アリスドラッグ | ナノ


▼ 我らが求めるはマーメイド


「お頭! 港のほうに海軍の船が……!」

「海軍……? は、慌てるな。また贄にしてやればいい」



 とある港町の酒屋に、海賊がたむろしていた。海賊が蔓延るようになったこの時代、この港町には多くの海賊が入ってきて苦労していた。皆が皆略奪をするというわけではないため被害はそこまでないのだが、今回の海賊はどうなのだろう……と、店番をしていた娘はヒヤヒヤしていた。今のところはただ飲んでいるだけだ。しかしそのうち騒ぎ出すのではないか……



「おい、ねえちゃん!」

「はいっ……」

「この店にあるだけの酒全部もってこい!」

「ええ……」



 うわ、やっぱりきた。酔いのせいで顔を赤くした髭の男が迫ってくる。父親の代わりとして店番をしていた娘は、何が何でも店を死守したいと思ったが……やはり、海賊は怖い。どうしようとおろおろとしていると、男が掴みかかってきた。



「早くしろ! 犯されてえのかこのアマ!」

「や、やだ……! 離してください!」



 襟元を捕まれテーブルに叩きつけられる。ここまで横暴な海賊は初めてだ。

 あまりの恐怖になにも見えなかった。迫ってくる男の顔が化物にみえてくるくらいに、娘は錯乱していた。店のなかが騒がしくなってきたが、それを気にする余裕すらもなかった。

 胸元のボタンを引きちぎられ、周囲にいた男に腕を捕まれ拘束される。下卑た笑い声が、響く。気持ち悪くて、娘はぎゅっと目を閉じた。



「お願い、やめて! 助けて――!」

「――そこまでにしろ」




 突如、凛とした声が響いた。娘がハッとして瞼をあけると……男の首元に、剣が突きつけられていて――その剣の持ち主は、海軍の制服を着ていた。ブルーの軍服が、眩しく見えた。



「なんだ、てめえ!」

「その娘を離せ……海賊」

「うるせえ、……なんだ、おまえ海軍かよ。お偉いさんにしっぽ振って媚びへつらっているだけの野郎がデカイ面してんなや!」



 男が腰から短剣を抜いて振りかぶる――が、海軍の青年はそれを軽く剣ではらって思い切り男の腹に蹴りをいれた。慌てた仲間が同時に彼に襲いかかったが、それもあっさりと下してしまう。



「マックイーン中佐! この海賊は恐らく……!」

「ああ……わかっている」



 青年――ウィルは、よれた軍服を正しながら、辺りを見渡した。明らかな敵意を自分たちに向けてくる海賊たちで店内はいっぱいだ。一人ひとりの顔を確認するようにウィルが眼球だけを動かしていると――パン、パン、パン、と乾いた拍手の音が響く。他の男たちよりも少しだけ目立つ格好をした男。彼に視線を移したウィルは、一瞬、固まった。



「はあ……素晴らしいお手並みだ、海軍中佐殿。まさか……あの、小さい子供だったおまえがこんなになっているとは思っていなかったよ」

「……貴様がこの海賊の船長だな。大人しく手をあげろ。ここで騒ぎをおこしたくない」

「はは……さっさととっ捕まえて基地のほうで首跳ねるってか? 怖い怖い……あの頃の可愛さはどこにいったんだか……なあ? ウィル」

「わかっているなら従え――オーランド・ノースブルック」



 最後に会ったときから8年経っている。顔立ちは少々変わっているが――その男は間違いなく、オーランドだった。人から奪った金で飯を食っている、そんな顔に反吐がでた。ウィルは冷め切った目で彼を見つめ、静かに問う。



「一応聞いておこうか……なんで貴様はこんなことをしている」

「なんで? なんでだと思う?」



 頬杖をつきながら、オーランドはにやにやと嗤った。理由があるのか……そう思ったが、彼の表情からあまり期待のできる答えは聞けなさそうだ。ウィルが黙っていると、オーランドはようやく立ち上がり、ウィルに向き直る。



「……嘆きを、得るためだ」



 すうっと血が冷めていくのを、ウィルは感じた。怒りをここまで自覚するのもあまりない。剣を持った腕をオーランドに向け……言い放つ。



「……前言撤回だ。貴様はここで殺す」



 生け捕りにするのもここで殺すのも、戦闘は避けられない。ウィルは酒場の娘を外に連れだすように部下に命じると、他の部下たちに向かって言う。



「もしものときはそのまま殺しても構わない――ここにいる海賊を全員捕らえろ!」



 海軍の者達が一斉に剣を抜く音と共に、海賊たちも席から立ち上がり各々の武器を持ち出す。至極楽しそうに、オーランドは手を広げて叫んだ。



「さあおまえら……待ち望んだ時だ! 本物のマーメイドを手に入れろ!」

「……マーメイド……?」



 オーランドの言葉の意味がわからず、ウィルが一瞬呆けていると、目の前に刃が迫っていた。慌てて剣でそれを塞げば、その相手はオーランドだった。しかし、その力を感じる限り、ウィルが受け止めることをわかって攻撃してきたようで、本気というわけではなさそうだ。



