みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

「苗字先生、ここ分からないんで教えてください。」

「…じゃあ先に補講室行って準備して待ってて。この採点が終わったら行くから。」

はーいと返事を返すと無一郎は中高共用の補講室へと向かった。
ため口を使わず、名前への呼称も苗字先生と改め、表向きは落ち着いた生徒と教師の関係に戻ったと思われた無一郎。
ただし放課後の名前との放課後の時間は以前と変わらず確保していた。
以前名前から教科担当の先生にお願いするよう言われたが、その教師は部活で忙しく相性も悪いため嫌だと言い逃れし、名前の元へ通い続けた。
完全に戸を閉め切ることはしないが、補講室での時間は無一郎にとって最も幸福なひと時であった。
前世と同じく名前とは年が離れてしまっているが、時折見せる柔らかい笑みはあの頃とそっくりだ。
名前も無一郎がきちんとけじめをつけたと理解し、以前よりも対応が優しかった。


兄である有一郎からは、「お前、先生をそうやって逃がさないつもりだろ。」と魂胆を見透かされていたが。

「名前に記憶がないなら、0からもう一度振り向かせればいい。時間はたっぷりあるしね。」

「お前なあ…。」



そんな日々が1年ほど続いた頃、いつものように無一郎は放課後補講室で名前と英語構文の問題集を解いていた。
ほぼ毎日補講をしているせいか、無一郎の英語の成績は既に高等部でも上位に入るであろうほどに上達していた。

「時透君は将棋の腕も素晴らしいけど、英語もこんなにできるなんて将来が楽しみね。きっと、世界中で活躍できるわ。」

普段あまり雑談をしない名前が嬉しそうに話すため、無一郎は驚いた。

「…そうですね、僕高等部には進まないかもしれないんで。将棋の道に進むなら、対局で忙しくて出席日数足りないと留年したり退学する人も多いですから。」

「それは…とても残念ね…。折角こんなにできるのに。」

「先生はいいじゃないですか、僕の補講から解放されるから。」

「こうして頑張って勉強してくれるなら先生にとっては喜ばしいことなんだけどね。それに補講じゃなくて放課後自習ですから。」

「先生今日はいつもよりおしゃべりですね…。何かあったんですか?」

「…時透君ってふろふき大根好き?」

「好き…ですけど。なんで突然?僕、好物の話先生にしましたっけ?」

「そっか…。何となく聞いてみたの、気にしないで。」

名前はそう言い、哀しげな笑みで無一郎に笑いかけた。

「先生、何か思い出したんですか?」

「…こんな事言うと気持ち悪いと思われるの分かってるんだけど、夢に時透君が出てきて、おいしそうにふろふき大根食べてたんだよねぇ。あと、何故かいつも刀を持ってるのよ。」

時透君は剣道部じゃないのにね、と名前は笑った。
無一郎は眼を見開き、名前に尋ねた。

「…その刀の鍔、ちゃんと先生のところに届いた?」

「何でそれを…。」

「名前っ…!」

瞬間、無一郎は名前を抱きしめた。
名前は一瞬固まり、はっと我に帰り「時透君、放しなさい。」と諭す。

「よくそんな酷いことが言えるよ、やっと会えてやっと思い出してくれたのに。」

と無一郎は今までの他人行儀な態度から以前と同じように親しみを込めた話し方で、幼子が我儘を言うように名前を腕から放さなかった。

「だから夢に見ただけで、前世の記憶とかそういうのは無いんだけど…。」

「名前、僕早くプロになってちゃんと今度こそ名前と結婚するから。あと数年だけ待ってて。」

「そ、だから進学しないって言ってたの?それはダメです、ちゃんと後先を考えなさい。あと、勝手に結婚する前提で話を進めない。」

「じゃあ付き合うのはいいって事なんだ。」と無一郎は名前を悪役のような笑みを浮かべて、たじろぐ名前を更にぎゅっと抱きしめる。

「ごめんね、今だけはもう少しこうさせて…。」

名前は本当に自分が無一郎の言っている人物の生まれ変わりなのかと言われたら、確信は持てなかった。ただ、実家に飾られてたあの鍔と似た形の骨董品とかつて祖母に聞いた話を思い出していた。

『これはね、本当は家の物ではなかったんだけど、昔良く私の面倒を見てくれたある人から受け継いだのよ。』
『その人はずっと独り身で、子供もいないからってね…。戦争で亡くなってしまったけれど。』
『大切な人から貰ったものだから、大切に受け継いで欲しいと言っていたわ…。』




「先生ごめんね、遅くなったから一緒に帰らない?」

「本当にもう真っ暗ね…でもまだ残業があるから。先に帰りなさい。」

補講室を出て昇降口付近で無一郎は名残惜しそうに名前に「わかった、また明日。」と言い帰路につこうとした無一郎を名前が呼び止める。

「時透君、進学の話だけど。先生、やっぱり君は高等部に進むべきだと思う。」

「さっきも言ったけど、将棋だってあるしずっと先生と生徒でいるのは…。」

「あのね、先生も本当に自分が時透君の思ってる人かは確信が持てない。だけど、今の渡しの願いは君が大人になったとき、たくさんの選択肢の中から選り好きな道に進むこと。自分で選択肢を減らしてほしくないの。それに私が関わっているなら尚更そう。」

「僕、幸せになるための生き方には自信あるけど。」

でも、先生のお願いなら考えてみる。と言い残し、無一郎は手を振りながら帰路へついた。




翌朝、無一郎はいつものように登校し、名前へ会いに高等部職員室へ向かおうとする。その時、生活指導の担当教師に呼び止められた。

「時透無一郎の方だな、ちょっと来なさい。」

「…はぁ。」

何となく嫌な気配を察知し無一郎は教師について行く。学園長室のドアを開けるとそこには学園長を含む数名の教師と名前、そして机の上には何枚かの写真が散らばっていた。

「ごめんね朝から。少しだけ話を聞かせてもらえるかな。」

産屋敷学園長はそう言いながら、無一郎を名前から2席離れた席へ促した。


この学園らしからぬピリピリとした気配に包まれた学園長室で、無一郎は全て自分が勝手にしていて、名前は何も関係ない、自分が先生に付き纏っていただけだと主張する。
しかし、他の教師はなぜそのように執着を見せる生徒と1年以上にも渡り個別指導を行ったのか、なぜ距離を置かなかったのかと名前を問い詰める。
無一郎が反論しようとした瞬間、名前はきっぱりと宣言した。

「この度は私の甘い判断により時透君を含む学園の皆様にご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。全ては私の未熟な考えから起こったことです。私の辞職を以て、責任を取らせていただきます。」

「先生!」

名前は無一郎とは一切視線を合わせず、教師陣に深くお辞儀した。

「苗字先生、事実でないならそこまでしなくてもいいんだよ?今日は事実がどうあなのかだけを確かめたかっただけだから。」と学園長が諭すも、名前は譲らなかった。

無一郎は何も言わず学園長室を後にする名前を追いかけようとしたが教師陣に引き留められ、そのまま名前に別れの挨拶もできないままピシャリとドアが閉められた重い空気の中頭を巡らせた。

(誰が写真を?名前はこれからどうなる、あんなに教師の仕事に誇りを持っていたのに、こんな事で彼女のキャリアを潰してしまったのか、また彼女を不幸にしてしまった?)



結局名前はその日を以て学園を去り、無一郎とも顔を合わせることもなくその街を去った。









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