優しい白

「ワタシと浮気をして下さい」
「はい?」

突如聞かされた言葉にノボリは目をぱちくりとすることしか出来なかった。目の前に居るのはついこの間知り合った、インゴ。イッシュとは別のバトルサブウェイで働いている・・・・ノボリに瓜二つの黒いサブウェイボス。最初会った時は余りにも似過ぎているインゴにノボリは戸惑いを隠せず、ただただクダリの後ろに隠れることしか出来なかった。しかしインゴはノボリとは違い怯えることなく流暢な英語でうっとりと目を細め話掛けてきた。その時ノボリは自分にではなく自分よりコミュニケーション力があるクダリに話し掛けろと念じたが。それも今ではいい思い出。

今ではすっかり馴染み、こうして気軽に遊びに来るようになったインゴ。…いつも1人で来ることには疑問を拭えないがノボリは多少ならずとも嬉しかった。


「で、今なんと」
「……一度で聞いて下さい」


ムスッと唇をあひるのように尖らせるインゴにノボリは苦笑する。


「何故笑うのです」


そんなノボリにインゴは居心地が悪いのか睨み答えを求める。ノボリはノボリで、今目の前に居るのは本当インゴなのかと疑ってしまいそうになっていた。しかし黒い制服に制帽、ノボリと同じ顔に声……を見れば彼本人なのは明らかで。


「えぇと、わたくしでは不十分なのでは?」
「そんなことないです!貴方でないとエメットは…」

勢いよく顔を上げ縋るかのようにノボリを見るインゴはまるで捨て犬のようで。ノボリはそんないつもは冷静沈着なインゴが困り果てている姿を見て考えた。恐らくインゴがここ数日1人で訪れているのはエメットの所為だろう。

そもそもエメットがちゃんとインゴを安心させていればこんなことにはならなかった。
インゴは良くも悪くも淡白なエメットの態度が不安で、ノボリを使い嫉妬をさせようとここ数日イッシュのバトルサブウェイまで通い詰めていたのだ。


「……というか、ドSや鬼畜など…あのクダリに言われている貴方にそんな可愛らしい一面があったことにわたくし、驚きました」
「っうるさいですね!ワタシとてわかっております、こんな…このような情けない姿貴方以外には見せられません」

ようするにエメットに気にかけてもらいたくて仕方無いようで。インゴは少し色付いている顔をコートで深く被り隠した。思春期の少年少女のようなじれったいことをしているインゴにノボリは手を伸ばし、拗ねて客人用のソファーに蹲っている黒を優しく抱き包む。


「の、のぼっ」
「…いいですか、嫉妬などしなくてもエメットは貴方のことちゃんと想っているに決まってるじゃありませんか。ずっと一緒に居たのでしょう?なら、きっと彼もわかっている筈です。…貴方の愛らしい行動に」

促すように耳元で囁くとインゴの肩は大きく揺れ、ゆらゆらと不安色に染まった眼がノボリを見上げる。恐らくまだ不安なのだ、ノボリにそう言われても所詮は他人。インゴが納得する 望む答えをくれるのはノボリではないのだ。

「ワタシ、別にそのような行動とってないです…。」
「……おや?ではエメットに構ってもらいたくてわたくしの元へと度々訪れるのは何処の誰です?」


いつもの優しいだけのノボリではない、含んだ言い方にインゴは口をへの字に曲げた。


「エメットなんか、もういいんです。知りません。…ワタシは女子のように柔らかくも可愛くもありません。きっと嫌われてるんです」


ノボリの元へ訪れるようになる前もずっと構ってもらいたくて、話し掛けたり嫌味を言ったりしたインゴ。しかしそれは全てエメットの笑顔で掻き消された。そもそもインゴはノボリ程素直ではない上、極端な天邪鬼。「抱きしめて欲しい」と心の底から思っていても出てくる言葉は「触らないで下さい」。嗚呼なんて可愛気の欠片もないことか。インゴはそれでも傍に居て同じサブウェイボスをしてくれているエメットが大好きで大好きで仕方が無かった。でもエメットは優しいだけで、キス以外はして来ない。兄弟、から恋人になった時のキス以来インゴはエメットの唇に触れてすらいない。優しい優しいエメットと辛辣で可愛気のないインゴ。釣り合わないと考えてしまうのは最早必然で、インゴは毎夜ベッドの中で静かに泣いていた。


「だから、いいのです。…エメットと同じ家に生まれたことだけで幸せだったんです」
「インゴ……。」


悪い方向へと考えてしまうのはノボリと同じ所為か、インゴの普段強気な表情が見る見る内に情けなくなる。もう少しこのままで居させて下さい、とインゴはノボリの優しさに甘えた。









「だそうですよ、エメット」
「…え?」

突然頭上で発せられたノボリの言葉に唖然としていると、ドアが静かに開きインゴが欲して堪らないエメットが入ってきた。その表情はいつもの笑顔。変わらない、何をしても変らない優しくインゴの大好きな微笑。予想外の出来事に掴んでいたノボリのコートに力を入れ縋りつく。何で、どうして、知ってたの、と意味をちゃんと込めて。するとそんなインゴを見ていたエメットの白に包まれた長い脚が大きく動き、ノボリからインゴを引き離した。引き寄せたの方が言葉としては正しい気がするが、エメットの力加減からして目的はノボリから引き離すことだったので間違えではない。


「ッな、な…え、えめっ……?」
「随分と可愛いことしてくれたね、インゴ。でも抱きつくのはボクだけにして?」


突然抱き寄せられ、半泣きだったインゴの頭は余計混乱する。あのインゴに対して感情を剥き出す事のなかったエメットが行動を起こした事自体インゴにとっては大事件。手をばたつかせエメットの胸板を必死に押し返そうとするインゴに、いつの間にか…いやエメットの後ろにずっと居たであろうクダリが顔を覗かせる。


「ふーん。いつもそうなら、ノボリみたいで可愛いのにね」
「インゴはいつでも可愛いよ。それにだめだよ、これはボクの」



にやにやにたにた。なんということか。3人の様子を傍観していたノボリが呆れ気味に溜息をつく。もしかしたらと踏んでいたが・・・。ノボリは額に手をあて、インゴが純粋で優しいと信じて疑わない想い人に目を向ける。ノボリの視線に気付いたのかエメットはそれはそれは見覚えのある、なんともいやらしい笑みを乗せ視線に応えた。





……インゴ、貴方嵌められてますよ。




言葉に出来ない忠告が届くはずもなく、エメットに抱きしめられただけでショートしそうなインゴにノボリは溜息を漏らした。












「ノボリもだめだよ。ぼく以外に抱きつくとか、…ほんと殴りたくなった」
「…やめて下さいまし。それに貴方だってインゴのこと可愛いとか言ってたじゃありませんか、同罪です」

エメットがインゴを抱かかえ出ていった後、クダリはノボリを後ろから抱きすくめながら舌打ち。外見が同じとて余程自分以外の人間がノボリと密着しているのが許せなかったのだろう。それを我慢してた時に指でも噛んでいたのか指からは薄っすらと血が滲み、床に落ちていった。


そんな赤を見つめながらノボリは赤く染まった指に唇を落とした。