アリスドラッグ | ナノ


▼ memories come back2


 椛の育った島には、昔から人魚の呪いというものが伝わっていた。呪いにかかった者――マーメイドは、悦と悲劇を得るほどに声が美しくなり……また、その声を聞いたものは狂気に蝕まれる。そのため、島の者は皆、マーメイドを畏れていた。呪いを畏れた島の者が殺しにこないように、両親は椛を家に閉じ込めていた。しかし……ずっと家に閉じ込めておくというのは、両親も心を痛めていた。このまま、誰とも触れ合うことなく一生を終えるなど、人として可哀想だと思っていた。しかしある日……そんな椛の家族のもとに、ひとつの噂が届いてきた。この島に、もう一人マーメイドがいるのだと。

 マーメイド同士は、呪いが影響することがないらしい。つまり、椛と話したとしても、狂うことがない。天涯孤独で終えると思われた椛の人生に、光が差した瞬間だった。



「――俺、ウィル。君は?」



 その少年の名前を、ウィルといった。歳は椛よりも少し上、真っ直ぐな瞳が眩しい男の子だった。噂を聞いたしばらくののちに探し当てることのできた彼と、椛は長い時間を共にすごすようになる。お互いの孤独を埋め合うように、たったひとり触れ合うことの許された相手と、二人は優しい時間をすごしてゆく。



「なあー、椛。もしもさ、俺の声で人をおかしくしちゃった場合……元に戻す方法がひとつしかないって聞いたんだけど」

「ああ……知ってます。マーメイドが命を絶てばいいんですよね」

「そうそう。俺が死ねば元に戻るんだって。でも、そうすると俺に関する記憶も全部、みんなから消えるって」



 波を弾きながら飄々と話すウィルには、悲しみなど一切感じさせない。島の端にある、海。そこで二人はいつも遊んでいた。そこには誰もこない、声を聞かれることもない。二人だけの世界がそこにあった。



「……椛にはできる? おかしくなった人を元に戻すために、命を断つってこと」

「……無理です。死ぬのは、怖い」

「相手が大好きな人でも? 大好きな人がおかしくなっちゃって、自分が死ねばもとに戻るとしても?」

「……だったら……よけいに……できません。だって、もしも僕が死んだら……その大好きな人から、僕の記憶が消えるんでしょう? 死ぬよりも怖いです……大好きな人に、忘れられてしまうのは」

「そうだねー……怖いね。忘れられるのって」



 ウィルの裸足が、水を蹴る。ばしゃ、と跳ねた水が椛にかかると、ウィルは面白そうに笑った。



「でもねー、俺は、大好きな人が幸せになるんだったら、なんでもしていいかな。おかしくなったのを元に戻して、それでその人が幸せになるんだったら……死んでもいい」

「……ウィルは、怖くないんですか。大好きな人と一緒にすごした時間が……消えるのは」

「俺、強いもん」

「?」



 ふん、と腕を組んで自信満々に言ったウィルを、椛はぽかんとして見つめる。



「呪いになんて、負けない。死んだら記憶が消えるなんて……絶対にそうさせない。俺がいっぱいいっぱい、楽しい思い出をその人にあげれば、全部が消えるなんてことないと思うんだ。それに……大好きな人に、俺は大好きになってもらう。大好きな人のことは……絶対に、忘れないでしょ。なにがあっても」



 きら、と太陽が濡れたウィルを照らした。水滴がきらきらと光って眩しい。

 大好きな人の記憶が残っていて、その人が死んだなら、それこそ悲しいんじゃないかと、椛は思った。忘れられるのも怖いし、記憶が残って悲しませるのも怖い。だから、死にたくない。でも……ウィルはきっと違うのだろう。その人の幸せを願って、死ねる。そして、記憶が消えることほど、悲しいことなんてないと――そう言い切るのだ。たとえ亡くなったとしても、優しい時間を一緒にすごしたという記憶がその人を幸せにさせる。だから、忘れないでほしい、そう願う。そう願えるから――死を選ぶことに迷いがない。強いんだ……ウィルは、強い。椛はそう思った。そして、彼を好きだと……そう感じた。

 しかし、ある夏の日。ウィルは波に攫われて、行方不明となってしまった。どこかで生きているなんて淡い希望は持たないようにしていた。生きている可能性なんて、ゼロに等しいのだ。

 再び孤独の生活が待っていた。しばらく家族以外とは話さないようにしていた。そんな生活を壊したのが、オーランド率いる海賊団。航海の途中で人魚の呪いの話を聞きつけた彼らは、椛を攫い、その呪いを実証するために、島の人間を皆殺しにした。ひどくショックを受けたが――なぜそんなにもマーメイドを求めているのかと問えば、ウィルをもう一度手に入れたいのだと、オーランドは答えた。

 ――ウィルは、生きている。愚かにも記憶を失って、その声を惜しみなくさらけ出しているらしいが。

 椛は、もう一度ウィルに会うために、オーランドたちについていくことにした。自分の家族や知り合いを殺した彼らのことは憎いと思ったが、それよりもウィルに会いたいという想いのほうが強かった。

 そして――ウィルを、見つける。ある日オーランドが捕らえてきた海兵のなかに、彼はいた。



「……やっと、みつけた」



 今の君は、あの日のように強いのだろうか。どうかもう一度――あの笑顔を、僕に見せてほしい。


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