのは久方ぶりである。名前も目をきらきらさせながら俺の隣を歩く。すると名前が突然あっと小さく漏らした。

「うさぎさん…」

そう言って立ち止まったのは射的屋の台の前だった。ずらりと並ぶ菓子やらぬいぐるみやらの景品の前に子供達が群がり、射的用の銃を構えている。その景品達の真ん中には目玉であろう、他の景品より大き目のうさぎのぬいぐるみが陣取っていた。名前はこれが欲しいのかうさぎをじっと見つめるも、他の子供達がうさぎを狙うのに挑戦してはほんの少ししか揺れず涙目になっているのを見て小さく肩を落す。

「かわいいけれど、ちょっと難しいですね」

諦めたように寂しげに笑う名前。それがどうもたまらなくて、気がつけば「やるぞ」と名前の手を引いていた。

「つ、司くん?」
「挑戦するだけしてみればよいではないか」

突然のことに疑問符を浮かべる名前をよそに射的屋の主である男に表示された金額を渡す。小銭を受け取った男は頑張れよと笑い銃と弾を寄越した。

「む、無理です…怖い…」
「なに、引き金を引くだけだろう」

名前は恐る恐る、それでもどこか楽しそうに拙い手つきで弾を詰め始めた。うさぎを狙い銃を構える横顔の真剣さがいとしい。
…だがそう簡単にうまくいくわけもなく。一発、二発と撃つも弾は虚しくうさぎの耳を掠めた。普段裁縫や料理をこなす名前だがこういうことに関しては不器用らしい。名前がまた諦めたようにうさぎを見つめ三発目の弾を詰め始めたとき、一か八かでやってみるしかない、と思いついたことをそのまま口走った。

「頼む、もう一丁くれ」

名前はえっと目を丸くさせ、男は押し付けられた小銭と引き換えに銃と弾を渡すと「彼女にいいとこ見せなよ、兄ちゃん」と肩を叩いてくる。五月蝿いわ!
素早く弾を詰め、銃を構える。そうして名前も表情を引き締め弾を詰め直した。

「落ち着いて…頭を狙え」
「頭、ですね」

名前は小さく頷く。うさぎの頭に焦点を合わせ、名前と視線を交わし同時に引き金を引く。二発のコルク弾がうまく頭に命中し、うさぎがぐらりと揺れる。ほとんど本能的な素早さで息つく暇もなく再び弾を詰め、同時に撃った。来るか、と思ったとき。うさぎはごろんと後ろに倒れた。

討ち取ったり。

と銃を下ろすと、名前が信じられないとでも言わんばかりの目で転がったうさぎを見ていた。柄でもないが俺も信じられない。

「すごいです、司くん!」

我にかえると、名前が涙を目に溜めながら口元を覆っていた。あまりの感動ぶりにこちらが気恥ずかしくなってしまう。

「いや、名前が上手く撃ったからであろう。天晴れだ。よかったではないか、お目当てのものが手に入って」
「…うさぎさんも嬉しいのですが、それよりも司くんが私を助けてくれたことが嬉しいのです」
「…ふふ。またお前は、嬉しいことを言ってくれる」


名前はうさぎを受け取るとぎゅうぎゅうと抱きしめてえへへと愛らしく笑った。俺は俺で男に「うさぎも彼女も大事にしてやれよ」とにやにやされる。…だから五月蝿い、言われなくてもそんなこと百も承知だ。





華やかな花火も終わってしまい、名前と共にすっかり暗くなった河川敷を歩く。静かに流れる川の音、夏の夜風が心地よい。

「あ、ほたる…」

名前が見た先にはちらちらと、極々小さい明かりがかすかに舞っている。ほたる、なんて、近代化が進みきったこのご時勢ににいたのか。

「まこと綺麗だな」
「ですねぇ、…見とれてしまいます」

そっと名前の細い指に、己の指を絡める。微笑む名前の白い顔は、夜の闇にもくっきりと映えた。

「いつもと違う司くん、素敵でした。…どきどき、します」
「名前も、いつにも増して愛らしかった。こんな名前を他の者に見せるのはもったいない程だ」
「恐れ入ります…」

手を繋ぎながらゆっくりと川の流れに沿って歩く。時が止まっているのではないかと思うくらいに穏やかであった。


20111222


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