▼ わがままを聞いてくれますか2
椛は自分の寝室へ行く前に、群青の部屋へ立ち寄った。いつでもきていい、という彼の言葉を思い出したのである。群青が屋敷の見回りをするのは0時以降で、現在は22時。まだ彼は自分の部屋にいるはずだ。
「おう、椛」
扉をあけると、やっぱり群青はなかにいて、椛を迎え入れてくれた。すでに群青は着物に着替えていて、洋風のこの部屋と不釣り合いで椛は笑ってしまった。
「どうした?」
「あ……えっと、」
笑顔がどこかぎこちない椛を心配したように群青が声をかけてくれる。椛は話をきいたばかりで混乱していて、まだ自分がどうしたらいいのかわからなかったが、とりあえず先ほどきいたことをそのまま群青に伝えてみる。
「……ああ、なるほど……結婚か。そうだよな、椛は一人息子だもんなあ……」
「……大学校を卒業してからだから、まだまだ先だけど……」
「うん。……椛は、どうしたいんだ」
「え?」
「……俺に言ってきたってことは。俺とどうしたいのか、考えたいんだろ」
動揺している椛とは違って、群青は落ち着いていた。椛は、そんな群青の態度が気に食わなかった。少し、ショックを受けて欲しい、なんて思っていたから。生きている年月が違うし群青のほうが大人だし、ということも踏まえてだ。
「……群青は? 嫌じゃないの、僕が女の人と結婚するの」
「こればかりは……俺がどうこう言えることじゃないし」
「……僕のこと……本当に好き?」
「馬鹿、好きだからこそだよ。ここで俺がでしゃばったら、おまえの将来泥沼だ。俺の勝手でおまえの未来を壊してたまるか」
「……」
大人。群青に対して、椛はぽつりと頭のなかで思った。どうして群青はそんなに冷静でいられるのだろう。自分はこんなにも動揺しているのに。群青のことが好きで好きで、ずっと彼と一緒にいたくて、それでそれは叶わないと知って悲しくて、苦しんでいる自分とは違うのだろうか。そんなにすっぱりと諦められるものなのだろうか。自分が子供なだけ?
「……じゃあ。正直、群青はどうしたいと思っているの」
「正直?」
「する、しないは関係なく……本当はどうしたいって思ってる? 本当に……僕が結婚してもいいって思っているの。僕は、本当は群青と一緒にいたいって思っているのに……」
「……本当は、ねえ」
少し悔しかった。やっぱり、自分と群青では想いの強さに差があるんじゃないだろうか。不安になって、椛は尋ねてみる。結婚は避けて通れないだろうが、それを嫌だと群青に言ってほしかったのだ。たとえばこの質問には「椛をさらってどこかへ逃げたい」とか、そんなことを言って欲しいと。
「どうしたい、か」
ばふ、と群青はベッドに横になった。そっとまぶたを閉じて、考えるように黙っている。
「……群青、」
「……い」
「え?」
「……心中したいって言ったら、どうする」
――心中。
その響きに、椛は息を呑んだ。思いにもよらなかった言葉。
「……濡鷺に殺されそうになったときも言ったよな。死を共にした二人は、来世で一緒になれる。……この世で自分のものにできなくても……何がなんでも、いつかは自分のものにしてみせる。おまえの魂を……自分のもとに、縛り付けたい」
「え、群青……」
「――引いた? 俺、結構独占欲強いから」
へら、と群青が笑った。強烈な言葉に、椛は呆然としてしまった。愛しあった恋人同士がこの世では一緒になれなくて心中した、という話は何度もきいたことがある。しかし、それを理解できたことはなかった。……でも、ここで群青に言われて――「心中」という言葉に甘い響きを感じてしまった自分は。
「まあ、でも心中なんて良くねえよ。どんなに辛い出来事も、それを乗り越えて、大人になって、いつの日か振り返った時には自分をつくりあげた大切な思い出になっている。おまえのそんな未来を、俺は奪いたくないんでね」
「……ちょっと、心中に惹かれちゃったじゃん」
「やめとけアホ。悪いね、期待させるようなこと言って。でも俺が言いたいのはそういうことじゃなくて」
ぐい、と手を引かれて、椛は群青の上にのしかかってしまった。何をするんだ、と椛が体を起こして群青を見下ろせば……彼は、かすかに切なげな表情を浮かべ、笑っていた。
「俺は、おまえが思っているよりもずっと……おまえのこと、好きだよ。……ってこと」
「……っ」
目頭が熱くなって、椛はぐっと唇を噛み締めた。
全てが思い通りにいくわけなんてなくて、人生って難しくて、……それでも、愛されるっていう幸せは手に入れることができて。添い遂げることができなくても、こんなにもこの人に愛されているという事実は変わることがない。群青からこの想いをきくことができただけでも、すごく、嬉しいと椛は思った。
「……群青、」
「……ん」
「好き……群青のこと、好き」
「うん……」
ぼろぼろと溢れ出る涙を手の甲で拭いながら、椛は必死に想いを伝えた。群青も、叶うことのない恋に自分と同じように悲しみを覚えているとわかって、安心してしまった。自分の告白に相槌をうつ群青の声が寂しそうなのが、切なかった。
