十八

 白百合から逃げるようにして織の部屋の前まできた鈴懸は、苛立ち混じりの舌打ちを打つ。白百合の言葉を思い出すと、むしゃくしゃする。ぐさりと心臓を穿たれたような、嫌な感じ。白百合に言った言葉の全てが、鈴懸の心に大きな傷をつけた。



「……織、……ってなんだよ、寝てるのか」



 さみしがりやの織と、自分を重ねてみていたのか。白百合の言った言葉が図星なのかといえば、そうではない。だって、鈴懸はなぜ織をみたときに自分が苛々としてしまったのか、わからなかったのだから。しかしーー白百合に言われて、すとんと腑に落ちてしまった。誰からも姿すらも見てもらえない、そんな生活をずっと長い間続けていた鈴懸は、無意識に織を同類と認めていたのだ。だから、苛々した。そして、白百合の言葉が事実だったから……傷付いた。認めたく、なかったから。自分が「いらない神様」だと自覚したくなかったから。

 静かに織の部屋に入っていき、鈴懸はその寝顔を見下ろした。旅から帰ってきたばかりで疲れているのだろう、まだ早い時間だというのにすやすやと眠っている。



「別に俺は……さみしくなんて、ないんだ。おまえとは、違う」



 ゆっくりと――手の伸ばした。指先が、織の頬に、触れる。



「ん……」

「あ、」



 爪の先、ほんのすこしだけ、触れたつもりだった。でも、織はゆっくりと瞼を開ける。起きてしまったの、だろうか。



「……」

「織?」



 ぼんやりと、視線の定まらない瞳。まだ覚醒はしていないらしい。半分夢のなかで、織は鈴懸のことを見上げていた。



「……!」



 虚ろ気な瞳。彼が一体何を思って自分を見つめてくるのだろうと黙っていることしかできなかった鈴懸は、手に伝わってきた仄かなぬくもりにどきりとした。手の甲に、遠慮がちな織の手が、触れている。



「……どうした、」



 しかし、やはり織は寝ぼけている。意図があってこのような行動に出たというわけではなさそうだ。ぼんやりと鈴懸を見上げながら、ただ、手に触れてきている。何か言葉を発する様子も、ない。

 ただ――寝ぼけているからこそ。この行動は、織の本性が表れているもの。鈴懸はそう思った。こうして、ただ手に触れてきて。織は何を心の奥で望んでいるのだろう。



「寂しい? 俺が、怖い?」



 触れられることには慣れていない、でも、さみしい。他人から逃げてきた、彼の本当の気持ちは一体なんだろう。わかるつもりもない、わかりたくもない、そんな織の中身を、鈴懸はなぜか感じ取ってしまう。



「……くだらね」



 同じ、だから? 自分も、彼と同じだから、わかってしまうのだろうか。織の求めていることに気づいてしまった鈴懸は、そんな自分が嫌になって舌打ちをする。

 俺は違う、寂しいなんて思っていない。これが俺の、決めた生き方なんだから。

 むしゃくしゃ。いらいら。認めてしまえば自分が変わってしまう、そんな心の中に生まれ出た小さな闇に背を向けた。それでも、こうして孤独に震える織を見ていると。放っておけなくて。



「むかつくわ、おまえ」



 鈴懸はそっと、織の布団に入り込んだ。そして、優しく抱きしめてやる。そうすれば織は安心したように目を閉じて、再び寝息をたてはじめた。


戯の章 了

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