五十七

 「咲耶は呪われている」という話を聞いてから、初めて咲耶を直接見ることになった。人の罪を記録する仕事をしている僕は、どうしても一定の周期で咲耶のもとへ行かなければいけない日がやってくる。本当は視界にもいれたくないのだが、それはどうしようもないことだ。

 咲耶は、珍しく一人でいた。いつも、妖怪や白百合と一緒にいるところばかりを見てきたから、珍しく感じた。

 咲耶は木陰に座って、何かを作っていた。よくよく見てみると――それは、かざぐるまだった。あの呪いのかざぐるまと同じ形をした、かざぐるまだ。しかし、作っているところを見る限り、呪術を込めたりということをしているわけでもなく、それは普通のかざぐるまである。きっと、彼女自身は呪いを込めているわけではないのに、彼女の念が強すぎて勝手にかざぐるまが呪いのかざぐるまとなってしまうのだろう。

 しばらく僕は、かざぐるまを作る彼女をぼんやりと眺めていた。眺めながら、彼女の魂に刻まれている彼女の行いを読み取っていき、彼女の罪を記録する。が、記録すればするほど、僕の中で憎悪が膨れ上がっていく。彼女は、毎日のように妖怪と交わっていた。そして、そのたび妖怪たちに愛を囁かせていた。櫨を殺しておきながら、平然とそんなことをやっている彼女がやはり許せなくて、ここで殺してしまおうか――そんなことを思った。



「そこにいるのは……吾亦紅?」

「!」



 僕が刀を抜きかけたところで、咲耶が顔をあげる。気配を隠していたつもりだったが――殺気を漏らし過ぎたのかもしれない。見つかってしまった。咲耶は僕を見て、にっこりと笑った。



「……やあ、咲耶。今日もとても醜悪なツラをしているじゃないか」

「そうかしら……みんな美しいと言ってくれたのだけど……」

「みんな頭おかしいんだよ」



 話しかけられたからには仕方なく、僕は咲耶のもとに降りて行って隣に座った。最期くらいは話をきいてやってもいいような気がして。

 咲耶は僕の言葉に、困ったように笑っていた。このように狂ってからは、嫌われたことがないのだろう。



「……吾亦紅。かざぐるま、いる? 私が作ったのよ」

「いるわけない。おまえの作ったものなんか、触りたくもない」

「酷いこと言うのね……」

「そもそもそれは、おまえに心を穢された妖怪が貰うものだろう。僕はおまえのことなんて好きでもなんでもないし、呪いにもかかっていない」

「……べつに、このかざぐるまは……私のことを愛してくれたひとにあげるって決めているものじゃないわ」

「じゃあ、なに」



 咲耶は作ったかざぐるまを持って、しゅん、と視線を落とした。

 てっきり、かざぐるまは咲耶が関係を結んだ妖怪たちにあげるものだと思っていたが、そうでないと本人に否定されてしまう。愛してほしい、忘れないでほしい――そんな呪いがかけられたかざぐるま。たしかに咲耶がそうした呪術をかざぐるまにかけている様子はないが……。



「感謝の気持ちよ。この世界に生まれてきてくれてありがとうって。私と出逢ってくれてありがとうって。私――この世界が大っ嫌いだけど、みんながいたからもう一度好きになれそうなの。私もこの世界にいていいんだって……そんな気持ちにさせてくれるから」

「……きみがそんな善良な心をいだくような人間には見えないけど」

「……そうね。だって私、貴方のことを傷つけた」

「は?」



 ――何?

 僕は咲耶の言葉に驚愕して、思わず彼女の顔を凝視してしまった。

 彼女はすっかり心が壊れてしまっていて、だからひたすらに妖怪たちの体を交えるのだと思っていた。罪の意識など抱くわけがないと思っていた。そんな彼女が言う。「僕を傷つけていた」と。



「櫨のこと言ってる?」

「……ええ。櫨は、……貴方の夫だった」

「――……」



 ――衝動的に。僕は、咲耶の首を掴んでいた。

 咲耶に馬乗りになり、手に力を籠める。全力でその首を絞めれば――彼女の首は、握りつぶせる。



「貴様――人の心を持ちながら櫨を……!」

「あっ……、……ち、ちが……」

「何が違うものか! 貴様は鬼になり果てたからああした愚行をしていたのだと――僕は自分自身を納得させようとした! なのに、貴様は……知っていたのか、櫨がどんな気持ちでいたのか……櫨を愛していた僕が、どれほど傷ついたのか!」

