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名前を呼ぶ事をしなかったのは、一種の防衛線だ。不思議なもので、ただのものなんかでも「名前」を与えると愛着が増す。
だから名前を呼ぶと言うのは


「秋山さん?」
向かいに座った彼女が俺を呼ぶ。
彼女に食事に呼ばれて例の如く家に来たけれど、彼女の話を聞くうちに考え込んでしまっていた。
「あ、ああ悪い。どうかしたか?」
「いえ、秋山さんが難しい顔をして宙を睨んでるものですから。」
何か考えごとですか?彼女は首を傾げる。あぁ、と空返事をして適当にはぐらかした。
彼女といる時間が増えた。馴れ馴れしく秋山さんと呼ばれるのはイヤではない。でも、彼女が俺の名を口にする度、その声に、その口から発せられる名前に縛られて動けなくなるような気がした。
もし「直」と呼んでしまったら、俺はきっと抗えない激情に負けて彼女を雁字搦めにしてしまうんだろう。

「君は本当に料理がうまいな。」
「あ、あの、有難うございます…」
そう言って照れ笑いする彼女は、眩しい。
「秋山さんは、好きなものとかないんですか?私大体なんでも作れますよ。」
「…君の作るものならなんだっていいよ。」
「全然参考にならないです…」
少しふくれっ面の君、俺はからかうように笑う。
「そんな顔するなよ」
「だって狡いです、秋山さんはいつだって…」

「私をからかうような態度で。名前も、呼んでくれない、ですし…」
俯いた彼女に、どきりとする。

届かない。届けてはいけないだろうこの思いが渦を巻いて胸を焦がす。この年になってこんな気持ちになるなんて。

「何でそう言う話に…」
「だってもう知り合って随分経つのに、こうして一緒にいてくれるのに、いつまでも"君"じゃ…なんか寂しい、です…」
心の底から寂しそうな顔、そんな顔…

君の優しさに寄りかからずに、生きていけるほど自分が強いとも思っちゃいない。が、防衛線まで張って孤独を選んでいたのは自分自身だ。
その名前を口にすることで、この胸を焦がし続ける激情の渦に飛び込んでしまう事は分かってる。でも



「…直、」



これからどれだけ君の名を呼ぶことになるんだろう。

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100427




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