泣虫な卑怯者

これの続きです

クダリ。

か細い声で話しかけてきたノボリに心の音はばくばくと跳ね上がった。平然を装い返事をする。何でも夕飯の買出しに行くから留守番していて欲しいとのこと。あの日の後から徹底的に避けられていた身としては嬉しいけれど。

「一緒に買出し行こうよ、荷物持つ」
「・・え」

どうせ行くなら一緒がいい。でもネガティブな兄はそれだけで納得しなくて。

「だ、だめですっクダリにはクダリの時間があるでしょう?それにほら・・わたくしと買出しなんか楽しくも何ともないですから!」
「楽しいよ」
「う、嘘です・・・!」

俯き頑なに自分を卑下するノボリ。なんて謙虚で愛らしいんだろうか。彼をこんなに卑屈にしてしまったのはぼく、全部ぼくが長年積み上げた賜物。忙しなく動き回る眼球、困惑する表情に、小刻みに首を横に振るその様子。まるで小動物のような動きをする兄に満面の笑みが自然と出る。震えている手を掴み強引に家から連れ出す。こうでもしないと否定され続ける。クダリはそれを知っていた。もうあんな惨めな思いはごめんだ。
出掛けようと促してもいつもいつも拒絶され、最終的には一人寂しく家を出る日々。登下校は常に1人でいた思い出しかない。今は仕事の関係上、仕方なく。というか上からの命令で一緒に居ることが多いが、それはノボリの意志ではない。だからこそあの日、ご飯を誘った夜、何度目か分からない拒絶をされた時。クダリは強く決意をした。絶対もう引き下がらない。・・・引き下がってやらない。弟がそんなことを考えているとは露知らず腕を引かれているノボリはノボリで気が気じゃなかった。
どうしましょう、クダリが、わたくしの腕を、ひたすらその言葉が頭の中を駆け巡る。冷え汗が頬を伝う。声を掛けても帰ってくるのは自分に二度と向けられることはないと覚悟をした、大好きな笑顔。それを見て自分の中にある邪な思いが沸き上がる。駄目、弟には心に決めた人がいるというのに。なんと浅ましい。微笑み掛けられ嬉しいと思う反面、彼はもう自分の物には絶対ならないのだからやめて欲しい、と汚いオモイが溢れ出しそうになる。

「クダリ離して下さいまし!1人で歩けますから」
「えー?でも離したらノボリどっか行っちゃいそうなんだもん」
「い、行きません!」

子供扱いしないで下さいまし。頬を赤くしながらぽこぽこと憤怒するその姿はいつもよりとても幼く見えて、苦笑する。ノボリはまだクダリと会話する際俯きがちだが、隣から聞こえた笑いが漏れる音に過敏に反応した。睨まれると思っていたがそんなことがある訳がなくて。ノボリは口元を引き締めすたすたと歩き始めた。急いで自慢の長い足を使い追いかける。

「ちょっとノボリ置いて行かないでよ」
「・・どうせわたくしをからかって遊んでいるのでしょう」
「は?」
「もう、いいです。・・彼女様にわたくしを紹介する際、印象悪くしてしまったら気まずいですものね、大丈夫です。ちゃんとコミュニケーションぐらい取れますから」

一瞬ノボリの口から出る言葉の数々についていけなくなりそうになるが。そこは自分の頭の回転の良さでフォローする。恐らく今の言葉を分析すると、ノボリは自分に彼女を紹介してきた時の為こうやって、今まで出来ていた兄弟の深い溝を埋め交流しようとしている。そう思っているのだろう。しかしその考えは見当違い。

「ノボリ、違うよ。ぼくは」
「何が違うんですかっ先々週から・・何かおかしいと思ってたんです。貴方がわたくしに構う理由がそれ以外無いです」

相変わらずクダリを一目も見ないで俯き冷たい声色で吐き出すノボリ。ざわりと嫌な予感がする、なんだろうすごく、嫌な予感。鼓膜の奥に突き刺さる否定の言葉。

ああ、「また」 だ。

ねぇノボリ、きみはあと何回ぼくを拒絶すれば気が済むのかな?