「ちがう、……ちがうの、吾亦紅……話を、……!」



 ミシ、と骨が軋む音がしたところで、僕は手を放した。あと少しやっていれば、彼女の首の骨くらいは折れたかもしれない。

 最後の言い訳くらいは聞いてやろうと解放してやったが……このまま殺してしまえばよかったような気もする。



「げほっ……げほ、……私、……ひと、じゃなくなっていたけど、……ひとに戻れる時があった……げほ……いつも、壊れていたけれど、……そんな自分を恐れる時があった」

「はあ? どんな言い訳をしてくるのかと思えば……二重人格だったとでも言うのか」

「いいえ……私、かざぐるまを作っている時だけ……昔の自分に戻れるの」

「……意味のわからないことを」

「私は……母親に捨てられて、村の人たちにも忌み嫌われて生きてきた。その時からずっと、この世界が嫌いだった。でも……そんな私にも、得意なことがあった。私は……かざぐるまを作ることだけが得意で、私の作ったかざぐるまは……みんなが喜んでくれたの。だから、かざぐるまは、私の生きている理由になっていたわ。この世界が嫌いなら、さっさと死んでしまえばよかった。けれど、私の作ったかざぐるまはみんなに愛される。私にも……愛される可能性があるんじゃないかって、私の全てがこの世界から嫌われているんじゃないんだって、そう思っていた」

「……」

「かざぐるまが愛されるとき……それは、私が唯一この世界に感謝をすることのできるとき。私が恨み以外の感情をいだくとき。……心がぐちゃぐちゃになって、自分のやっていることさえも理解できていない、今……かざぐるまを作っているときだけ、私は世界に感謝していた、そんな自分に戻れるの」

「……人の心を取り戻し……世界に感謝しながら、懺悔をすると」

「はい……この世界への恨みも、感謝も、……後悔も悲しみも、……希望も、……唯一、ひとらしい心を取り戻せる瞬間に、私は……貴方に、何度も何度も、心の中で謝っていた。自分のやったことの罪深さに、打ちひしがれていた。けれど……ほんの少し、この世界に希望を抱いてたから、死ねなかった。貴方に酷いことをしたのに、生きたいと思っていた」



 せめて、完全に壊れていた方がまだマシだった。本当は悔やんでいたのだと言われるほうが虫唾が走る。

 僕は咲耶からかざぐるまを奪い取ると、それをへし折った。咲耶の「ひとの心」など、僕は受け取るつもりがない。それは櫨への侮辱だ。



「貴様のひとの心など、貴様自身の闇に負けている。貴様のかざぐるまがすべて呪いに汚染されているのが証拠だ。貴様がこの世界に捧げた感謝など、貴様自身のこの世界への恨みにつぶされているんだよ。貴様のもつ「心」はもう――救われる日なんてこない」

「……っ」



 咲耶は壊れたかざぐるまを見つめ、……ぽろぽろと涙を流した。かざぐるまに込められたはずの「感謝」と「希望」は、妖怪に渡す時には悍ましい呪いへと変質している。その意味を、咲耶も理解したらしい。

同情などするつもりはない。この女がどんなに不幸であったとしても、僕は大切な人を殺された。大切な人の心を弄ばれた。僕の希望をすべて破壊したこの女が、この世界に希望を持つことなんて許せなかった。



「私はただ……愛されてみたかった、……それだけなのに……」

「この世に生を受けたことを悔やむといい。貴様なんか生まれた瞬間に誰にも愛されないと決まっていたんだよ」

「私は、……わたし、は……」



 咲耶は壊れたように泣きはじめた。

 僕はうんざりして、刀を抜く。

 僕も咲耶も、世界を恨んだ、愛に絶望した。お互いに、永遠に救われることなどないのだ。

 僕は刀の切っ先を咲耶の首に向ける。このままこの首を跳ね飛ばしてやろう。そして、次に生まれ変わったときに、また、呪いに苦しめばいい。こいつの絶望もきっと底がつきただろう。



「……、ま、って……」



 今度こそ咲耶を殺そうとした。しかし、咲耶が制止をかける。
まだ無様に生きるつもりなのか。



「まだ、……まだ、かざぐるまを渡していない人がいるの、……」

「それ以上呪いを広めるな。貴様のかざぐるまなんて穢らわしいだけだ」

「……白百合、……私の、大切なひと……勇気がでなくて、渡せなかった……私が、私自身が初めて愛した、白百合に……まだ、渡していないの。白百合にだけは……かざぐるまを、渡したいの……」

「……白百合」



 殺される間際、咲耶の口から出たひとの名は、「白百合」だった。呪われはじめ、彼女のことを裏切ったのだとばかり思っていたが――咲耶の「心」の中では、まだ白百合のことを本当に愛していたというのか。



「初めて、ひとを好きになった。でも、私の知っている「愛」は怖くて、……白百合のことを好きって気持ちも、怖いものだと思った。怖くて、かざぐるまを渡せなかったの。でも、どうか……渡させて。気持ちを伝えさせて。「ありがとう」って、それだけを言わせて。お願い、吾亦紅……そのあとで、殺していいから、……何をしてもいいから……」



 僕は舌打ちを打った。

 咲耶と白百合が一緒にいるところを見てしまっていたから、咲耶の願いを跳ねのけられなかった。咲耶が白百合と共にいた時間は――僕が櫨と共にいた時間と同じ。絶望の中で、本当の愛を知った、あの時間と同じ。

 どこまでも自分勝手な女だと思った。そして、その女をいつも憎みきれない自分を恨めしく思った。

 僕は刀を収めると、踵を返す。われもこう、小さく僕を呼ぶ声に、僕は振り返らなかった。



「かざぐるまを渡し終えたら――殺す。僕は咲耶を許すつもりはない」

「……うん。ありがとう」

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