戯言壁のまねごと


今日も今日とて僕の両親を殺した男は笑顔で僕の元へやって来た。



「やあやあ。秋篠くん。リトルの調子はどうだい?」

「今は微調整中です。ご希望でしたら会話する事も出来ますが」



男は喜色満面の莞爾を向け、白衣を翻し、愛しの彼女が眠る調整棺までかつかつと靴底を鳴らしながら近付いてゆく。
千鳥あずさ。彼という人間を表現するのに長ったらしい文章は必要なく、たったの二文字で事足りる。



天才。


そう、千鳥あずさは比類なき才能の持ち主なのだった。
体型は細身で縦に長い。真っ黒な直毛に野暮ったい黒縁眼鏡をかけていて、大体の天才と呼ばれる人間がそうであるように、性格は非常によろしくないというのが僕の彼に対する忌憚のない意見だった。



「秋篠くん秋篠くん。きみ、何してるの。はやく調整棺開けて」



我らがシン・リトル社における核兵器開発の第一人者である、弱冠18歳の第一開発局局長殿は女性の好みもまた一段と変わっている。
その意中の相手はヒト型汎用兵器型番AS10021。我が国初の女性型アンドロイドのプロトタイプである。
彼女の外見年齢は17歳程度で、見た者に印象付ける、肩口で切り揃えた紅茶色の髪に、神秘的な碧眼。
うっすらと色づいた頬はどこからどうみても人間そのもので、現代の美少女といっても差し支えないだろう。
加えて言うなら彼女の脳に搭載された感情記憶OSのおかげで、小国の国家予算程度の開発費のかかった女性型機械は日々人間の感情を学習し成長している。
基盤にしているのは彼女の発案者である女性の記憶媒体と感情パターンのトレースだが、今は大分この男の色に染められているように思う。


無論、研究所にも兵器に感情を与えてやる必要はあるのか、という否定的な意見もある。それに反駁したのがこの男、千鳥だった。感情というのは怖いもので、時には通常値を超えた数値を叩き出す事がある。そしてその中へ"狂信"という要素を加えてやれば兵器よりも兵器らしく掃討する機械の出来上がり。端的に言えば確かそんな感じの内容で上層部を丸め込んだのだった。


彼、千鳥あずさは兵器である彼女に社名から取ったリトルという個別の名前をつけて寵愛していた。子供がその時一番お気に入りのおもちゃで遊ぶように、他のものには目もくれないで彼女と会話するあたり、彼に意見する権限を持たない一介の研究員でしかない僕達にとっては迷惑な話だった。僕はすっかり冷めてしまったコーヒーをテーブルの上に戻して、調整棺を開けるよう他の研究員へ促した。千鳥さんは腕組みをしながら血のように真っ赤なシャツに皺を作って、僕を睥睨する。



「それにしてもきみってば本当に目つき悪いねえ。もしこの場に刃物があったら今にも俺を押し倒して喉元に冷たい刃をギリギリまで近づけ泣いて命乞いするまでじわじわといたぶりたいって目してるよ」



どんな目つきだよ。
僕の目つきの悪さは生まれつきであり、この凶悪さに関しては露製シクヴァルにも匹敵するだろうという自負がある。
どんな生意気な子供も僕を見た瞬間に泣き出すし、初対面の女性には「そ、それ以上…来ないで…!警察呼ぶわよ…!」と言われたことが嘗て何度あっただろうか。私服で街をぶらぶらしていたりすると私服警官に職質されて、否応なく所持品検査をさせられた経験も数える気にならないくらいあった。自慢ではないが人生において麻薬の類をやった経験は一度も無いし今後の予定にも無い。このシン・リトル社に就職してからもだって凶悪な目つきに白衣のせいで完全なマッドサイエンティストだった。深夜に鏡にうつりこんだ自分を見てこいつ確実に三人は殺してるなと思ってへこんだことはあるけど、別に気にしてない。



「こればかりは生まれつきですので何とも。それとこれは個人的な興味による質問なのでご返答頂く必要も無いのですが…千鳥局長が"彼女"に執心なさる理由をお聞かせ願えますか?」

本物のマッドサイエンティストは、調整棺から徐々に顔を出し始める彼女を愛しそうにうっとりと眺めながら言った。



「だって標準兵装がスティンガーFIM-92FとM242の女の子よ?俺きゅんきゅんしちゃうなあ」




総重量200kgオーバーの地対空ミサイルと機関砲を軽々と使いこなせることにきゅんきゅんするのはどうかと思う。
しかし、虫も殺せなさそうな笑顔をして、千鳥あずさという男は年間およそ100万人を殺す大量殺戮者でもあるのだった。
そしてそんな大罪人は国民に英雄と崇められ熱い声援を送られる訳で。
これでは過去に死んだ僕の両親も浮かばれないというものだ。敗者は詰るべき悪でしかないのだから、仕方ないんだけれど。


