ネバーランドへいけないこども


右半分を欠いた月が真上に出ている晩。
ジンは自室へ戻る途中に背後からよく通る声で名を呼ばれ、振り返った。

「ジン」
「ああ、綾さん。こんばんは。良い夜ですね」
「そう?嫌な夜だわ。月が綺麗過ぎるから。今丁度あなたの部屋を訪ねようと思ってたの」
「珍しいですね、綾さんが僕の部屋へ訪ねてくるなんて。何の用です?」
「別に大した用じゃないの」

ジンはロアの事を苦手としている節があった。ロアの女性的な身体は、過去を思い起こさせる。しかし、そんな彼女の曲線的且つ肉欲的な体には欲情しないものの、眼だけは別だった。鋭い慧眼。紛れも無くドラゴンキラーの特徴が現れたその双眸は、ジンを何故か惹き付ける。そうだ。だからこそ。だからこそ僕は彼女を巧く利用出来る自信が無いのかもしれないな。内心で自嘲しながらも、表面的に貼り付けた笑顔は相手に好意を芽生えさせるそれだ。 綾の希釈されたような瞳が、ジンの纏う衣服へ注がれる。片手に抱えているのはロングコート。着用しているマルクト公式の軍服は乱れ、中のカッターシャツも肌蹴ていて、情事の後を漂わせる。

「どうして、制服なの?」
「ご要望に、お応えして」
「………あなたは、好きでも無い輩に身体を開いて楽しいの?」

咎めるでも揶揄するでもない、何の感慨も含まれていない声音でそう言う。ジンは「それなりには」と微笑で答えた。その言葉を聞いた彼女がした、一瞬の、切なそうな眼。彼女が自分に恋心を抱いていることは、随分前から知っていた。知っていた、だけだ。ぐるり、と過去が脳内を巡る。………無理なのだ、僕には。

「綾さんにはわからないんですよ。強いから。僕は綾さんほど強くない」

僕は誰かに好かれたくて誰かを利用しながら生きている。それも弱いからだ。僕は弱い。強くなればいい、とそんなのは思うだけで、実際に強くなんてなれる訳がない。本当に、なんとも滑稽な自分が笑えてくる。彼女の前で弱音を吐くなんてらしくない、とジンは内心で舌打ちをする。そういうのは、思うだけで留めておくものだ。しかし綾は心外そうに頭を振った。

「私だって強くないわ。体は強くても心は弱い」

水竜。その名の通り、水分を奪い尽くす竜。彼女がその力を行使すれば、どんな人間だろうと触れもせず、刹那のうちに窒息死させる事も可能だ。何年もドラゴンキラーとしてやってきた彼女はジンよりも強い。もしかしたらレクスやリリィも敵わないかもしれない。

「リリィとロディには困ったものね」
「ええ、本当です。しかし文句ばかり言っている訳にもいきませんからね。綾さんも既に動いているんですか?」
「ううん。私は何も言われてないわ。ジンとレクスが行くんでしょう?」
「そのようです。まぁ、レクスさんは純粋に殺したいだけなんでしょうけど。うん、僕も楽になりたいです」

ジンの冗談に、綾はくすくすと笑った。
それが普段見るその表情よりも幾分か幼いものであったことに、戸惑う。いや、今更何を戸惑うことがあるのか?


「私はジンの事が好きよ」


何も見返りを必要としない、純然とした好意にジンは揺らいでいた。綾はジンを利用しようとしている訳ではなく、ジンは彼女を利用しようとしている。今しようとしていること全てが不毛なことのように思えた。同時に、欲しがっていたものが目の前にあるような気もした。そんなこと、ある筈がないのに。陶磁器のような指先がジンの左耳の三つのピアスに触れる。

「ジンが痛がってると私も痛い」
「…………綾、さ」

薄いきれいな瞳が間近に迫って、(僕には決して手に入らない)優しい、どこまでも優しいくちづけが落とされる。綾。名を呼ぼうとした唇は既に塞がれていて、ジンは無意識のうちに微笑を消していたことに辟易した。不思議と、嫌悪感は沸いてこなかった。

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