ちょっとした出来事

ノボリの弟はとても優秀だ。仕事も素早く尚且つ的確にこなすし、何よりも温和で優しい。好意を寄せられるには当然であって嫌われる要素は皆無。しかしその完璧にも近い弟は時折理解不能な言動を、兄ノボリに対してとることがあった。

「クダリ」
「ノボリ兄さん・・!こんなところにいたの?!駄目じゃないか!誰かに撮られでもしたらどうするの!!何に使われるか分かったものじゃないんだよ!?」
「あの・・ちょっと落ち着いて下さいまし」

忙しなく動く口を横目に溜息を漏らす。はぁ。何故自販機に飲み物を買いに来ただけでこう心配されるのか・・・。殆どの分野において完璧さを見せる弟が唯一取り乱すのは兄関連のことばかり。自分はそんなに危なっかしいのか?ノボリは首を捻るしか出来なかった。

「ノボリ兄さ」
「・・・クダリ、私はそんなに危なっかしいですか?」
「え?」
「心配される程、私は至らないのでしょうか?」

そこまで頼りない兄なのか。世話焼かれるのは嬉しい一方不安が強くなるのもまた事実で。気持ちが徐々に沈んでゆく。

「・・変なこと言ってすみません。戻りましょうかクダリ」
「待って、兄さん」
「大丈夫ですよ、置いていきませんから」
「違う、そっちじゃない。」

足早に立ち去れるなんて出来る筈がなくて、ノボリはただただ俯く。睨まれでもしていたらどうしよう、そう想像しただけでも怖くて堪らない。そんな中視界には見慣れた白い靴にコートの端が自分の前に立ち止まっているのが見える。

「ノボリ兄さん、何か勘違いしてる」
「してません」
「なら何で目を見てくれないの?」

先ほどより低い声音にもしかしなくても不機嫌にさせてしまったのか。そう後悔しても遅い。

優しい弟を困らせるなんて、自分はなんて迷惑な兄なんだ。

心の中で誰かが囁き、その声が聞こえる度ノボリの心を蝕んで奥底へと、じわりと浸食していく。弟が現れて数分しか経っていないのに、ここまで気を落とせる自分はなんて卑屈なのだろうか。昔から優秀な弟と比べられ追い付こうと努力を重ねてきたが、それも最早限界。

薄々気付いていたが、自ら作り上げた深い溝にはまって動けなくしてしまっていたのは、紛れもなく自分自身。目の前で静かに怒っているクダリの順調に歩んできた道を迷惑掛け歪めるのは、いつも・・・・。

卑屈な思考にどっぷり両足をとられていたら、響いた渇いた音。
ぱしんっ。どうやら手を叩き気を向けようとしたのか、ノボリはまんまとそれに引っ掛かった。

音に釣られ面をあげれば笑っていない、自分とそっくりな顔がそこにあった。しかも先程より距離が縮まっていて、一歩踏み出せば届く、そんな近くて遠い距離。

「兄さん。僕がなんで怒ってるか、わかる?」

分かってないよね?だから教えてあげる。ふわりと微笑みクダリは息を吸い込んだ。

「ノボリ兄さんは、卑屈過ぎる。だから考えなくていいとこまで考えて落ち込むよね?今の表情とさっきの言葉からすると大方・・自分が至らないせいで僕を過保護にさせただとか、迷惑を掛けちゃってるとか。きっとそんなこと考えてる。」

クダリの言葉は力を弛めることなくノボリの心を締め付ける。目を見つめてくる弟に目の奥が痛くなる。今泣いてはいけない、込み上げてくるものを必死に堪えるも、震える唇は止まらない。

「わ、わかっているなら放って置いて下さい」
「兄さん」
「私など見ている暇があるのでしたら、もっと他の、貴方にしか出来ないことをして下さいまし」
「ねえ兄さん」
「機械も満足に扱えず、力仕事もあまりこなせないですし。人とのコミュニケーションもとれない、こんな私が一人で居るのがそんなに不安ですか?」
「兄さん、ちょっと」
「ならば私頑張ります、クダリに心配させないよう機械の操作もちゃんと覚えます。」


思っていたことがすらすらと吐き出される。手の掛かる兄のためではなく。有意義に自分の時間を使って欲しい、寂しくもあるがお互いもういい年に差し掛かっている。いつまでも甘えていてはいけない。その考えが先行している為か、ノボリはクダリの様子が急激に変化しているのに気付けなかった。

「ですからもっと・・私以外のことに気に掛けてあげて下さいまし、そうすれば何度言っても覚えられない私よりかはギアステーションの為に」
「兄さん黙って」
「クダ」
「黙って」

クダリが一言いっただけでノボリの心臓は忙しなく動き、心地良い心の音は間隔が徐々に短くなっていく。
嫌われてしまった、そんな卑屈な考えが再び過ぎる。ああ、また自分は余計なことを言ってしまったのだろうか。それでもクダリの為になると思ってのことなのだが・・・もう考えても考えても限がない、そんな自分に嫌気すら感じる。


「兄さん、顔上げて?」
「・・・」
「確かに僕は怒ってる。それは兄さんが自分のことを蔑ろにしてる所為もあるけど、・・もう一つ理由があるの、ここまで言ったらわかるよね?」


僕達は兄弟なんだから。
クダリの言葉が先ほどとは違う形で心に突き刺さる。


わかります、わかりますよ・・!貴方と何年同じ時を過ごしてきたか。分からない筈など無いのです。
顔を上げ息を吸い込もうと口を開こうとした刹那、クダリの手がノボリの口を優しく抑えた。


「っクダリ、私・・」
「いいよ、ちゃんと顔上げて、僕の目を見てくれただけで嬉しい」




どんな形であろうと突き放そうとした自分に優しく微笑んでくれる弟に心が打たれる。


・・・私の弟はなんて優しいことでしょう。
歓喜のあまり目の奥が熱くなり、ノボリは縋るように弟に抱きついた。







* * * * * 



「ってことがあったんだよ、エメット・・君なら何て返した?僕間違ってたかな・・」
「ノボリってばネガティブ!でも可愛いね、まぁボクのインゴの方がかわ」

がちゃん。

とぅるるるる。

「はい、何か?」
「ちょっといきなり切るってどういうこと?ほんとキミ性格捻くれてるよね」
「君にだけは言われたくないよ」

海の向こうの同じ白い車掌に電話をした自分が馬鹿だった。クダリは少し後悔する。しかし電話で相談する程に、兄については悩んで考えてしまう。それも年中無休といったレベルで。
しかし今回のことは今までの自分の兄に対する異常なまでの過保護、構い倒しな所為なのは明白。何年も続けてきた態度を改めれば何ら問題ないのだが、だからと言って彼から目を離すことなんて一瞬でも惜しい。寧ろ見続ける為隠しカメラでも仕込みたい気持ちでクダリは毎日を過ごしている。

「ま、いいんじゃない?ボクもうそろそろ監禁したいレベルにまで達してるし」
「うん。それ絶対やめなよ?」


はぁ。溜息が漏れる。米神を押さえクダリは時折聞こえる真面目な言葉に耳を澄ませ、机の上に飾られている写真立ての中の、愛しい兄を見つめ続けたのだった。





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アニマス+エメインという異端物ですが、恐れ多くも企画に提出させていただきました。