「ねえ、……群青、」
「なんだ」
「……だめ、かな。結婚するまで、群青と恋人でいちゃ、だめなのかな」
「……それ、結構キツイな……」
「だって……まだ群青と、僕はなにもできていない。初めて好きになった人に、好きになってもらえたのに……それなのに……なにも」
「簡単に、言うなよ。キスもまぐわいも、一回やれば終わりってやつじゃない。すればするほど……相手を欲しくなる。終わりの決められた恋愛ほど、苦しいものはないよ」
「でも……でも、僕は……!」
嗚咽がこみ上げる。まともに言葉を発することも難しくなってくる。きっと今、自分は酷い顔をしているだろうと、椛は群青の胸に顔を伏せた。ぎゅっと拳が白くなるほどに強く群青の着物を握りしめ、涙声で叫ぶ。
「……好きな人に、抱かれてみたい……!」
「……あー、」
群青がため息をつく声が聞こえた。
「……、」
言ってから、椛は後悔する。自分と群青は違うのだと、気付いたのだ。群青は失う怖さを知っている――きっと、だから群青は「終わりのある恋」を拒絶しているのに……それなのに、自分はこんなことを。群青がどんな呆れ顔を浮かべているだろう。怖くなって顔をあげて……椛は、目眩を覚えた。
群青が、こちらをみていた。静かな劣情の眼差しで、じっと。髪をかきあげ、恨めしそうに、困ったように、そんな笑顔を浮かべて……言った。
「おまえ、酷いやつだよ」
「……ッ、あ」
ぐい、とベッドの上に引き倒される。そして、群青は椛と位置を入れ替わるようにして、椛の上に乗った。椛のすぐわきに手をついて、見下ろして、はあ、と息を吐く。
「おまえは知らないだろうから、言っておくよ。……好きな人と体を重ねると、ふとした瞬間、どんな時にも、……思い出すことがある。いつまでも、その熱は体と心に残っている。……それでも、おまえは俺に、抱かれたい?」
「……抱かれたい。ずっと残っているなら……それでいい。群青と恋をした証を、ずっと持っていたい。僕は……群青に抱かれたい……!」
「……そうか。なんだよ。子供子供って思っていたのに……随分と大人びた表情するじゃん」
群青が、椛の手をとる。椛が呆気にとられてそれをみていれば、群青はその椛の手のひらに、キスをして、ちらりと椛を見下ろした。
「……俺も、おまえを抱きたいって思っちまったよ」
「あ……」
だめだ。そう思った。思った以上に、群青の「そのとき」の表情は心臓に悪い。犬なんてものじゃなくて、まさしく狼のような。とつぜんバクバクと激しく高鳴り始めた心臓に、椛は戸惑ってしまう。
「んっ……!」
唇を奪われる。今までよりもずっと情欲をあらわにしたキス。熱をぶつけるような、噛み付くような、そんなキスに椛は頭が真っ白になってしまった。服を剥がれながらする激しいキスは、椛の興奮を煽ってゆく。シーツのこすれる音がやけに耳に障る。これからはじめるんだ、という雰囲気が二人を包む。
「は……」
唇を離し、群青が見下ろしてくる。熱に浮かされた気だるげな瞳に、ぞくぞくとした。前髪の隙間から、蒼い瞳がちらりと見えて、それが自分を映している。どこから喰ってやろうかと見定めるような捕食者の瞳。そしてそれを必死に隠す、優しさという理性。群青の唇からこぼれる吐息が、やけに色っぽい。
「大丈夫だ……優しくする。いじわるとか、しないから」
「……しても、いいのに」
「はじめてはでろっでろに優しくするって決めているんだよ。だからあんまり煽るなよ」
参った、そんな群青の微笑み。きゅんとしてしまって、椛は照れ隠しをするように笑った。
抱かれる……とうとう、抱かれるんだ。嬉しくて、なんとなく怖くて。それでもこのどきどきが胸を満たしていく感じが、たまらなく幸せで――
「――群青! ぐーんじょう! 中にいるんでしょ! 見回り! 今日あんたが先よ!」
「……」
ドンドンと激しいノック音と共に、紅の声が聞こえてきた。椛と群青は呆然としながらドアの方をみつめる。それから群青は恨めしそうに壁時計をみつめ時刻を確認して、「まだはえーよ」と言って舌打ちをした。
「……生まれ変わってもタイミングに恵まれないのかおまえは……」
「? なんのこと?」
「……いや、こっちの話」
群青ははあ、と溜息をついて椛の上に倒れこんでしまう。紅の「ちょっとー!」という怒ったような声が聞こえてきて、群青は「ちょっと待ってろ!」と怒鳴り返していた。
「あ、あの……群青。い、いつ……できそう?」
「……焦る必要なんてねーよ。大学校卒業まで時間あるんだろ」
「……それは、」
「……期間限定の恋でも、すっか。きっと後から辛いぜ」
「うん……わかってる」
「……キツイってわかってる恋愛も、まあ……悪くねえかな」
――そういうのも、燃えるんじゃない。そう言って群青は椛に口付けを落とす。
「はあ……せっつねー……」
立ち上がった群青は、よれた着物を直しながら、ふざけたようにそう言った。椛も笑い返してみたが、やっぱり、切なかった。
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