君はまた、煙草に火をつける。



 細い肩には、あまりにも重すぎるんじゃないかと――そう思った。

 

「うっはすげえ吸い殻の量。タバコやめたほうがいいぜ〜、また税金あがるってよ」



 テーブルに乗る灰皿には、山のようにタバコの吸い殻があった。ここは、神藤の家。高校を卒業してからしばらくして一人暮らしを始めた神藤の住む、アパートの一室だ。ある日の仕事終わり、仕事疲れから何かだろうか、神藤は憔悴しきっていた。そんな彼のことがどうしても気にかかり、鑓水は神藤の家に押しかけたのだった。



「最近どうよ、神藤くん」

「……何も、変わりないですよ」

「本当かねえ」


 神藤は、冬廣と決別したあの日から、随分と変わった。青くて、歳相応の明るさを持っていた神藤は、独り、敵と戦う道を選んで強くなった。強くなった――けれど。彼の決意は、彼独りの肩には重すぎた。

 神藤は、孤独だった。友人もいるし、信頼を集め同僚たちにも一目置かれている。それでも、彼は独りだった。彼だけが知る、「冬廣波折」という人物の秘密のために。冬廣の幸福を願う彼は、独りで戦う道を選んだのだが――孤独はあまりにも苦しいものだった。


「俺には嘘つけねえよ。なんたって俺は「先生」だからな」

「カウンセラーがすべての裁判官の心理状態を管理する、とかプライバシーもへったくれもないですよね、裁判官って」

「そうだな。俺はおまえの精神状態が最悪なのも全部わかってるってことよ」



 鑓水は、そんな神藤を見て心を痛めていた。なにせ、鑓水も神藤と同じ、「波折を幸せにしたい」という想いを持っているから。

 しかし神藤だけが苦しんでいる。苦しい選択から逃げた自分と、正反対の彼。自分だけが幸せになっている、その罪悪感が、鑓水のなかにはあったのだ。

 そして――



「まあ……データなんて見なくても、俺はおまえが苦しんでいるなんてことわかるけどな。顔を見れば」

「顔に出した覚えはありません」

「大切な人なら、些細な変化にだって気づくもんだよ。おまえ、昔と全然違うし」



 鑓水は、神藤を大切に思っていた。高校を卒業した今でも、大切な大切な後輩だと思っていた。

 だから、神藤が苦しんでいるのを見たくない。彼が苦しんでいるなら、自分がなんとかしてあげたい。そう思っていたのだった。



「俺に隠し事なんてすんなよ。俺の前でおまえがどんなに強がろうと、俺は騙されない」

「……鑓水先ぱ、」



 鑓水が、神藤を押し倒す。ハッと目を見開いた神藤の手首を、ぐっと掴んだ。



「……俺に甘えろよ、神藤」



 鑓水の顔に、逆行で影がかかる。瞳だけが、真実を見ぬくように光っている。神藤はそれを見上げ――睫毛を、震わせる。



「……鑓水先輩」



 鑓水の手が、神藤の黒髪を梳く。そして、頬を撫で、唇に親指で触れて。赤子をあやすように額に口づけを落とせば、神藤の瞼が閉じられた。そして――目尻から、つう、と涙が一筋こぼれ落ちた。

 それを見て、鑓水は微笑む。神藤の手を自らの肩にかけてやり、囁いた。



「おいで。神藤」



 ひといき。

 開かれた瞳に、満たされた涙。ゆらりと光が揺蕩うそこに、熱が差す。もう一度瞬けば、再び涙が落ちてゆく。

 神藤が、手を鑓水の背中に回した。そして、「先輩」とかすれ声で鑓水を呼ぶ。



「俺は、おまえの味方だよ、神藤」

「……っ、せんぱ、」

「神藤……ごめんな、おまえばっかり苦しくて、ごめん」

「違う、先輩……俺の決めた道です、……ん、」



 鑓水の手のひらが、神藤の服の中を這う。温かくて、気持ちいい。神藤はじわじわとこみ上げてくる熱を飲み込みながら、目を閉じて鑓水の愛撫を受け入れた。ぎゅっと抱きついて、鑓水の肩口に顔を埋めて、声を殺して泣きながら。



「――……ッ」


 鑓水の背に、爪がたてられた。鑓水の首に、噛み跡ができた。鑓水の肩が、涙で濡れた。

 昔、冬廣が言っていたことを思い出す。『慧太は聡い』のだと。『すべてを見抜く目を持っている』のだと。ああ、そのとおりだ――揺れる視界に、神藤は思う。この人は、自分の奥を簡単に覗いてしまう。どんなに隠しても、あっさりと見つけてしまう。しまいこんだはずの蒼を、引きずり出す。



「先輩――……」



 存外、奥を暴かれるのは心地よい。自分でも見てみぬふりをしていた「苦しさ」に口づけを落とされて。隠してきたから柔らかい「苦しさ」は、あっさりとその口づけに絆された。

 そう、本当は、苦しい。苦しくて、苦しくて……でも、それを乗り越えなければ「彼」は救えない。苦しくなんてないのだと自分に言い聞かせて、自分を保っていた。「苦しい」と口に出してはいけないのだと、自分を縛り付けていた。けれど。鑓水は、それを赦してくれる。「苦しい」と言ったなら、その分キスを落としてくれる。



「いいよ、俺の前では、いっぱい泣いて。誰にも言わないから」

「……っ、俺は、俺が泣いたことを忘れるから、……先輩は、覚えていてください」

「……すっげえ甘え方。いいよ、俺、おまえの先輩だもん。可愛い後輩のおねだりは、意地でも聞いてやる」


 
 この世でたった一人、涙を見せてもいい人。彼のほほ笑みには、正直ときめくのだ。

 昔から、この人は狡い。でも、その狡さが、好き。

 

「……先輩」

「ん……?」

「ありがとうございます、先輩」



 神藤は淡く微笑んでみせる。

 そうすれば、鑓水は昔と変わらない、意地悪そうな笑顔をみせてくれた。



***


「ん……」



 冷たい風を感じて、俺は目を覚ました。布団を持ち上げてみれば、一緒に寝ていたはずのあいつの姿がない。隙間のできた布団に空気が入り込んで、俺を夢から現実に強制送還させたらしい。

 気怠い体を起こして窓の外を見れば、ベランダに立つ神藤の姿。眩しい朝の空に、奴の羽織るシャツの白が光っている。



「――朝の一服? ヘビースモーカーかよ」

「……お早うございます、鑓水先輩」



 紫煙が、揺らめいていた。

 振り向いた神藤は、俺を見るなり目を細めてくる。



「タバコの吸い過ぎは体に良くないぜー。口さみしいなら言ってくれればちゅーしてやるのに」

「……じゃあ、時々おねだりしようかな」



 困ったように、奴が笑う。

 風に靡く黒髪が、そのうそ臭い笑顔を飾った。

 



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