五十一

 櫨は、死罪となった。

 櫨の処刑は、一か月後。それまで櫨は、地獄にある監獄で幽閉されることになる。



「……吾亦紅、」



 僕は、毎日のように櫨に会いに来ていた。櫨は何度も何度も僕を裏切ったけれど、たった一人の僕を救ってくれた人だ。彼が死ぬことは、どうしても哀しい。



「……すまない、な。こんな俺のために、毎日こんなところへ来てくれて……」

「……ほんとだよ。毎日のように櫨のしなびた顔を見るのはうんざりだ」

「……ふ、そうか」

「はあ……櫨のことを好きにならなければ、こんなに面倒な目には合わなかったんだけどなあ」



 櫨に出逢わないまま生きていたのなら、どれほど楽だっただろう。そう考えたことが何度もある。ただ死ぬことだけを考えて生きていたあの頃は、今ほど苦しみを感じていなかった。こんな風に感情に引きずられて生きることなどなかった。

 今の僕は、咲耶への恨みでどうにかなってしまいそうだった。激しい憎悪を抱いたことのない僕は、この感情をうまく扱うことがどうしてもできなかった。



「ふん……まあ、櫨が死ねば、いい加減僕も開放されるんだ。貴方のことを想って苦しむのはもうこりごりだ。何もかもが終わる。はやく、貴方と過ごした日々が幻想だったと笑い飛ばせるようになりたいのだけど」

「幻想……か、」



 愛はなにも救わない。結局、こうして僕を奈落へ突き落した。櫨に捨てられ堕胎したあの時から、愛を信じることはやめたが、櫨の傍にいる限り、僕は愛に幽かな希望を抱いてしまう。

 すべての希望を絶ちたいと思った。いっそのこと、彼がいなくなってしまえばいいとすら思った。



「……俺たちは、咲耶の呪いに負けたんだ」

「勝ったも負けたも、きっと咲耶が存在しなくたって僕たちはこういう運命を辿っただろうさ。貴方と僕の生み出したものなんて、所詮そんな脆いものだ」

「……脆くなんてない」

「脆くなければ、なぜこうなった」



 こんな運命を辿ったあとだ、僕は自分のその考えに何も違和感を抱いていなかった。だから、そんな僕の言葉に反論してきた櫨に苛立ちを覚えた。

 この男は、この期に及んで何を言っているのだろう。僕を暗闇に突き落とした張本人のくせに、と。



「吾亦紅……人と人の繋がりは、何よりも貴いものだ。呪いに敗北したとしても、決してそれを疑うようなことをしてはいけない」

「……櫨に言われると腹立つんだけど。僕が襲われている間、咲耶と浮気しておいてよくそんなことが言える。肉欲に敗北してそこらへんに捨て置いたものを、貴いって? 僕がどうしてそんな言葉に納得すると思うんだ」

「……っ、ああ、俺は肉欲に屈した、おまえを裏切った。しかし――俺は、おまえにそんなことを言ってほしくない、愛するおまえに、そんなことを――……」

「ふざけたことをぬかすな! わかっているのか、おまえさえいなければ、僕はこんなことにならなかった! 何も知らないで生きていけた! 愛とやらと押し付けるのも大概にしろ! 僕はおまえのせいで愛を信じられなくなったんだよ!」



 櫨の言葉は、あまりにも身勝手に思えた。思わず僕は叫んでしまう。

 しかし、櫨は怯むことなく僕を見つめていた。鉄格子の隙間から手を突き出して、僕の腕を掴み――勢いよく引き寄せる。突然のことに踏ん張ることもできなかった僕は、そのまま鉄格子に頭を打ち付けてしまった。



「痛っ……櫨、何を……!」

「吾亦紅……咲耶を救ってほしい」

「は!? いい加減にしろ、何を言ってるんだ!」

「咲耶の呪いを解く方法は二つ。咲耶にかざぐるまを渡された妖怪から、咲耶への未練を取り払う方法。そしてもう一つ――」

「聞いているのか、櫨! なんで僕があんな女を――」

「――咲耶に、ほんとうの愛を知ってもらうこと」

「……はい?」



 神妙な顔つきで、櫨は「咲耶の呪いを解く方法」とやらを語りだす。僕たちを不幸のどん底に突き落とした女を救う義理などもちろんないので、僕の怒りは火に油を注いだの如く燃えあがる。苛立ちのまま鉄格子の隙間から足を突き出して、櫨を思い切り蹴り飛ばした。



「……妖怪たちにかけられた呪いを解くには、妖怪たちのなかにある咲耶への未練を取り払えばいいんだ。しかし、咲耶自身を救うには……彼女のなかにある、愛への不信感を消してやらねばならない」

「……」



 櫨は蹴り飛ばされ、壁に体を打ち付け、せき込みながらも、何事もなかったように話し続けている。咲耶の話など聞きたくなかったのだが、なんとなく――僕は櫨の話にひっかかりを感じて、彼の言葉をさえぎることができなかった。

「愛を知らず、愛を狂わせた彼女を救うのは、ほんものの愛だけなんだ」



 愛への不信感――それは、僕も持っているものだった。そんな彼女を愛で救うこと――それが、どういうことか。それを櫨が僕に頼むということが、どういうことなのか。

 僕は、それに気づく。



「……断る。僕に咲耶を救う理由なんて、ない」

「……吾亦紅、」



 ――咲耶自身にかけられた呪い、それを愛をもって解くということは。愛で「呪われた魂」を救えるということの証明になる。つまり――咲耶と同じく、愛を激しく否定する僕も、愛で救えると証明することになる。

 自分の愛で僕を救えなかったからといって、櫨という男は僕自身にそれを気付かせる方法をとらせようとした。しかも、僕が最も辛い「仇を救う」という方法で。



「……あんな女を真に愛するものなんて現れないよ。現れたところで、何ができる。僕は、櫨に愛されても救われなかったのに……」



 絶対にあの女を救ってたまるかと思った。愛であの女を救えたのなら、僕のなかにある愛への不信感は消えるかもしれない。けれど、それと同時に「なぜ僕だけ救われなかったのか」という強い嫉妬が生まれるのは間違いない。



「……俺とおまえの間にあった愛が、ただたまたま呪いに敗北しただけだ。愛はたしかに存在した。俺もおまえも、お互いに愛し合った時間は絶対に必要なものだった。どんなに時間がかかってもいい、俺が死んでからでもいい、俺はおまえに、それを信じられるようになって欲しい」

「……勝手に思ってれば」

「吾亦紅……!」



 これが、櫨のできる、最後の足掻き。どうしても彼は、僕を救いたいらしい。僕が修羅の道を歩くことになっても。

 虫のいい話だ。僕をさっさと楽にさせてくれ。そんなのは、櫨の自己満足じゃないか。

 僕は、絶対に咲耶を救わない。咲耶が愛を知り、救われる前に――殺してやる。彼女が呪われ続けている、その事実こそが僕にとっての救いとなるはずだ。

 僕は櫨を一瞥し、牢獄を後にする。僕と櫨の間にあったものに、もう二度と光は差さないのだと、そう信じて。
_207/225
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