「……マーメイドって……どういうことだ。貴様の本当の目的は一体……!」

「なんだよウィル……おまえ、やっぱりまだ知らないままだったのか」

「は?」

「おまえのことだよ、ウィル! マーメイドは、おまえだ!」



 この男は、一体何を言っている……。全く身に覚えのないことを言われ、ウィルは苛立ってしまう。マーメイドといえば、人魚のことだったと思うが……もちろん自分は人間だ。マーメイドなんて言われてもピンとこない。



「……しばらく会わないうちに頭おかしくなったのか? そんな伝説上の生き物を……」

「伝説……ああ、俺もはじめはそう思ったさ……だから、確かめた……あいつを使って」

「……さっきからわけのわからないことを……オーランド、おまえは……もう、俺の知っているオーランドじゃなくなっているな。何を求めているのかよくわからないが、俺はもうおまえなんかに情はもたないぞ。死ね、ここで――!」

「……いますぐ理解する必要なんてないさ……あとで俺がゆっくり教えてやる……おまえたちは、俺らには――勝てない」



 突然、銃声が鳴り響く。その音にウィルは驚いて店内を見渡した。端のほうでオーランドの仲間が銃を使っているのを発見し、瞠目する。――こんなに狭いところで、この乱闘のなかで銃を使えば、確実に流れ弾が仲間にあたる。何を考えているんだあいつは、とウィルは信じられない気持ちで彼をみていた。

 そして、違うところでは――海兵が、海賊に切りつけられていた。ウィルは驚く。切られている海兵は、何度も実践を重ねている男。訓練もまともにしていない海賊にやられるような力ではないはずなのだ。



「うっ……」



 もう一度切りかかってきたオーランドの刃を受け止めると、今度は力は本気のようで……腕に強烈な痺れが走った。力が普通じゃない。なにかがおかしい。ようやく、ウィルは気付く。この海賊全体に漂う……狂気じみた空気。仲間に攻撃があたるのも厭わない理性が欠落した攻撃、人を超えるほどに強い力。人間が誰しももっている、力のリミッタ―が外れている。脳にどこか支障をきたし、異常な力を持つようになってしまっているのではないか――

 力比べになれば確実に負ける、そう悟ったウィルは、オーランドの刃を受け流して彼と距離をとる。オーランドはウィルを殺すつもりはない。先ほどからウィルが確実に防御できるところに刃を下ろしてくる。しかし隙をみせればおそらく意識を奪う程度の攻撃はあててくるだろう。



「……オーランド……おまえ、なにをやっている。ドラッグか。どう考えてもおまえらは正気ではない」

「薬なんてやっていないさ……そうだな、正気じゃない……ああー……狂っているかもな、マーメイドに」

「……チッ」



 会話にならない。下手に刺激して逆上されたら止められなくなるかもしれない。戦闘に集中しろ――ウィルは神経を剣に集約させる。が、そこからのオーランドの攻撃は常軌を逸しているほどに早かった。真っ直ぐにのびたウィルの剣の刃の腹を滑り、オーランドのサーベルが突っ込んでくる。慌てて剣を横にはらって直撃を免れたが、腕を微かに切ってしまう。ウィルが攻撃をあてられたことに一瞬動揺し、それでも態勢を立て直そうとすれば、すぐにまた、サーベルが振り下ろされる。剣で受け止めれば、傷を負ったところが傷んで柄を持つ手の力が緩んでしまった。僅かに刀身が揺れたことでそれをオーランドに悟られ――一瞬で、剣を弾き飛ばされる。



「――ッ!」



 まずい――すぐに腰の短剣を抜こうとしたが――遅かった。再び突っ込んできた切っ先に恐怖を覚え、ほんの一瞬固まったその隙に、短剣を抜こうとした手を軽く切られ、そして首を掴まれる。そのまま壁に叩きつけられて、ぎりぎりと首を絞められた。



「……ッ、オーランド……! おまえは、なんで……俺を、」

「だから……なんども言っているだろう。おまえが、マーメイドだからだ」

「違う、俺は人間だ……そんなんじゃ……」

「人間じゃないなんて言ってないだろ……ウィル、おまえに――」

「あっ……」



 視界が、暗くなってくる。容赦なしに首を絞められて――ウィルに限界が迫っていた。



「――おまえに、ずっと焦がれていた……ようやく見つけた、ずっとずっと探していた……世界で一番……愛しい唄を歌う、おまえのことを」



 オーランドが何を言っているのか、それはもう、薄れゆく意識のなか、聞き取ることができなかった。ふっと意識がブラックアウトする寸前に――唇になにかが触れたような気がした。


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