隣に居るのに遠く感じる距離に、自然と口角が下がる。傍から見たら服だけ色が違う完璧な双子だ。そんな弟の異変に気付かない兄は口を閉じるのを止めない。

「わたくしは貴方に好かれるような兄では・・人ではない。・・彼女様にはちゃんと挨拶します、仲良い風に装います。ですから」
「ノボリ!」

冗談じゃない。そう思った瞬間自分でも出したことのない声が出てその場を支配した。ぼくを、見て。有りっ丈の想いを込め肩を掴み、顔を上げさせる。ようやく上を向いた愛しい兄の目には少し涙を溜まっていた。なんで、そういう風にしか思えないの?完全自業自得で招いた結果だけれども、余りにも卑屈過ぎる。何故。クダリは歯軋りをする。愛しさの余り見えなくなっていた、まさに恋は盲目。悲観的な思考回路、自分にとったらそんな一面も愛らしく思えるのだが、しかしそれは世間一般からみたら唯の欠点でしかなく。

「ご、ごめんなさ・・」
「謝らないで」
「クダ」
「いいよ。もういい、隠さない。いい?ノボリちゃんとぼくが言うこと聞いて?」

絶対目を背けないで、自分の目で確かめて。自分と同じ色の瞳を見つめる。そして彼がしているであろう勘違いを解く為に息を吸い込む。自分はただ昔のように仲良くしたいこと、彼女のことなど関係ないこと、そしてノボリが大好きなこと。全て事細かに説明する。途中でノボリが泣き出したり、耳を塞ごうとしたりしたが何とかし全部話し終えた。すると壊れたように何かに怯え震え始めた。大方信じられないのだろう。

「そ、そんなの嘘です」
「嘘じゃない」
「嘘です!!わたくしが他人に好かれる資格など・・」
「そういうところ。ノボリの悪いとこ、好意はしっかり受け止めなよ」

首を横に振り否定する兄に胸がざわつく。そんなとこも可愛いよ、ぼくのノボリ。でも今全部打ち明けたら、弱くて儚い君は壊れてしまうだろうから。まだ家族愛ってことにしておいてあげる。ネガティブ思考が止まらないのかノボリは嘘、嘘と呟き挙句の果てには泣き出してしまった。ああ可愛い、すすり泣くその声にぼくが何度抜いたことか。優しくて臆病で卑怯なお兄ちゃん。大丈夫だよ、ぼくが一生愛してあげるからね。そう心内で告白し、クダリはノボリを気遣うよう背中を撫でる。わたくしが不甲斐無い所為なのです、そう言って涙を拭うノボリにクダリは留めない興奮を覚えた。ああ、ぼくのノボリが、ぼくだけのノボリが、ぼくでいっぱいになってる。なんて幸せなんだろうか。

「クダリ、わたくしこんな頼りなく不甲斐無い兄ですが・・昔のように一緒に居てくれますか?」
「もちろん!」
「・・も、もし、その・・貴方様が結婚して、も時々連絡したりしてもらえると、あの」
「・・・もちろん」

そんなことありえないけどね。クダリはノボリに見えないところで溜息をついた。本当ノボリって馬鹿、自分で自分の首絞めてるんだもん。ネガティブで引っ込み思案の癖に。ぼくのことずっと好きだったくせに、結婚とか言うとかさ。君今自分がどんな顔してるかわかってる?ねぇ。・・・そう言いたくても言える権利は今はなく、黙って押し潰されそうになっている兄を見つめる。そしてそこで思い出す。今自分達がいる場所を。・・・うん、マンションのエントランスはちょっと噂になるよね。まいったな。

「ノボリ、とりあえず場所移動しよ?・・買い物どうする?」
「は、はい。買い物・・・」

行けるはずないよね。そんな泣き腫らした目で。意地悪く言えばノボリは更に顔を歪ませた。危ない、調子に乗ってまた泣かせるところだ。ひとまず家に帰ろうと促すと無言で着いてくる兄の姿にひな鳥を思い出す。・・・親鳥ってこんな気持ちか。そんな阿呆なことを考える。

「ノボリ今日はあるものでご飯にしよう。今度こそ絶対一緒に食べようね」
「・・・はい」

申し訳無さそうに目を伏せるノボリを見て、帰宅したら自分の机奥深くに隠してある観察ノートに新たに「泣き顔も可愛い」と追加しなくちゃ・・・うん、そうしよう。


こうしてクダリの楽しみが1つ増えたのだった。



* * * * *
少しだけ一歩前進した二人
避けられ始めて少ししてから兄観察日記(現在5冊目)をつけはじめてたクダリ