三十


 婚姻の儀というから、どれほど厳粛なものなのだろうと思っていたが、実際はそこまで堅苦しいものではないらしい。決められた場所で、決めれた手順で、愛を誓えばいいのだという。



「……本当にこれから、婚姻の儀が始まるの?」

「今更何を言っている」

「いや……実感がなくて」



 決められた場所というのは、神の社のことだ。櫨の場合、神社や祠といった社を持っていないため、社は住まいである僕たちの家ということになる。そして、儀式を進めてくれるのが玉桂だというので、いよいよ「らしさ」を感じられない。玉桂が僕たちの家に来て、これから酒盛りでも始めるのでは、といった雰囲気なのだ。

 玉桂曰く、神と人間による婚姻の儀で大切なのは、心なのだという。人間と人間による神前式とは違って、僕は祈る対象である神と結婚する。だから大切なのは身を清めることとか特別な着物を着ることではなく、櫨を愛する気持ちだ――玉桂はそう言っていた。



「掛けまくも畏き 伊耶那岐大神――」



 櫨と隣り合って座り、玉桂による御祓詞を聞く。儀式が、始まる。

 僕はどうしていればいいのかわからず、隣に座る櫨を横目で見つめた。櫨は目を閉じて、静かに御祓詞を聞いていて……どき、と胸が跳ねる。

 淡々と儀式が進められていくなか、僕は今までの人生について考えていた。つい先日、玉桂と魂の行方の話をしたからかもしれない。

 僕は鬼として生まれ、それなのに容姿は人間と変わらない姿で生まれた。そのせいで誰にも馴染むことができず、常に襲い襲われの命懸けの生活を送っていた。鬼として生まれているから――人間の魂のように、生まれ変わることもできない。未来が、閉ざされていた。



「――私は、今日を佳き人選び、結婚式を挙げました」



 そんな僕が今、結婚式を挙げている。櫨へ愛を誓う言葉――誓詞を読み上げながら、僕は未だ実感がわかずにいた。だって、あまりにも違うのだ。過去の僕が捨てた未来と、今の僕が手にしようとしている未来が。

 頭がふわふわとして、まるで体が浮いているような心地だ。本当にこれは現実なのだろうか。こんなに幸せなことが、僕にあっていいのだろうか。

優しい瞳で僕を見つめている櫨。彼の前で、僕は永遠の愛を誓う。



 「今後私は、貴方を愛し、尊び、そして苦楽を共にして、変わらぬ平和を誓います」



 あの頃の僕は、こんな未来を想像できただろうか。

 じわじわと僕の魂が救われているということを感じる。絶望の中を生きた僕が、こうして今――櫨と、夫婦になる。彼を愛すること、彼に愛されること……それが、約束されるのだ。
 
 ああ、吾亦紅――君は、幸せになれるんだ。



「……、吾亦紅、」



 ぽた、と何かが瞳から零れ落ちた。それに気づいた櫨が、儀式の途中だというのに声をあげてしまう。

 僕は……泣いていた。真っ暗な闇から僕を救い出してくれた櫨と、夫婦になれることが嬉しくて……泣いてしまっていた。

 ぽろぽろと止まることのない涙が、僕の頬を濡らしていった。櫨まで、泣きそうな顔をしている。

 単調な儀式だと思っていたが、やはり……大切なのは、僕の気持ちのようだ。ただ、決められた流れの中で儀式を進めているだけだというのに、僕は玉桂が苦笑いをするくらいに泣いてしまっていた。



「――櫨……」



 誓詞奏上が終わり、残る工程を済ませ――無事に儀式が終わる。特に体に変化が起きたという気配もなく、本当に僕が彼の妻になれたのかが怪しい。しかし、儀式というものは、心に影響するのだろうか……儀式が終わった瞬間に、僕は櫨への想いがあふれだした。これから、僕は櫨のもとで幸せに生きるのだと――そう考えたら、多幸感に胸が押しつぶされそうになった。



「愛しています。僕は、永遠に櫨のことを……愛します」

「……、吾亦紅、……。ああ、俺も……おまえのことを、一生愛するよ」



 櫨が僕に口づけをする。やれやれといった顔をする玉桂を横に、僕は目を閉じる。瞼の裏に、永遠を描く。貴方との永遠を――……



 
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