嫌悪には程遠い行為

クダリは目の前にある光景に言葉をなくした。

「別にお前の為じゃないですからね。勘違いしないで下さいまし」
「・・・・・」

程よく焦げ目がつき美味しそうなパンに、しゃきしゃきの緑野菜にフレンチドレッシングがかかり、その隣にはオレンジやピーチといった果実が添えられている。中央に置かれているベーコンエッグはクダリの好みに合わせ黄身はちゃんと潰されていた。

「・・黄身」
「気分です。偶々潰したかっただけです。貴方の好みになんて合わせておりません」

ふいっと顔を背け気まずそうに唇を噛み締めるノボリにもやもやとしたものが胸の中に渦巻く。何故いきなりこんな・・と思うが美味しそうな朝食を前に腹の虫が一斉にノックをし出した。ぐぎゅううう。なんとも恥ずかしい音が静かなリビングに響き渡る。それを聞いた兄はきょとんと瞬きをして弟を見つめる。

「・・・いただきます」
「・・・!」

ぽつり。一言呟き、椅子に座る。ノボリはそわそわと落ち着かない様子で向かいの椅子の背を掴む。何故向かいなんだと顔を歪めるが、いつもほの暗い無感情で冷たい瞳が少し暖かみを持っていたのを見てクダリは押し黙る。何年も昔、自分と一緒に居た時の、あの懐かしい、優しい瞳。・・何故今頃そんな眼で見つめてくる、意味が分からない。

「ふーん?」
「なんです。文句あるなら口にしなくて「これぼくの好物だよね」

ぷすりとフォークで刺し、知り合いには意外、似合わないと言われる好物のパプリカを鼻先に差し出す。ピーマンは嫌いだけどパプリカは好き。昔はそんな屁理屈を言い意地でもピーマンを口にしなかったクダリの密かな好物。普段は野菜庫に入っていないそれが今目の前にある。遠まわしに何故と聞けばノボリは再び気まずそうに唇を噛み締め顔を背ける。

「・・別に偶々です」
「また偶々?朝食といいパプリカといい、ねぇ・・一体どういうつもり」
「っ煩いです!文句言うなら食べなくてよろしい!」
「は?なんでぼくが命令されなきゃいけないの。それに文句なんて一言も言ってないんだけど」

今にも噴火しそうなノボリを睨み付けると自然と本音が零れ落ちた。しまった、そう後悔してもクダリの言葉は既に相手の耳に届いており・・。

「え・・?」
「あ」

口が滑った。クダリがノボリに対し文句を言わないことなど一度とて無かったというのに。明日は槍が降るだろう、きっとそう思われるに違いない。咳払いをしてサラダに手を伸ばす。ノボリの困惑した様子など見ないふりだ。クダリは黙々と食べ進める。

おいしい。ノボリの手料理なんて二度と食べれると思ってなかった。

じわりと内側から包み込まれるような温かさに顔の筋肉が緩む。明らか自分の為に作ってくれていた事実にここまで嬉しい思いに支配されるなど。考えられない。まさか自分は未だ夢の中に居るのではないか。疑問が一瞬通り過ぎるが、口の中に広がる仄かな苦味に現実だと実感させられる。いやそもそも嬉しいって、どういうことだ。自分は兄が嫌いであって、急に昔のようなことをされたとしてもその気持ちには変わり無い、はず。矛盾する感情に若干困惑する。ちらりとその原因となっているノボリを見る。


「・・・・」


見るんじゃなかった。数秒前の自分に後悔する。静かにパンを頬張る兄の頬は仄かに赤色に染まっており、見るからに機嫌が良さそうだった。なんということだ。何故自分と朝食を共にして嬉しそうにしているんだ、尽きない疑問に頭を抱えたくなった。


「な、なんです」

視線に気付いたノボリは眉間に皺を刻み疑い深げにパンをちぎる手を止める。

「・・別に?」
「なら見ないで下さいまし」
「・・口ちっさ」
「・・・・はい?何です。喧嘩売っているのですか」

徐々に普段通りになり始めた空気、突き進めば普段通りの日常。しかしクダリは自分でも失言と気付かぬまま爆弾を落とした。


「いや、なんか食べ方がハムスターみたいでかわ・・」
「は?」
「・・・あ」

かわ・・の後は聞かずとも想像が誰でもつくもので。口に鍵を掛けるもノボリは唖然と目をぱちくりとさせクダリを見つめる。何を言われたか分かっていない顔。普段無表情ですかした兄の子供らしい表情にクダリの心音が大きく鳴る。

「あー・・ご馳走様、歯磨いてくる」
「はぁ」

理解され気まずい空気になる前に立ち去る。つかつかと廊下を歩くクダリの心中を占めるのはつい数分前の自分の有り得ない言葉。
かわ・・の後、ぼくはなんて言おうとした。やめろ、しっかりしろぼく・・!頭をがしがしとかき、洗面所の鏡で自分を睨む。

「・・ありえない」

はぁ。溜息もつきたくなるような、酷い顔に余計項垂れる。耳まで赤くなった顔、目は潤み、動揺しているのが一目瞭然。リビングに居る際は冷静を保っていたが、一人になった途端に出る己に忌々しささえ感じる。


* * * * *

「嘘でしょう・・」

一人になったリビングでノボリは顔を手で覆っていた。恥ずかしい、今にも顔から火が出そうだ。ありえない、こんな照れがあって堪るものか。歯軋りをして思い出すのは自分には到底似合わないあの言葉。

ハムスターみたいでかわ・・い、い・・と言いたかったんですかねあの愚弟は。やはり喧嘩を売っているのでしょうか。にしてはなにやら余所余所しかったけれども、それ以前に・・。

何故そこで照れるのですか・・!!

ご馳走様といって立ち去るクダリの頬は仄かに赤く染まっていた。

言い逃げという愚かな行動をした弟にノボリは溜息をつく。顔に熱が集まり、引かない。これも全て弟のせいだ。あの夜に聞いたあの独り言に。偶には、という軽い気持ちで朝食をつくり不覚にも彼の好物を皿に入れてしまった自分も悪い。しかしそれを行動に起こさせたのは紛れもなくクダリ。それを黙々と文句も吐かずに食べたのも、クダリで。長年罵り合い食事も一緒にとらなかった筈の弟。けれど、つい彼好みにと潰してしまった卵の黄身を目を細め美味しそうに頬張る姿に嬉しさが込み上げたのもまた・・・。


仲良くしたいみたいじゃん。

目を瞑る度あの言葉が何度もリプレイされる。そわそわして落ち着かない気分で日々を過ごしてきた、当本人は相変わらずそっけない態度。文句も垂れずに遠くからじっとノボリを見つめるだけで。前のように険悪とした空気にはあまりならなくなっていた。

「・・そもそも全部クダリが悪いんです。」

怒ったあの日から余計こんがらがってきた関係にノボリは大きく息を吐いた。

あの馬鹿弟が何考えてるか突き止めるまでわたくしは諦めませんよ。他人から見たらどうでもいいようなことを心に誓い、ノボリはクダリのコートへ手をかけた。