「ちょっと味付け変わったね」と言いながら大好物の人参のソテーを口に運ぶと、篤志くんは「あたり」と嬉しそうに微笑した。屋上をふわりと抜ける風が篤志くんの前髪を揺らす。鮮やかな橙色の人参ソテーはどこまでも青く澄み渡った真昼の空によく映えた。

「ちょっと調味料は変えたけど、ちゃんと薄味にはなってるだろ」
「うん。いいね、私好み」

篤志くんはちゃんと私の食の好みを把握してくれている。薄味がいいだとか肉はどこの部位が好きだとか、ドレッシングの味まで全て頭に入っているのだ。それを踏まえて作ってきてくれるお弁当は私の毎日の楽しみである。篤志くんの作るお弁当のためだけに学校に来ているといってもいいくらいだった。器量も頭もいい彼の料理の腕は一級品で、それなりに美食家の私はとても重宝している。全て私好みに仕上げた篤志くんの作るお弁当はまるで小さなフルコースだ。そしてこうやって屋上の影で、騒がしく昼食を取る集団をぼんやりと眺めながら二人でお弁当を食べるのだ。私は黙々と食材を嚥下し、篤志くんはそれを目を細めて見つめる。
甘酸っぱいお気に入りのメーカーのソースのかかった白身魚をフォークに突き刺し貪っていると、篤志くんは小さな子どもに話し掛けるように「名前、名前」と囁いた。一体何人の女の子をこの甘ったるい声音で骨抜きにしてきたのだろう。

「口の端についてるぞ」

ぐいと顎を掴まれ顔を向き直される。私が食事中に邪魔されるのが嫌なの知ってる癖に。篤志くんは僅かに唇を開けて、ゆっくりと私の口元にそれを寄せる。彼の舌が気味悪い程赤く、てらりと妖しく光る犬歯が覗いている。吸血鬼だ。感覚的にそう思った。私はこうやって白身魚を片手に篤志君という吸血鬼に全身の血という血を吸い上げられてしまうんだ。ドラキュラ伯爵ならぬ南沢伯爵。そんなおかしな想像を膨らませている間に篤志くんは軽いリップノイズを立て私の口の端についていたという魚の欠片を舐め取っていた。無論血などは吸われなかった。




「美味しいものを食べると幸せになるんだよ」

すっかり空になったお弁当箱を片付ける篤志くんの横顔に呟く。篤志くんはへえと面白そうに言った。白い指が手際よくお弁当箱を包み上げていく。私は私でデザートのゼリーを味わう。色とりどりの小さなサイコロ状のゼリーは、口の中の体温でちゅるりととろけた。食っていうのは、人間の一番原始的な行動で一番簡単に野生に還れるものだ。なんだか神秘的。

「じゃあ、名前は食べることでしか幸せになれないんだな」
「そんなかんじ」
「なら、俺が毎日三食作ってやる」

それならいつも幸せだろと耳元で低く囁くと篤志くんは私の方を見た。珍しく真摯な目つきをしている、ような気がする。気にせずゼリーをすくい上げて口にする。

「それ、新手のプロポーズ?」
「だろうな」
「料理を筆頭になにもかもできる夫と食べることしかしない妻、か」
「いいねえ」
「…私、滅茶苦茶不利な気がする…」

篤志くんはそうでもないぞと言ったが今にも吹き出してしまいそうだった。む、聞き捨てならないぞ。

「篤志くんと結婚したら知らない女の子ばっかり家に連れてきそうだからやだ」
「どうだかな」

とぼけたように返事をする色男、篤志くん。彼の前で否定はするけれど、本当は篤志くんの料理を食べた時から私の答えはイエスだ。もうとっくに決まっている。


110817


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