正直ぞっとした。いつもニコニコ笑っているのが印象的だったから、ここまで表情を失くした姿はまるで違う人みたいだ。竹谷さんの冷え切った瞳の奥がきゅっと細められる。怖い。先ほどまでとは比べ物にならない恐怖が私の体を硬直させる。
「た、け、やさ…」
「市子。なあ市子。学校には、お前を誑かす男がいるのか?」
震える声で彼の名前を呼べば、返ってきたのはそんな答え。
「手だ。市子の手から1番そいつの臭いがする。まさかそいつなんかに市子の手が触れられたのか?だめだ、そんなのだめだ」
「きゃ!」
ぐいっと手を掴まれる。そうだ、彼は犬神だ。人間にはわからない臭いも全部嗅ぎ取ってしまう。竹谷さんはなぜか怒りを顕わにしている。もはや隠す気もないのかばさりと彼の耳と尻尾が揺れた。
まずい、これはかなり私ピンチだ。怖すぎて思考回路が逆に冷静になってきているところがさらにまずい。
「市子ー?帰ってきてるんでしょ…っ、八左ヱ門!!」
玄関の物音を聞きつけたのか尾浜さんたちが顔を覗かせた。しかし私のことを絞め殺さんばかりに抱きしめ、腕を掴んでいる竹谷さんをみた瞬間、彼らの顔色が変わった。
「何やってるんだお前は!」
「っ!だって市子が、市子からっ」
鉢屋さんに引きはがされた竹谷さんは興奮してうまく説明出来ないのか私の名前を何度も呼ぶ。解放された私はその場にへたり込んだ。
「この臭い…」
「鉢屋さん?」
不意に鉢屋さんが顔を顰める。よくよく見ると周り全員が同じような顔をしていた。すっと尾浜さんが私の手をとる。その顔は苛立ちに満ち溢れていた。
「ねえ、今日学校で男の手に触れた?」
「え?」
「市子からね、不愉快なくらい強く知らない男の臭いがするんだ。ムカついて仕方ないんだけど…これ、誰の臭いかな。ねえ、知らない?」
さっきまでの苛立った顔が嘘みたいに笑顔の尾浜さん。しかしとられた手から伝わるうっすらとした痛みが尾浜さんが怒っていることを証明している。
「学校に、男の人、た、たくさんいるから、わかんない」
たどたどしく強張った口を動かす。わからない、と言った瞬間に腰に鈍い衝撃が走った。
「やだやだやだ!」
「うわっ、く、久々知さん!?」
「市子はオレたちのだからオレたち以外の臭いがするなんて、そんなのやだ!」
やだやだと首を降り続ける久々知さんは泣いているような震えた声で私にしがみつく。いつ私があなた方のものになったんだろう。それに泣きたいのはこっちだ。今のこの異常な状況で未だ倒れていない自分が奇跡のように思える。
「そんなこと言われても、ほんとに心当たりが…」
「ねえ市子ちゃん。右ポケットに入ってるそれ、なあに?」
「飴玉…それからその不愉快な臭いがする」
そっくりな2人が私のポケットから飴を取り出す。ちょっとまって!それは今日松下君からもらった…ん?松下君?っ、まさか!!
「心当たりがあるんだねえ、市子ちゃん?」
「これ、誰からもらったんだ?そいつの名前教えてくれよ」
にこにこにやにや狐耳の2人が笑う。瞳の奥は変わらずの苛立ち、そして少しの悲しげな感情を滲ませながら、竹谷さんと同じようにひどく冷え切っていた。おかしい、助けてもらったはずなのにどうしてこうなった。
「しっ、知って、どうするんですか?」
「決まってるじゃないか」
そして5匹の妖怪たちはとっても綺麗な笑顔をこちらに向ける。今までまったく感じなかった、氷のように冷たい彼らの妖気が伝わってきて、私の体は再びカタカタと震え始めた。
「消すんだよ」
誰かが、むしろ全員が声を揃えてそう言った。