千鳥さんはそれこそまるでかけがえのない恋人にだけ見せるような表情で、完全に姿を現した少女の全身を眺める。この人の所属は一局だというのに、頻繁に僕ら二局の元へやってくるのだが、自分の研究の方は滞っていないのだろうか。



「"きゅんきゅん"というのはどういった心理状態を表すものなのですか?」



僕達の会話もしっかりと認識していたらしい。
AS10021が瞳の虹彩を調節しつつ、小首を傾げた。声音は外見年齢に合わせ、平均的な少女のものだ。


「うわ、かわいー…アハハ、きゅんきゅんっていうのは胸の奥がきゅん!ってする感じだよ」


千鳥さんは科学者らしからぬ説明になってない説明をしつつ、黒縁眼鏡を指先で押し上げる。人間を殺す人間と人間を殺す機械なんてベストカップル大賞なんじゃないかな。

僕は既に手放したコーヒーの苦味が恋しくなっていて、後は千鳥さんが彼女と数分話して帰るのを待つばかりだった。これからまだ感情記憶OSによるシュミレーションのチェックがあるっていうのに。ほんと、天才というのは手が焼ける。



「今日のリトルも一段と可愛いなあ。噂によるとあの高名なイズミ少佐も何度か来ているそうだね。もしかしたら新型の模擬戦闘用の相手を物色しているのかな。それだったら是非この子とお願いしたいよ。ね、秋篠くん。だめかな?」
「いえ。彼女はまだ調節中でありますので私の一存では決定しかねます」
「アハハ、相変わらずかたいなあ。きみは。けれど一局も今色々とゴタゴタしてるからねえ…迂闊には動けないかな。残念だよ」
「ゴタゴタというと……例の献体の件で?」
「そうそう。人体実験なんてイマドキはやらないよ。拘束するから逃げられる。当然のことさ。俺は断然こっちの方が良いね。あーもうはやく実戦配備されないかなあ…リトル…」



言外に戦争をしたいという不謹慎な響きを込めているのにも、本人は気付いていないのだろう。

何しろ彼はこんなに不謹慎な兵器に手を出すくらいなのだから。



「―――失礼ですが千鳥局長は戦争をする事についてどう思われますか?」



凡才の不躾な問い掛けに、天才は愉快そうに肩を揺らした。



「世界を平和にするために戦争するんでしょ?それ以外の理由なんてある?」



戦争根絶とか書かれたプレートを持って街を闊歩するような人々に聞かれたら、それこそ刺されてもおかしくない答え。しかしこの会社に籍を置く以上それは模範解答となる。
鼻から吸った空気が喉を通っていくだけで、ひりひりして、思わず唾を飲んだ。空気を吐き出すように、声を零す。



「――――Si vis pacem parabellum.」



シィ・ウィス・パケム・パラベラム。汝、平和を望むなら戦争に備えよ。
我らがシン・リトル社のキャッチコピーにもなっているラテン語である。
だけれど今なら僕はSi vis pacem, para iustitiam―――平和を望むなら、公正を準備せよ――こちらをキャッチコピーにするべきだったと諫言するね。
一流の悪党は一流の悪党らしく振る舞うべきだ。




「そう、それ。まあ僕達科学者は好奇心の塊だけどね。きみもあんまりそういう無駄なこと考えちゃうと、誰かさんみたいに消されちゃうよ?………おっと。今のは失言だったな。アハハ、忘れてよ。それより秋篠くんはネクタイを変えた方が良いね。今度僕が赤を贈ろう」
「失礼ですが、男性にネクタイを送られて喜ぶ趣味は私にはありませんので謹んで辞退させて頂きます」

「アハハ、遠慮することないのにー」



年下の上司は白衣のポケットに両手を突っ込んで首を振った。

ふくしゅうなんて何もうまないんだって誰かが僕に言ってくれたことを思い出した。そいつは暫く前に死んだけど。まあ、それはそれ。これはこれ、だ。
第一、復讐が何も生まないだなんて、復讐に対して失礼というものだ。何か生むことだってあるだろうよ。
例えばそれはほんのちょっとの満足感と大きな後悔。割に合うか合わないかは自己判断で。

――――ああ、僕はこの人に復讐したら、泣いて後悔するんだろうなあ。

僕はこの変な男を、人を見た目で判断しない千鳥さんを、嫌いじゃないからさ。
だからってそれが復讐をやめる理由にはならないけれど、ね。





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