第六幕 17

「契さま。最近……何か、ありましたか?」

「……? なんで?」

「いえ。何か、考えている様子だったので」

「……うーん。まあ、将来のこととか?」

「なにかやりたいお仕事が?」

「……」



 今日もいつものように、契は氷高に学校まで迎えに来てもらっていた。しかし、いつもと違うことがある。氷高は普段、運転をしているときは集中して前をみているが、今日はどことなく落ち着かないのだ。バックミラーを見る回数が、いつもよりもずっと多かった。

 ただ、なぜそう氷高が自分を気にしてくるのか、契は心当たりがあった。最近は、よく周りの人から「ぼーっとしている」と言われてしまう。誰の目から見てもわかるくらいに、最近の契はぼんやりとしていることが増えている。氷高がそれに気づかないわけもなかった。

 契が、何をそんなに物思いにふけっているのかというと。

 言うべきか、黙っておくか……契は悩んだが、その答えが出る前に、車は目的についてしまう。



「今日って、母さんは……」

「たしか、バラエティの撮影だったと思います」

「ふうん」



 車がついたのは、とあるテレビ局だ。今日も、氷高は契と共に真琴も迎えにいくことになっていたらしい。

 

「あ、来た」



 車が到着して間もなく、真琴はやってきた。しかし、一人ではない。スタッフや共演者と思わしき数人の者たちと一緒に歩いてくる。

 その中にいた人に、契は思わず「あ」と声をあげてしまった。莉一と、そしてカレンがいたのだ。



「……氷高。カレンさんが……」

「……まあ、ここで隠れるわけにもいきませんから。契さまはこのまま待っていてください」

「うん……」



 つい先日まで嫉妬心を燃やしていた天樹カレンやら、氷高と会わせたら面倒なことになりそうな莉一やら、このまま氷高を車の外へ出していいものかと思ってしまったが、それはどうすることもできない。氷高は執事として、真琴のことを迎えなくてはならない。

 氷高は車から降りると、真琴に向かって頭を下げる。真琴はいつものように太陽のような笑顔を浮かべ、莉一はにやっとなにやらいやらしい笑みを浮かべ。そしてカレンははっと戸惑ったような表情を見せる。スモークの貼られた窓ガラス越しにそれを見ていた契は、たった一人の執事がなんでこんなにあの面子を揺さぶっているのだと、半ば面倒な気持ちになってしまった。



「お疲れ様です、真琴さま」

「悠維くん〜! お疲れさま!」



 氷高は鮮やかな手つきで真琴をエスコートすると、車の扉を開けた。その瞬間だ。当たり前なのだが、先に乗っていた契が、外から見えてしまった。契は「げっ」と思いつつも、とりあえずはと頭を下げる。莉一とは少し話をしたいとも思ったが、真琴の息子である自分があまり芸能人と慣れ合うのもイメージがよくないだろうと、なるべく気配を消そうとしていた。しかし。



「あっ、契! そうだ、契! ちょっと、車下りて! 島津さんがね、契と会ってみたいって言ってたのよ! ちょっと挨拶して!」

「えっ!? あっ、ちょっと……母さん……!」



 真琴は契に気付くなり、契を車から引きずり下ろしてしまう。ふらつくように契が車から降りれば、島津と呼ばれたふくよかな女性がきゃあと黄色い声をあげた。

 どうやら、島津という女性は番組のスタッフのようだ。真琴と仲が良く、真琴がたびたび話題にあげる契のことが気になっていたらしい。毒気のない女性で、契は彼女と話すことには何も抵抗はなかったのだが……気になったのは、島津の横に立つ、カレンの視線だった。



「……契さん」

「――えっ? あ、はい」



 カレンはしばらく契のことを見ていたが、とうとう声をかけてきた。契は、カレンが自分に対して声をかけてくるなんて思ってもいなかったし、極力彼女のことは視界にいれたくないと思っていたので、声をかけられた瞬間ひゅっと心臓が縮むような感覚を覚えてしまう。

 カレンは契と目が合うと、じっと契の顔を観察していた。今日本を轟かせている人気女優・天樹カレンのその美貌でそこまで見つめられては、さすがの契も参ってしまう。



「契さんが……氷高さんの、主人なんですよね?」

「え? そ、そうですけど……」

「氷高さんの好きな人なんですよね?」

「……。……はい!?」



 ――何言っていやがるこの女!

 思わず契は叫びそうになった。そして少し離れたところでその会話を聞いていた氷高も、せき込みすぎてむせてしまっている。

 なぜそれを知っているんだということよりも、その発言をここでしてしまったことがまずい。ここにいるメンバーは、番組スタッフを含め殆どが氷高のことを認識している。氷高が、真琴の息子である契のことを想っているなど知れたら、かなり面倒なことになってしまう。


「かっ、カレンさん。今のは、誤解を招きますよ、ほら、契さまも戸惑って――」

「氷高さんにとっての一番ってことは、間違いないでしょう」

「そ、そうですが!」

「氷高さん、契さんの話をするときにすごく愛おしそうな顔をするんですもの。色々察知してしまいますよ、私。氷高さんが好きでたまらないって話していた人って、氷高さんの主人だったんだって。「契さま」っていう人なんだって」

「いや、ですから」



 さすがの氷高も焦ったようである。いくら契のことを盲目的に愛しているとはいえ、場所が悪すぎる。真琴の子で、しかも同性の契のことを、執事が愛しているなどと、そんなことバレたりしたら。

 しかしカレンはそんな氷高の誤魔化しすらも跳ねのけて、ずいっと契に迫ってきた。あわてて氷高が彼女を止めようとしたが、間に入る前にカレンは契のすぐ前までやってきてしまう。



「私、氷高さんに振られましたけど、まだあきらめたわけではないんです」

「……、え、いや……俺に言われましても、」

「いえ、貴方に言います」



 ――そんなことここで言っていいのか!?

