弱肉強食





 サディストかマゾヒストか、と聞かれたらどちらかと言えば後者のほう。認めたくはないが、たぶん、そう。ただし、時と場合により、俺の興奮は思いっきり前者に傾く時がある。

 例えば、戦闘時。俺を「水の天使だ」と言ってバカにしてきたやつを半殺しにしてやったときはかなり気持ちいい。自分よりも上に立っていた人間を踏みつけてやったときの快感は、変えられないものがある。

 それは俺が生きてきた境遇に由来するものなのかもしれない。殺伐とした日々を送ってきたから、少し獰猛になってしまっているのだろう。獣と同じ。敵には負けたくない、ただし負けたら全てを捧げる勢いで屈服する。下したい願望、下されてされるがままになってしまう本能、弱肉強食の世界で生きてきた俺に身についてしまった、ある種の異常性癖だ。



***



「今日は、何か嫌なことでもありましたか?」


 恐ろしいほどに、興奮していた。見上げることしかできなかった人を、こうして屈服させているという現実に。

 
「ああ――ものすごく、嫌なことがあった」

「死にたいくらいに?」

「うん、そう……壊れてしまいたいくらい」


 鎖に繋がれた、錆びた首輪。これは、本来奴隷候補につけるものだ。実際、俺も普段はつけられている。でも、今これをつけられるのは――ノワール様。

 最近、俺はこの人と、夜な夜な人目を偲んで睦言を交わしている。どちらが望んでいることなのか、それは俺もわからない。毎晩疲れた顔をして俺にすがりつくようにして誘ってくるこの人なのか、それともこの人に誘われることを体の内から湧き出る灼熱に耐えながら毎日待っている俺なのか。どちら、それはどうでもいいことだ。お互いが、この行為が大好きなのだから。

 そう、この行為は普通のセックスではないと思う。愛を交わすなんて甘いものではなくて、もっと、どろどろとしていて、仄暗い。俺のしていることと言えば、ノワール様の吐き出す泥のような闇を飲み啜ること。この人が望む、破綻した願望を抱きしめてあげること。

 そんなノワール様の願いは、時折セックスの最中におかしな形として表れる。「ひどくして欲しい」「痛くして欲しい」「虐げて欲しい」――端から見れば、被虐心を露わにしたような願望だが、この人の場合は少し違う。この人は傷つけられることによって快楽を得ているのではない。傷つけられることによって心の安寧を保っているのだ。そして心の中の不安が緩和された結果、快楽を得ることができる。


「こんなノワール様見れるの、俺だけですね」

「……おまえにしか見せないよ。」


 今日のノワール様は、いつもよりも疲れていた。たぶん、この人の想い人だとかいう人となにかあったんだと思う。要求してきたことは、流石の俺でもびっくりすることだった。

 「おまえの奴隷にしてほしい」、それが、今日のノワール様が言ってきたこと。普段、この人に奴隷候補として扱われている俺は、同じことをやり返せばいいのかと思ったけれど、いざするとなると混乱してしまって、何もできなかった。剣で組み伏せることもできないし、激しい陵辱なんてするわけにもいかないし。言われた瞬間に思ったのが、そのとき身につけていた自分の首輪を、この人につけてみようというものだった。


「……結構、似合うと思いますよ」

「……それは、貶してる?」

「いえ……貴方が、綺麗だと言っています」


 わりと苦し紛れに思いついたものだと思う。この人もなんてことを要求してくるんだと恨めしくも思った。ただ、世界の長であるこの人が奴隷候補である俺にこんなことを要求してくるんだから、相当心がやられているんだろうと思えば、ちゃんとこの人の要求を呑んであげたいと心から思う。プライドを、ズタズタにされたいんだ、きっと。

 そんな風に、悩んだ末に思いついた「首輪をつける」という行為だったから、その先はよく考えていなかった。よく考えていなかったから――動揺した。

 シャツのはだけた、白い首筋に――重々しく古い首輪が、存外に映える。細く華奢な首筋に、鋼鉄の首輪がはめられる瞬間は、酷く興奮した。


「……ラズワード?」


 息が上がる。心臓が早鐘を打つ。

 普段、全ての人間から讃えられる男。全ての女の憧れの対象であり、全ての男の嫉妬の対象であり、全ての人間が屈服する男。俺を自身に満ちた声で嘲笑い、剣にて敗北を擦りつけ、そして堕とした男。そんなこの男・ノワールに、こうして屈辱を与えているという事実に――俺は、紛れも無く興奮していた。

 獣の本能のような。強力な雄を食い殺すときのような高揚感。それに似た興奮――ただし、そこに艶かしさも、一雫。俺だけが知っている、この人のあられもない姿。真っ黒なローブの下の真っ白な肌がわずかに紅く染まる美しさ、剣を振るう強さに隠された華奢な体が錆びた鋼鉄に囚われる儚さ。歪な美しさの艶麗。この興奮は、この人を組み伏せたときにした得られない、至極の雫。


「……ノワール様、知ってますか。奴隷って、すごく、すごく、屈辱的なんですよ」

「――……、」

「貴方は屈辱を知らなそうだから、俺が教えてあげます」

「ラズ、……うっ、」


 ああ、泣かせたい、鳴かせたい、啼かせたい。

 この人を、ぐちゃぐちゃにしたい。

 振りきれた雄の本能が、俺の理性を壊してしまった。半ば無理やりにノワール様の体をうつ伏せにして、後ろから強く鎖を引っ張り上げる。それと同時に髪の毛を掴んで頭を枕に叩きつけたから、ノワール様は酷く苦しそうな声をだした。鎖を持つ手を緩めてやれば、咽るようにして咳き込みだす。


「こういうの、されたことあります?」

「……ない、」

「そう、じゃあ――丁寧に教えるから、勉強してくださいね」


 襟ぐりを掴んで引っぱり、首をさらけ出させる。そして、首輪をずらしてあらわれたうなじに、強く、噛み付いた。

 雄が相手を下すときの、証。うなじへの噛み跡。それをこの人につけられたことに、極上の喜びを覚える。


「まず――俺には、絶対服従」

「……んっ、」


 唇を離せば、噛み跡から血が流れだした。白い肌には、よく赤が映える。

 俺は興奮のままに、ノワール様の顎を掴んで、振り向かせた。ばちりと目が合えば、ノワール様の黒い瞳が揺らいで――微かに、頬が染まる。


「返事は――ノワール様?」


 睫毛が震え、唇からは悩ましげな吐息がこぼれ。やがて、屈服したようにこくりと素直に唾を呑み込んで。

 彼は、言う。


「――はい……」



END


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