続百恋物語*

これの続きです


ノボリは困惑の渦の中心に居た。高額の給料に惹かれ、臨時として入った所謂アルバイト。期間が終わればメイド服も脱ぐ予定だった。それが何時の間にか狂わされ突きつけられた書類。字を追うと正採用の文字。そしてつらつら細かい文字の羅列の最後には。


「・・・主には感情を抱かないこと?」
「あ、あぁ・・それ。クダリ様が余計な好意を寄せられたら堪ったものじゃないとのことで。・・・・まぁ君には関係ないからスルーしていいよ」
「・・はぁ」

よく分からないが気にするなということだろう。でもこの採用受ける訳にはいかなかった。

「あの申し訳ないですがわたくし2週間の短期アルバイトとして入った身です。正採用を頂くことは出来ません」

ノボリが断りを入れるとやたら面倒身がいい執事がわなわなと肩を揺らした。目を見開き、何故と訴えかけてくる。その姿はまさに藁にも縋るような思い、を体で表しているようで。今にも泣き出されそうな雰囲気にノボリは再び困惑の渦の泥濘に足をとられた。まさかここまでの反応が返ってくるとは。ひとまず正採用を受けれない理由を説明した。
ノボリは訳あってフリーターをしている、それは今回のように短期間であったり年単位であったりと様々で。今回2週間と決められていたのを見通して、次の仕事に目星をつけていた。それは巷で有名の飲食店のオープニングスタッフ。店自体はまだ出来上がっていないが面接は受け既に合格していた。このメイドのアルバイトが終了したら研修もはじまる予定。正社員ではないため辞めたら直ぐに新しい仕事に就ける。ノボリは兎に角生き抜く為こうして必死に働いてきたのだ。
全て説明し終えると白い主が背後に居ることに気付き、慌てて頭を下げる。

「なに。ノボリ2週間でここ辞めるの?」
「え、はい・・・そういう契約でしたから」
「ふぅん?」

突然現れた主に執事とメイドは驚きを隠せない。今2人が居る場所は洗濯機が置かれているなんともこじんまりした使用人たちの休憩所。館の主が来るような場所ではないのだ。

「却下」

ビリッ。クダリは机に置かれていたノボリの契約書を破いた。一瞬のことで何が起こったか理解出来ないでいる使用人たちに白い主は苛立ったように話かける。しかしその苛立ちはノボリではなく執事のみに向けられていて。

「ノボリは辞めさせないから。・・・・・まぁ、言いたいことは分かるでしょ?よし、じゃあ行こうかノボリ。お茶にしよう」
「えっあのご主人様?わたくし今クビになったのでは?」

強引に腕を引かれるが消えない疑問。それを言葉にした刹那、クダリの動きがぴたりと一時停止した。

「・・・・クビ?」
「は、はい。今ご主人様わたくしの契約書を破られたので・・・それで・・・」
「しないよ。あれは短期の契約書でしょ?きみにはずっとここに居てもらうことにしたから」

主直々に言われた言葉にその場の空気が凍りつく。しかし執事だけは分かっていたかのように頷いていた。ノボリの事情など知ったこったない。クダリは満面の笑みで彼女を、自分のメイドを崖から引き摺り落とす。

「ぼくがきみを解雇すると思った?残念でした。ノボリは一生ぼくのお世話するんだよ、わかった?」
「ま、待って下さいましご主人様・・!わたくし既に次の仕事の・・」
「それはこっちで断っておくから。大丈夫だよ」

否定を受け付けつけず有無を言わせない態度で主はメイドの前に立ち塞がった。彼と出会いたった2,3日しか経過していないのに。雇い主と使用人という関係でなかったとしても何故だろうか、彼に、クダリに逆らえる気がノボリはしなかった。口を開閉させ自分より幾分背が高い主を見上げることしか無力の彼女は出来ず。そんなメイドに主は満足したように頷き言葉を続ける。

「考えてみてよ。ぼくの話し相手してくれるだけでお給料弾むんだよ?無駄に笑顔なんて振りまかなくてもいいし、ぼくの機嫌だけとってればいいんだ。住むところも老後も食べ物も全部保証される。実に良い条件が揃った仕事だと思うんだけど?」
確かに。頷く他の選択肢は無かった。仕事を転々とするより1つの仕事に留まった方が良い。老後、という言葉には若干驚愕したがそれ以外はクダリのお世話をするだけの話で。住む場所も食べ物も等の心配もしなくてもよい、それはとても好条件で。ノボリは改めて頭を下げる。

「無礼な振る舞い申し訳ありませんでした。これからもどうぞよろしくお願い致しますご主人様」
「うん、別にいいよ。ノボリだしね!ほらじゃあお茶!ぼくノボリが淹れた紅茶飲みたいなぁ」
「はい、かしこまりました」

狭い休憩室から出て行く2人の後ろ姿に、またも空気と化していた執事は感動していた。これはどういうことなのか。必死に頭を回転させる。あの主がいくら気にいった素振りを初日に見せたからといって解雇なし。前代未聞の事態に手が震えはじめるが、良い傾向に動いているには変わりない。昨日、一昨日は庭の掃除の手伝いをさせていたからクダリとノボリは一切接触無かった。しかし昨夜「ノボリに汚い仕事押し付けないでよ」と直々に注意されたのは鮮明に覚えている。・・・・・矢張りもしかしなくてもこれは。

今週になって驚くことばかりだ、と執事は溜息をついた。




こうしてノボリのメイド生活は再び始まったのだった。