甘い恋をカラメリゼ | ナノ
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 「たからばこ」に来たところで、俺は何をしたらいいのかわからない。別に買うわけでもないしやっぱり入らなかったほうがいいかな、なんて思っていると、智駿がさっさと店の奥に入っていってしまう。慌てて俺が追いかけていけば、智駿が俺に何かを投げてきた。



「暇でしょ。ちょっと手伝ってよ」



 智駿が投げてきたのは、エプロン。いや俺は帰って鞄に入っている模試の結果を親に見せないとなんだけど……って思ったけれど、なぜかそのままエプロンを身につけてしまった。



「おやおや智駿のお友達の……いらっしゃい」

「おじいちゃん、こいつ友達じゃないよ」



 へら、と智駿は笑う。いつものように柔らかい笑顔だけれど、いつもとは違う笑顔。ああ、やっぱり智駿はこの店が本当に好きなんだなあって感じてしまう。

 俺が頼まれたのは、明日のケーキの仕込みだった。こんなこと俺に頼んでいいのか、って思ったけれど、タネを型に入れていくだけの単純な作業でそう難しくはない。よくよくみてみれば馨さんの手は少しばかり震えていて、一人でこの店をやっていくのは大変だな、と思った。



「……あの、馨さん」

「んー?」

「馨さんって、なんでこのお店始めようと思ったんですか」



 何か話をしたほうがいいかな、と思って、俺はありきたりなことを聞いてみる。ありきたり、といっても、実際のところきになることではある。みたところこの店は相当古いけれど、馨さんが若かった時代にパティシエってそう有名ではなかったはずだ。



「そうだなぁ、ケーキをたくさんの人に食べてもらいたいって思ったからかねぇ」



 馨さんはそんな俺の質問に、作業をしながら答え始める。手元はどこか危なっかしいけれど、その手つきはたしかに熟練されたものだ。



「戦後はなぁ、みんな暗くてどんよりとしていて……贅沢品を食べる余裕もなかったし、うまいもんなんてそう食べられなかった」

「……そうですよねぇ」

「でもある日、父ちゃんが買ってきたんだ。ろくなもんも食えなかったおれたちに、大枚をはたいてケーキを買ってきてくれた」



 馨さんが手を止めて、俺をみた。馨さんはあまり表情の変わらない人だと思ったけれど、こうしてよくみるとちゃんと表情がある。昔の自分の話をし始めた馨さんは、僅かに微笑んでいた。



「あの時のことは未だに忘れないんだ、真っ赤な洒落た箱を開けて、そうすれば宝石のようなケーキが中に入っていて」

「……」

「ああ、たからばこみたいだって」



 馨さんの瞳が、ケーキを映す。まだ希望の見えない時代、美味しいものを好きなように食べられない時代。そこを生きていた馨さんに、ケーキはどうみえていたのだろう。ケーキの入った箱はまさしく「たからばこ」、そう見えるくらいに、馨さんはケーキに衝撃をうけた。



「初めて食べたのはショートケーキだった。この世にこんなに美味いものがあるかって、おったまげたよ。おれは、この衝撃を、感動を伝えたいってそう思って、ケーキ屋を始めたんだ」



 ……ああ、夢ってそうやって「出会う」んだ。

 嬉々として話す馨さんをみて痛感する。ほんの些細な出来事が、まるで自分を導くように引っ張ってくれる。夢との出会いは、運命のようなものなんだ。

 まだ先も見えなくて、なんとなく医学部を目指している俺は、自分の夢を見つけられるのだろうか。このままの気持ちで、お金のかかる医学部を目指してもいいのだろうか。ますます悩んで、頭が痛くなって。なんでまだ二十歳にもなっていないのに、これからの人生を決めなくちゃいけないんだって誰を相手にするでもなく苛立って。



「白柳くん、休憩にしようか」

「えっ」

「少し疲れた顔をしているからねぇ」



 あんまりにも自分の甘さに苛立っていれば、馨さんがのんびりとオーブンに向かっていく。そして、オーブンをあけると何かを取り出して、俺と智駿に手渡してきた。智駿はそれを見るなり「あっ」と小さな声をあげる。



「これは智駿がつくったタネで焼いたマドレーヌだよ」



 馨さんがそのお菓子の正体を言うなり、智駿はカッと顔を赤くして俺の手を掴んできた。もらったんだから食べようとする俺の邪魔をして、ふるふると首を振る。



「まっ、待って、これはちょっとした遊びで作ったっていうか、人に食べさせられるようなものじゃないっていうか……! 材料とか目分量だし、」

「すげぇ綺麗に焼けてない? 売り物みたい」

「ちょっ、食べるな、まずくても出さないでよ、絶対!」



 学校が終わってちょっとしたお手伝いをして、ちょうど小腹がすいていたところだ。目の前にあるマドレーヌがやけに美味しそうにみえて、俺は智駿の制止を無視してそのまま齧り付く。

 焼きたてなのか、マドレーヌは暖かかった。ものすごくしっとりとしていて、卵の味がふわっと口の中に広がる。上品な甘さがくどくなくて、いくらでも食べられそうだ。こういうお菓子はコーヒーとか紅茶とかに合いそうだな、と思いながら俺はもくもくと食べ進める。



「……っ」

「あー、これ、めっちゃ上手いな」

「えっ」

「あ、なんか疲れ吹っ飛んだっていうか頭すっきりしたわ」



 端的に言えば、そのマドレーヌは美味しかった。素直にそれを口にしてみれば、智駿はぽかんと俺をみつめる。



「……なに?」

「……あっ、いや、自分でつくったの食べてもらうの初めてだったから……」



 智駿は珍しく表情をせわしなくころころと変えて、戸惑いをみせてきた。何をそんなにおろおろとしているのだろう……そう思っていれば、やがて智駿はかあっと顔を赤くして口元を手で隠す。



「……人に美味しいって言ってもらうの、嬉しいもんなんだね」



 ……え、と俺は固まってしまった。俺にそんなことを言う智駿、初めてみたからだ。

 なかなか可愛いところあんじゃん、そう思ったけれど、それは口にしない。それから終始嬉しそうにしていた智駿の姿は、なんだかものすごく人間らしいなって思った。



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