少しだけ可愛い

「……ん?」


 昨夜そのまま波折の家に泊まり、波折をめちゃくちゃに犯してそのままベッドで眠りについた……ところまでは鑓水も覚えていた。しかし、朝を迎えて目を覚ましてみると、一緒に寝ていたはずの波折が隣にいない。ベッドには、鑓水ひとりしか寝ていなかった。


「……どこいったあいつ」


 がしがしと頭を掻きながら鑓水は身体を起こす。身体には何も纏っていない。床に放ってあった下着だけを履いて、鑓水はふらりと立ち上がる。

 そのとき。何やら香ばしいいい匂いが鑓水の鼻を掠める。耳をすませば扉の向こうから、ジュージューと何かを焼く音が。不思議に思って扉をあければ……そこに波折はいた。手にはフライパン、その上で焼かれているのはソーセージ。コンロの横に置かれている皿は、二枚だ。


「……何やってんの」

「朝ごはん」

「……はあ」

「慧太、食欲ある?」

「え、普通」

「じゃあ、作っちゃったから食べて」

「それ俺の分なの?」

「うん」


 ちゃんと服を着て、髪も整えて。黒いエプロンを身につけてコンロにむかっている波折の姿。聞けば自分の分の朝食をつくってくれているという。


「……波折」


 名前を呼ばれて、波折は振り返った。そうすれば、鑓水が軽く触れるだけのキスをしてくる。唇は一瞬で離れていって、波折は目を閉じる間もなかった。何を考えているのかわからないような、穏やかな表情をしてキスをしてきた鑓水を、波折は軽く睨みつける。


「……さすがに料理中のセックスは……」

「馬鹿、今のキスはそういうキスじゃねーから」

「……は?」


 意味がわからない、そういう顔をする波折を一瞥して、鑓水は扉をしめて再び元の部屋に戻る。


(……やべえ、ちょっと可愛いとか思っちまった)


 自分と波折は、性奴隷とそれを支配する主人。それ以外のなにものでもない。一瞬だけそんな考えが崩れそうになって、鑓水は冷や汗をかいた。波折も、鑓水のキスに対して疑問を覚えただろう。セックスの開始の合図以外のキスなんて、自分たちには必要ないのだから。


「ねーわ。エプロンが好きとかただの男の性だし、波折とかただの奴隷だから」


 ぶつぶつと独り言を言いながら、鑓水はふと本棚を見つめる。なんというか……こざっぱりとした本棚だ。教科書の類しか置いていない。娯楽と呼べるものが一切置いていなかった。やっぱり波折は少し変わっているなあ……と思ったところで、鑓水はずい、と本棚に目を近づける。


「ん?」


 鑓水は一冊の本を引き抜いた。それは、教科書だ。JSで使っているもので、鑓水も同じものを使用している、魔術の教科書。……しかし、ほんの少し、デザインが違うような気がした。よくよくみてみれば、その教科書は初版のものだ。鑓水の記憶が確かならば……自分たちの代が使っているのは、第5版だった。


「なんでこいつ初版なんて持ってんだ?」

「……慧太」

「うおっ」


 先輩などから譲って貰えば初版を持っていてもおかしくない。……が、教科書は強制的に購入することになるから、もう一冊持っていても無駄になる。なんのために? 色々と思案していれば波折が呼んできたものだから、鑓水は驚いて軽く飛び上がってしまった。声のした方を顧みれば、扉の隙間から波折が顔を覗かせて困ったように笑っている。


「ごめん、飲み物だけ持って行ってもらえる?」

「お、おう」


 食事をテーブルに運んでその前に座る。一人部屋用のテーブルは小さくて、向かい合うと近い。そういえばいっしょに食事をするのは初めてだ、と思いつつ鑓水は食べ始める。


「あ……旨い」

「そう。慧太の口にあってよかった」


 すました顔で波折はもくもくと食事を続けている。触れ合うとき以外の波折は淡白だ。お世辞でもなんでもなく素直に言った鑓水の言葉にも、とくに反応を示さなかった。


「波折いつもこんなんつくってんの?」

「……そんなに言うほどのもの?」

「まあ……俺がいつもろくなもん食ってないってのもあるけどさ」

「……そうなんだ?」

「俺いつも家に帰ってないしさー」


 ちらりと波折が鑓水を見上げる。何を言うべきか悩むように視線を漂わせて、やはり淡々と話し出す。


「見た目のまんま、不良だな」

「色んな事情があるんだよ」

「ふうん……いつも何食べてんの」

「えー……ファーストフードとかコンビニで買ったやつとか」

「……俺がつくってやってもいいよ。そんなものばっかり食べてたら体壊すでしょ」

「えっ」


 波折の言葉に、ぱっと鑓水が顔をあげる。それは、ほぼ波折と同棲するということになってしまう。食事をつくってもらえるなら嬉しいに越したことはないが……なんとなく、鑓水のなかでそれは「ヤバイ」と思った。

 必要以上の接触は、この関係を崩壊させる。せっかく手に入れた、最高の快感を手放してたまるか。


「いや、いい。そこまでしてもらう必要がない」

「そう。ならいいけど」


 もしも、鑓水が波折に余計な感情を抱いてしまえば波折は鑓水を拒絶する。沙良に対する態度と同じものをとられるだろう。同棲なんかしていれば、流石の自分もなんらかの情が波折に移ってしまうような気がして……鑓水は波折の提案に、一瞬肝を冷やしたのだった。

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