サムタイムズ スイートアンドスイート




「う、ひー……なにこれ!」

「ん? どうした、波折」



 屋上でフェンスに寄りかかって顔をしかめる冬廣の顔を、鑓水がのぞき込む。顔を青ざめさせる彼が口にくわえているのは、一本の煙草だ。



「沙良が吸ってるやつ。一本もらったんだけど、まっずい! すごくまずい!」

「そうなのか〜? 匂いは悪くねえけどな」

「詐欺だよこれ……味がヒドい! 趣味悪いよ、沙良……」

「俺は吸わねえから味とかわかんねえや」

「吸ってみる? これ、ひどいよ」

「いや、俺は何吸ってもマズイしか言わねえよ?」



 どうやら冬廣は、神藤にもらった煙草を吸っていたらしい。あまりの不味さに、驚いてしまったようだ。

 鑓水はそんな冬廣を見て、苦笑する。冬廣はほとんど吸わないほうだが、つきあいなんかで吸ったりする。その様子を見ていたことはあるが、ここまで「不味い」とは言ったことがない。神藤が吸っているという銘柄は、相当に「不味い」ようである。

 

「沙良、見るたびに吸ってるなあ……こんな不味い奴。大丈夫かなあ……こんな不味い奴吸ってばっかで……疲れてるんだろうなあ……こんな不味い奴あんなに吸って」

「神藤を心配したいのか煙草をdisりたいのかはっきりしろよ」

「あぁー……まずい!」

「どんだけ不味いんだよ」



 冬廣はぺっぺっとしながら吸い殻を携帯灰皿に入れている。ほとんど吸っていないようだが……そこまで不味いのなら、仕方ないだろう。

 後味を消したがっているように口元をもむもむとさせている冬廣を見ながら、鑓水がぼそりと言う。



「まあ、良くねえな。味にかかわらず、吸いすぎは」

「うん。だめだよ、こんな不味いのばっかり吸って!」

「味のことは置いておいてだな」



 ひたすらに煙草の味の文句を言っている冬廣の頭を撫でながら、鑓水は空を仰ぎ見た。

 結局のところ、冬廣は神藤のことを心配しているのだ。まじめな学生だったころから神藤を見ていたから、彼の急変を不安に思うのは当然のこと。鑓水も、神藤の灰皿に山盛りになっている吸い殻を見るたびに、何とも言えない気持ちになっている。



「よしよし、ひさびさに神藤のことを甘やかしにいこうかね」

「……慧太」


 ぐっと背伸びをしながら、鑓水はフェンスから離れていった。冬廣はそんな彼の背中を見つめ、叫ぶ。



「中出しはだめだよ! 沙良お腹壊しちゃう!」



***


「言ってる意味がわからないんですけど」


 仕事が終わるなり鑓水に影に連れて行かれて壁ドンをくらった神藤は、当然だが不服そうに眉を顰めている。口元には、煙草。冬廣が散々不味いと文句を言っていた煙草がある。


「いや、だからさ。ホテル行きましょうって」

「冬廣さんと行ってください」

「いや、この状況で何を言っていらっしゃいますか神藤くん。俺はおまえを誘ってるんだよ?」

「俺と鑓水さんがホテルに行く意味を簡潔にどうぞ」

「は? ホテルに行こうイコールセックスしようだろ? 何言ってんだおまえ」

「何言ってんだはこっちの台詞なんですけど!」



 神藤はいらいらとしたように鑓水の言葉をはねのける。当たり前といえば当たり前である。鑓水と神藤はそういったことをする関係ではなく、敢えてその関係性を言葉で表すのなら「恋敵」だ。間違ってもセックスをするような関係ではない。

 ……が。鑓水は当然のように神藤をセックスに誘い、そして神藤も完全には鑓水を拒絶しない。その場から逃げようという素振りは見せないし、服の中に手を入れられて腰を撫でられても、それを払おうとはしない。

 

「一種のセラピーよ、おわかり? ストレス社会を生きる貴方に、俺とのセックスを提供しようかと」

「必要ないです、あっちいってください」

「ええ? つれないねえ、神藤くん」



 意地悪に目を細める、鑓水。それに見つめられながら、神藤はしどろもどろに目をそらす。

 彼を突っぱねられない理由なんて、簡単だ。

 鑓水のことは、昔から気にくわない。聡くて、なんでも見透かして。そしてかっこよすぎるから、劣等感が煽られる。けれど、嫌いではなかった。彼は、ものすごく意地悪な代わりに、ものすごく優しかった。

 誰にも弱みを吐き出せない今。神藤にとっての、唯一の救いとなる人だった。



「俺ねえ、どっちかっていうとサディストらしいからさ、拒絶されると燃えるんだ」

「アンタ、性格悪い、」

「言ってろ、クソ生意気な後輩め」


 
 鑓水が神藤から煙草を奪い、そして、するりと神藤のポケットから携帯灰皿を奪って見せつけるようにして火を消してしまう。そして、にっこりと笑って灰皿を自分のポケットにいれると、ぐっと顔を近づけた。



「今夜は煙草、吸わせねえよ。神藤」

「……っ、」



 神藤の後頭部を掴み、そして、鮮やかに神藤の唇を奪う。神藤はびくっと肩を震わせたが、鑓水をはねのけようとはしなかった。

 唇を放すと、神藤は睫を震わせ、鑓水を見つめる。ほんのわずか、赤らんだ頬に、鑓水はにっと唇の端をつり上げた。



「……ホテル、行く気になったか? 神藤」

「……煙草代の、節約に調度いいので」

「はっ、可愛くねえ」



 ふいっと顔を逸らす神藤の腕を掴み、鑓水は駐車場へ向かってゆく。

 その間、一度も鑓水の顔を見ようとしなかった神藤の耳は、真っ赤に染まっていた。



***



(鑓水先輩は、優しい)



 ドライヤーで髪を乾かしながら、神藤は鏡で自分の顔を見つめていた。

 目元に、隈ができている。きっと、はたからみたら相当に疲れているように見えるに違いない。

 神藤は扉の外で待っているであろう鑓水のことを思って、ため息をつく。彼が、自分を慰めてくれようとしているのは、わかっているのだ。ただ、立場の問題もあるし、なにより彼に甘えようとしてしまう自分が嫌で、素直になれない。

 けれど……ここまできて、仮面をかぶることになんの意味があるのだろう。誰も、見ていない。弱い自分を赦してくれる、彼だけが。ここにいる。

 神藤は服を着て、扉の外に出た。ベッドに寝転がってスマートフォンをいじっていた鑓水が、こちらを見る。



「……鑓水先輩」



 せんぱい。懐かしい響きを口にすれば、眉間のしわがとれていったような気がした。一瞬、軽くなった心に、刺さるのは。



「……おいで。神藤」



 先ほどのまでの意地悪な彼とは全く違う。優しい笑顔を浮かべた彼の、甘い声。







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