 この女、もしや馬鹿だな。そう契が気付くのに、時間はいらなかった。カレンが氷高のことを好きだったという事実を、彼女は自分の口からここで言ってしまったのである。周りが芸能関係者であるからまだいいものの……この浅はかさでは、これからスキャンダルを起こしまくるのではないだろうか。

 契は思わず呆れてしまった。半ば引きながら、彼女の顔を見つめ返す。



「私、貴方よりも魅力的な女性になってみせます」

「……え?」

「日本一の、女優になります。見た目も、そして心も。誰よりも美しくなって、氷高さんのことを見返してやるの!」

「――……」



 きゅ、と唇を結び、カレンは契のことを睨み付けてきた。

 まさか、彼女からライバル視されるとは思っていなかった契は、一瞬ぽかんとしてしまう。周りの人たちも、しんとしてしまって、どうしようもない空気である。

 耐えかねた莉一が困ったように笑って契とカレンの間に入ってきた。キッと契のことを見つめているカレンに穏やかに笑って見せると、契から引き離そうと彼女の手を取る。



「か、カレンちゃん。それはいい志だね。でもそこの執事のために掲げる夢じゃないと思――」

「――その覚悟で俺から氷高を奪えるとでも?」

「……契くん?」



 しかし――それを遮るように、契が前に出た。

 契の言葉には、莉一も――そして、氷高もびっくりしてしまう。



「氷高は自分の夢を投げうってまで、俺のそばにいたいって言ってくれた。だから、俺もそれと釣り合うための覚悟が必要だって、ここ最近、ずっと考えていた」



 契はじっとカレンを見つめ返す。そのまなざしに、カレンはひるんでしまった。言葉がでなくなったのである。幾度となく演技の中で、俳優たちの鋭い眼光を浴びてきたはずの、天樹カレンが、だ。

 契は静かな声で話し始めると、徐々にその表情を変えてゆく。カレンからの宣戦布告に戸惑っていた表情から……凛とした、浴びれば足が竦むような空気を醸し出す、そんな表情へ。



「俺は、氷高に相応しい男になる。俺は――スターになる。世界一の俳優になる」

「……なっ、」

「俺と氷高を奪い合うなら、世界を舞台にしよう。カレンさん」



 ――あたりが静まり返る。カレンも、莉一も。そして、真琴も氷高も。さらには契を初めて見る、番組スタッフでさえも。

 彼らは、契の発言に驚いたのではない。「無謀だ」と呆れたわけでもない。

 畏怖したのである。まだ芸能人になってもいない、ただの高校生の妄言のようなその発言を、まるで近い未来のことのように感じてしまったのだ。



「……っ、前言撤回! 私も、世界一になります! 私も、世界一の女優になってみせる! 負けません! 私は……私は、氷高さんのお嫁さんになってみせるんだから!」

「カレンさんが世界に来る頃には氷高の苗字は鳴宮になってますから」

「わ、私が先! 私の苗字が氷高になるほうが先!」



 固まる空気のなかで、契と、むきになったカレンだけが騒いでいた。真琴の息子と鳴宮家の執事の関係、そして真琴の息子による「スター」宣言。何もかもが衝撃的すぎて、そこにいた者たちはそれをすぐに呑み込むことができなかったのだ。



「……ねえ、悠維くん」

「あっ、は、はい……! 真琴さま、」

「……スターを支える執事って超激務だけど、大丈夫?」

「……はい?」

「それから、スキャンダルには一番気を付けないとね。間違っても路上ちゅーとかは厳禁よ」

「まっ、真琴さま!?」



 しかし、そんななかいつもの調子でいる者がひとり。

 真琴である。

 誰よりも動揺している氷高に、いつもと変わらない様子で話しかけてきたのだ。



「いやっ……あの、真琴さま……!? お、俺……その、契さまと、」

「大丈夫よ」

「何がです!?」

「悠維くん、私の知っている男の中で三番目にいい男だもの。まだまだ青いけどね、契のことを幸せにする力は十分にもっていると思うの」

「いや、そういう問題では……」

「二番は、絃さんよ。うふ」

「そういう問題でも……」

「――一番は、契」

「……。」



 にこにこと笑っている真琴をみて、氷高は思う。この親にして、この子あり。昔は、この女性からなぜあのような尖った子が産まれるのだろうと思っていたが……この親子、恐ろしいほどに似ていた。

 肝が据わっている。視線の先に、世界がある。



「――それは、同感です」



 契についていくということが、彼と共に世界にいくということだと知った氷高は、自分はすごい相手に恋をしてしまったと笑ってしまいそうになった。

 氷高は気付いていない。
 
 ここで笑うことのできた氷高もまた、すでに普通ではないのだということに。


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