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「市子…ここは天国か?」
「ここは豆腐売場です」

スーパーにつくや否や久々知さんと私の目に飛び込んできたのは『豆腐特売!各地の豆腐を召し上がれ!』というなんともいいんだか悪いんだかよくわからないお得情報。まあいいや、今日の晩御飯は豆腐関連にでもしようか。そう思った瞬間に私は久々知さんに思いっきり引っ張られて豆腐売場に連行されてしまっていた。あれ、いつの間に。

「どれを買おう!?」
「あれ、買うこと前提なんですね。いや、買いますけど」
「絹がいい?木綿がいい?両方!?」
「ひっ、真顔で豆腐もって迫るのやめて!」

しかしまさかここまで豹変するとは思わなかった。普段泣きそうになっているとき以外はあまり表情にぶれがないと思っていたのであまりの変化に驚いている。そういや出会ったときにも熱く豆腐について語ろうとしていたし、本当に豆腐が好きなんだなあ。
ただ正直周囲の視線もあるし、かなりこの場から逃げ出したかったけど久々知さんの手が私としっかり繋がっているのでそれは出来ない。うーん、どうしたものか。

「久々知さん…あの、手…」
「え…?」
「な、なんでもないです」

ダメだ。やっぱり久々知さんのそのしょんぼり顔に私はひたすら弱い。やんわりと手を離してもらおうとしたけれど、久々知さんのはっきりと表れた悲しいオーラについつい良心が痛む。綺麗な顔をしている分タチが悪い。本当に素なのか怪しく思えるくらいだった。

「絹が食べたいので絹にしましょうか」
「ん、わかったのだ。絹のあのつるんとした口当たりがたまらないんだよなあ…」

薄く頬を染める久々知さんは傍からみたらとても絵になるのだが、理由が豆腐な時点で大分残念である。
籠に絹ごし豆腐をいれ、他の買い物も済ませようと豆腐のところから離れたがらない久々知さんを半ば引きずるようにして先へ進んだ。

「人参に茸に大根…あとは鶏肉くらいですかね。必要なものは」
「わかった。じゃあ鶏肉を先に取りに行こう」
「はい」

鶏肉コーナーに向かうと試食をしている人だかりがあった。そこで焼いた肉を配っている、いかにもおばちゃん!といった雰囲気の人が突然私たちに向かって声をかけてきた。

「そこの可愛いカップルさんも食べていって!」
「え!?」
「いただきます」
「ちょ、久々知さん!」

カップルって私と久々知さんのことだよね?確実に勘違いされてるのになんで否定しないの?ていうかおばちゃんもこんな人並み外れたイケメン(実際人じゃないけど)が私みたいな人並みの普通すぎる奴とカップルなわけないって思わなかったのかな…。

「手を繋ぐのに名字呼びなんて初々しいわね。可愛い彼女だわー」
「ええ、自慢の彼女ですから」
「やだ、惚気られちゃった。彼女さん大事にするんだよ!」
「もちろんです」
「久々知さんっ!!」

このままだとあることないこと言われてしまう!そう思った私は傍にあった目当ての鶏肉を取ると、再び久々知さんを引きずった。遠くで妬かれちゃったわーなんて言う声は無視無視!聞こえない!


「なんで否定してくれないんですか、久々知さんのバカ!」

慌てて全ての買い物を終え、スーパーから出る。言い過ぎかなとは思ったけれど久々知さんが悪い。しかし久々知さんはしょんぼりするどころか軽く頬を染める。なんで照れるんですか。

「だって嬉しかったからつい…」
「つい、じゃないんですよ!もうこのスーパー他の人と行けないじゃないですか!あの人に見られたら絶対二股かけてる悪女だと思われますよ!」
「オレ以外と行かないでよ」
「はい?」

握られたままの手にぎゅっと力が込められる。

「市子と買い物に行くのは、オレだけの役目がいい」

久々知さんの大きな目が私を見つめる。私がぽかんとなにも言えないでいると、久々知さんは私の持っていたレジ袋をさっと奪った。

「…帰ろ、市子」
「え、あ、はい」

一瞬見せたあの顔はなんだったんだろう。そう思った瞬間、最初に触れたときより温かくなった久々知さんの手を、私は思わず少しだけ力を込めて握り返していた。


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